毒舌ころも

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ゆりやん減量ダイエットで痩せても「美人」表記は違うの声

 

 

ころもです。

 

一体何がどうなったらそういう表現を使おうと思うのか。

お笑い芸人、ゆりやんが「減量成功」や「ダイエット成功」というニュースが定期的に出てますが、

 

減量もダイエットも非常に個人的かつ、どうでもいいこと。

 

女優やタレントであってもどうでもいいのに、お笑いを商売にしている芸人がさもそれが「自分への需要」と見間違えるほどに発信、あるいはニュースとなっているのは視聴者のアンチコメントを引き出す目的と思われても致し方ないでしょう。

 

なぜって、

 

どうでもいいことだから。

 

痩せたから、減量に成功したからといって顔の造りまでが根こそぎ変わるというわけでもないのなら、そこは過剰な褒め言葉で奈落の底に落とすことは控え、

 

印象が変わったとか、大人っぽい雰囲気になった…とか、

 

そういう見ようによっては、人によってはそう取れるよね?というところを落とし所にしないとあまりに本人に世間の辛辣な声が降り掛かって深刻なダメージを追う可能性だってある。

 

つまり、

 

それほどに「痩せた」と「綺麗になった」「美人になった」というものは別次元であるということが言いたいわけで、ゆりやんの売りもそこじゃないだろうし、本人も洒落で言っている部分もあることを考えれば、これ以上の神輿は残酷なだけ。

 

可愛いを口にするように「美人」「綺麗」という言葉を使うようになると、勘違いが加速するし、本当の美人や綺麗な人が表れたときの表現や場面で「物足りなさ」や「申し訳なさ」を感じてしまうこともあるかもしれない。

 

なにより、

 

そこまで嘘をついて誰かを褒める必要があるかということ。

 

本人が一番気の毒。

 

もちろん、

 

「その人史上」あるいは「その人のなかでは」というセンテンスを入れての「綺麗になった」「美人になった」という表現だよ、過剰に反応し過ぎだよ、という声もあるでしょう。

 

けれども、

 

それですら厳密にいえばやはり「違うんじゃないの?」という反撃の余地を生むだろうし、おそらく倍返しのコメントにあふれるかもしれない。

 

ゆりやんの減量に対する努力を褒めることはいいけれど、痩せたから綺麗になった、痩せて美人になったということにはならないのだから、まるで「結婚イコール幸せ」といったまちがった信仰のように「それらを」ワンセットにすることは危険。

 

少なくとも、

 

ゆりやんの売りはそこではないし、体重が普通の人と同様になったからみんながみんな綺麗やモデルとして成り立つなら、この世はモデルであふれかえるし、本物に対して良くも悪くも「表現にまやかし」が生じて気持ちの良いコミュニケーションができなくなる恐れだってある。

 

〜すぎる、もそう。

 

いい加減記者もボキャブラリーを増やしましょう。

あえて、のことだとしても稚拙すぎる。

 

ではまた。