ころもです、こんにちは!
断捨離をして運気をあげよう!という見出しの本ありますよね。嫌いじゃないです、っていうか、大好きな見出しです。
いっぽうで、断捨離ぐらいで運気があがるぐらいなら誰も苦労しないと全面的に批判的な意見もないことはない。
ただ、どうでしょう。
ダメでもともと、という言葉がありますよね。意味はそのまま、ダメだったとしても元の、つまりは今の状態に戻るだけ。
だとしたら試さない積極的な理由ってありますか。だって試せば成功する確率も加わるんですよ。
そもそも失敗というカテゴリーは人間が勝手にこしらえたもので、これが動物の世界ならもしかしたらただの「経験」というカテゴリーになるだけのもの。
それを自ら決めた期間内に成果が出なければすぐに「失敗だ」と叫ぶのも、
あまり賢い生き方ではないと思います。
何が言いたいのかっていうと、批判するよりまず「やってみようじゃないか」ということ。
少なくとも、
断捨離をしたくてきっかけがつかめず断捨離関係の本ばかり読んでいるなら、その本を読む時間に「写りの悪い写真」や「袖を通さなかった服」の分別ぐらいやったほうがいい。
運気が上がるというより気分が良くなる
断捨離をしたら運気が上がる。
その言葉を直球で受け止めて、買った宝くじが当たるのじゃないかとか、急に彼女ができるのじゃないかとか、そういう具体的な想像を巡らす人がいます。
でも、それをもってして運気が上がると解釈してしまったら本当に運気が上がってきていてもそれに気づかないこともきっと出てきます。
なぜって‥‥
運気が上がるって、言葉ほどに大げさなことじゃなく、やる気がなかったことに「手をつけてみようか」という「気」になる程度のことだって本当はすごい進歩なわけですよ。
運気が上がるというのは頂上にヘリコプターで連れて行ってもらうようなことだと考えるからおかしくなる。
そうじゃなくて、山を登る「気」になる。
この心境の変化、心の筋力がよみがえることこそが「運気が上がる」ことのそもそもの意味だと捉えることがきっと大事。
ころもはそう思っています。
そして実際「気」は高まるはず。
運気だけじゃなく、金運も良くなる!?
単純な話、モノが多いと何か一つのものを見つけるのも至難の技だったりします。埋もれたり、隠れたり、間違って捨てられていることだってある。
少なければ埋もれることもないし、隠れることもないし、間違って捨てるということも劇的に少なくなる。
こう考えただけでも、たった1点それだけを考えてみるだけでも、断捨離をする意味があると思うわけです。
探し物が見つかるからというのはおまけで、本当に大切な意味は「本当に大事なことに費やすための時間を無駄にせずにすむ」ということにあります。
運気が上がるというヘリコプター発想じゃなく、目指す山に登る気力がよみがえる、あるいは奪われないということがいかにすごいことか。
なかなかやる気がおきないという経験を持っている方ならわかるはず。
やる気さえあれば、たいていのことは乗り越えられます。
そしてこうも言える。
やる気が出なければ、なにひとつ乗り越えられない。それこそ体を90度起こすことだってきびしい朝というものはあるのです。
それを42.195キロのフルマラソンに気持ちを駆り立てる「気」というものは、お金には換算できないほどの価値なのですよ。
断捨離をしないと運気が下がるということか
断捨離をすると運気が上がるということは同時に、断捨離をしないと運気が下がるのか、と反発をくらいそうですね。
答えは、イエスでありノー。
根底にあるのは、「断捨離をしたいかどうか」。
する気もない人を断捨離に無理やり駆り立てても、達成することに意味を見出し喜びを見出せないのだったらあまりやる意味もない。
実際には生活も快適になり心弾むものになっていたとしても、そのことにさえ気づいてない可能性もあるからです。
でも、それならそれでいいとも究極いえる。
断捨離のおかげと思えなくても、結果として断捨離によって運気が良くなっているならそれはそれでありです。
断捨離に意味を見出してない人は運気が下がっていったとしてもそれに気づかず日々をこれからもやり過ごしていくでしょう。
それもまた人生。
けれども、断捨離をしようという意志でもって断捨離を始めた人が、その行為によって運気が下がるということは考えにくいです。
仮にあるとしたら、それは「捨てなきゃよかった」というモノを勢いで捨ててしまったことぐらいでしょうか。
そういうことなら仕方ありません。
でも個人的には、捨てなきゃよかったというものが悲しいほどないのです。随分捨てましたよ。
それこそ新品同然のソファにタンスにテーブルに電子レンジ。一度も外で履いたことがない靴たちやまだまだ使えるバッグにアクセサリー。
なのに処分したことに一切後悔していない。
いったいこれはどういうことなのだろうかと、真剣に考えたこともありました。
そしてわかったことは‥‥
人生を生きるのに絶対不可欠なものはそう多くないんだという結論です。
ソファがなくても床があれば大丈夫。タンスがなくてもダンボールが代用してくれる。電子レンジがなくても蒸し器があるし、履かない靴を手放したところでどのみち履いてなかったのだからなんの不自由もない。
使えるバッグを捨てたって、今あるバッグをフル活用すれば問題ないし、アクセサリーにいたっては生涯つけなくたってなんの問題もない。
すべては人生を楽しむための「いっときのエッセンス」に過ぎなかったということに気づくわけです。
金運が良くなるというのはもっと現実的にいうと、無駄なお金を使わなくなる、ということです。
何がどれだけあるかを把握できるようになれば、当然ながら無駄買いはしない。しかも買う苦労より捨てる苦労のほうが何倍も大変だという体験をしたならば、何を買う西ても慎重になる。
つまりはホイホイと買い物もしなくなる。それはお金が貯まるというよりは減りが遅くなるに決まってるのです。
いかがですか。
まとめ
断捨離で上がるのは運より「気」
そういうことです。
ではまた、ぜひ覗きに来てください。♪
貴重なお時間をありがとうございましたm(_ _)m。
断捨離でカバンを減らしたいが捨て時や基準を教えて欲しい - 毒舌ころも