ころもです。
日々、断捨離をしたくてウズウズしています。
なにせ物が多い。ひとつひとつのアイテム、それこそシュシュからコートまで幅広いジャンルのものがひしめきあって大合唱。
耳障りな歌をずっと聴かせられているような不快感が常にあるものだから、なにせイライラしてしょうがない。
流行り云々じゃなく、心から断捨離がしたい。
ということで、今日は「タートルネック」に狙いをつけました。
観測史上初めて、という文言を本当によく聞くようになりました。
ヒートアイランド日本です。
寒ければ寒いほど不要!?
タートルネックなるものをここ十年以上着用してません。セーターから綿素材のものから20枚以上所持しているのに全くです。
そもそも、首までとっぷり入る衣類が本当に必要でしょうか。
確かに首まで覆っていればそれは暖かい。けれども現実問題として、ずっと外にいるのならまだしも、建物の中に入ったり出たり、ましてや今時暖房器具のない家ならともかく、大概の家は冬にはそれなりの暖房設備が整っているわけです。
そんな中で、外でちょうどよかったタートルネックが屋内でも「ちょうどよい」なんてことはまずないのですよね。
それどころか首にまとわりついて「苦しい」し、「暑い」という感じしかない。水陸両用でなければこれからの服は生き残れないのに、タートルネック(ハイネック)なるものはあまりにも融通がきかない洋服ということになるわけです。
それでも、いつか役に立つのでは?
着たいと思うときが来るはず?
NOーーーです!
少なくとも、ころもにとっては「タートルネック:ハイネック」はもう人生で二度と着る必要のないアイテムのひとつとなりました。
締め付けるものが大嫌いだからです。
なのに、なぜかタートルネックを必要としていた時期があった。いつだろう、なぜだろうと考えてわかったのは、「他人から見たオシャレ」にこだわりすぎていた若き日があったからだということ。
自分の着たいもの、快適さを常に上回り、支配してきた「他人から見える自分」。そんなことに重きを置いていたものだから、摩訶不思議な洋服がここにも、あそこにもという感じで溢れかえっている。
自分が快適じゃなきゃ着る意味がない
これまで着なかった服を、急に見つけたから「これは着なくちゃ」と思うのは思えば滑稽な話です。
気づくまでその服がなくても一切生活に支障などきたしていないのに、見つけた瞬間から「着なくちゃ、どうにかしなくちゃ」と思うなんて本当におかしい。
無くて済んだものは、これからもなくて「問題なし」と考えるのが妥当なのです。
ということで、まったく傷んでなくても、またどれほどオシャレなアイテムだと思っていたとしても、ここ数年寒い季節が何度もあったにもかかわらず袖を通さなかったハイネック、タートルセーターなどとは“おさらば”していいと判断しました。
世の中には首の寒さをハイネックより、タートルよりずっとオシャレに保護し、温めてくれるものがた〜くさんあります。
スカーフやショール、色も柄もたくさんあるし、外で着用、室内ではすぐに外すことができるという、水陸両用をスマートにこなすアイテムが現にあるわけです。
残念ながらというのか、
ありがたいことに今回の断捨離は本当に決断しやすいものでした。
どんどん若くなるのなら話は別ですが、誰にとっても時計の針は前にしか進まない。若くなることはないのです。
自分を快適にする服があるのに、わざわざ窮屈な格好に執着するなんて心底時間の無駄使い。
決断の一番の決めては、自分にとってそれが「快適なものかどうか」。
つまり、快適である人は無理やり断捨離する必要はありません。あくまでも、人生を豊かに快適に暮らすための方策のひとつとして「断捨離」はあるのですから、断捨離のために人生が不快になったり、プレッシャーになるようじゃ意味がないですからね。
断捨離でカバンを減らしたいが捨て時や基準を教えて欲しい - 毒舌ころも
タートルネックやハイネックセーター断捨離でタンスもスッキリ! - 毒舌ころも