ころもです。
幸せ自慢は嫌われる。
これ、世の常識です。
卓球の福原愛さん、いや、愛ちゃん、いやいや、やっぱり愛さんがもうふさわしいかな。妊娠を発表しましたね。
発表した、それでもう十分です。
オセロの目が反転するかのように、福原愛ちゃんは結婚を機に人気が激減してしまいました。
自慢しすぎなのです。
世の中には事件事故があり溢れてるわけで、つまりは、とてもではないが「今日は本当に素晴らしい1日だった」と心の底から言える人々ばかりじゃないという現実があるわけです。
そうですか!
でも、私は、私たちはこんなに、幸せ、ハッピーです!!
そうですか、良かったですね。
これが世の中の大半の偽らざる感想なのではないでしょうか。
メディアは上げて落とすを忘れちゃダメ
話題性があればメディアは何度でも同じ内容を放送しちゃうんですよね。男の子なのか女の子なのか、そんなことは正直みんなどうでもいい。
一生に一度も会うことのない他人の子供の性別が気になるほど、人は暇じゃないです。でもテレビではそのことをいつまでも話すし、ひどいときには2人の合成写真を作って赤ちゃんの顔を「こんな感じになるのじゃないでしょうか」と画像作成までする。
ま、それはそれで需要がある部分もあるのでしょうから放っておきましょう。
福原愛さんは「泣き虫愛ちゃん」の愛称で小さい頃から露出があったため、みんな結婚となったときには素直に、「ほ〜、それは自分も年をとるわけだな」と感慨を抱いたわけです。
イケメンで金持ちで優しい旦那様とのツーショット。見てはいけないものを見せられた気になった、愛さんのウェディングドレスの胸の谷間。
なんだか、ついていけないのです。
浮ついている、幸せ自慢が鼻に付く。
そんな声がヤフコメに溢れてきているときにも、愛ちゃんの2度目、3度目の披露宴情報がいちいち流れてくる。
「なんだか、うんざりするわ」というため息のひとつもそりゃ漏れるというもの。
幸せなら、静かにそれを味わっていればいいものを、「私、ほんっとに幸せ!」「こんなに幸せ!」「見てみてみて!」的な押し付けが好かれるわけがないのです。
あとは出産したの報告だけでいいです
人として、とりあえず「妊娠おめでとう!」という声が今は沢山ありますが、これも時間の問題でしょう。
お腹の張り具合はこんな感じ、心音が聞こえ始めました〜的なことを逐一報告するようになったら、いっせいにブーイングの嵐になることは今から目に見えています。
幸せが悪いんじゃない。
愛さんが幸せになることになんの罪もない。
ただ、それをしつこく自慢してくるのはやめてくれと皆言いたいのです。
なぜなら‥‥
人は、あまりにいろいろな背景を抱えて日々を生きているから。
幸せな人は、幸せを黙って享受することが苦手なようで、どうしてもこれでもかこれでもかといった調子でアピールしてくる。
それは本当に幸せな人がする行為だろうかと疑いたくなるほど。
そういえば‥‥
離婚なんて絶対にないという人ほど数年たって離婚したり、浮気なんて全く考えられないと言っていた人たちに限って、その舌の根も乾かぬうちに破綻している例は枚挙にいとまがないです。
本当に幸せな人たちは、それを他人にアピールすることの無意味さに気づいているのです。
幸せなら、それをそっと温めて育んでいてください。
それがみんなの為、果ては自分自身のためです。
幸せ自慢は、想像力の欠如を意味するので「ほどほど」にしましょう。
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