毒舌ころも

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終末期医療専門家が身内と話すよう提言「いつか自分の問題に」

 

 

ころもです。

 

 

限りある命であることをわかりながら、明日にしよう。

明日が「今日」という日になると、また明日にしよう。

 

そういって「なすべきこと」から目を背けてしまう弱さが人間にはあります。

 

弱さ。

 

そう、敢えて弱さとしました。

この世から自分が消えてなくなる。

 

それが揺るぎない、紛れもない事実であることを頭ではわかりながら、「いつかやってくるその日」をなるだけ考えまいとしてしまう弱さ。

 

しかし国民的大スターだった志村けんさんの「青天の霹靂」といっていいコロナ感染による急逝が、封印していた「いつどうなるかもわからない生身の人間」である自分たちの命の儚さを思い起こさせ、向き合うよう訴えかけているのを感じずにはいられません。

 

 

万が一の場合に自分はどうしたいのか

 

遺言書、あるいはエンディングノートなるものをすでに書き終えているという人はどのぐらいいるでしょう。

 

病気であるないにかかわらず、すべての人間が遅かれ早かれ死ぬ運命にあることを思えば、愛する家族に伝えておかなくてはいけないことをコロナウイルスの感染拡大に関わらず準備しておかなくてはなりません。

 

それは死に取り憑かれている行為とは対局で、死ぬ直前まで前向きに生きるためにとてつもなく重要で欠かせない、自分にしかできない作業です。

 

31日付の『BBC NEWS-JAPAN』では、

 

パンデミックがはびこる現状において、万が一の場合に「自分はどうしたいのか、大切な人たちと話し合っておく方がいい」と呼びかけるイギリスの緩和医療の専門家の声を掲載しています。

 

「つらい会話、しにくい会話」であっても、

 

それを誰もが大切な人としておくよう終末期医療の専門家は求めていると。

 

・自分がもし重篤になったらどういう治療を受けたいのか。

・死後にはどういう扱いを希望するのか。

 

望み通りの死に方を選べないのは頭では理解していても、どこかで人は自分の思うような最期を遂げられるかもしれない、遂げたいという一縷の望みのようなものを持っているものです。

 

けれども、

 

あれほど多くの人を幸せな笑いで包んでくれた志村けんさんが、近親者に看取られることもなく息を引き取り、骨を拾われるでもなく遺骨になってようやく家族のもとに戻れるという無慈悲な最期を迎えざるをえなかったという非情な現実。

 

入院したその日が今生の別れになってしまう可能性だってある。

 

病院へ見送った姿がこの世の見納めとなり、その後に意識混濁で会話もできないとなれば電話やメールやラインといったものによる意思疎通もできなくなることもある。

 

愛している人には日頃から愛していることを告げ、経済的な心配や伝言があるのなら今のうちにそれを伝えておくことが現実問題として重要になってくるのです。

 

 

大切な人たちに今、何と言っておくべきなのか

 

カーディフ大学の医師であり緩和医療教授でもあるフィンリー女男爵は、

 

「これまでは何でも自分の思うとおりに準備できると思っていた人たちがいよいよ、気づいたわけです。私たちは常に不確かな状態で生きていると。今ではその現実を、真正面から突きつけられているのです」

と、

もし自分が発症したらどういう治療を受けたいのか、もし自分が死んだらどう扱って欲しいのか、誰もが考えて近親者に伝えておくことの大切さを説いています。

 

さらに、

 

「そこで今や考えなくてはならないわけです。『本当に大事なことは何なのか』と。大切な人たちとどういう話をしておくべきなのか。それも今。明日とかあさってではなく。そして何と言っておくべきなのか

 

「自分には何か強い考えがあるのかもしれない。あるいはすでに体が弱っている人はこのウイルスにかかっても、もう入院して人工呼吸器につながれたいとは思わないかもしれない」

 

「自分はどうしたいのか、今のうちに周りの人に知らせておかなくてはなりません。あなたの意思に沿ってその人たちが対応できるように

 

「誰にとってもつらい会話です。楽な方法などありません。自分には関係ないことだとずっと思って、日々暮らしているわけです。でも、いつか自分の問題になるかもしれないと、そう思わなくてはなりません」 

 

とも。

 

大げさだと思う人はもはやこの現状でいないと思いたいですが、自粛要請を守れない想像力の欠如した人々にはまるで他人事、まだまだ先の未来ということでまともに取り合わない方も多いかもしれません。

 

けれども、

 

世界を見渡せば当たり前のように「死」がそこかしこにある。

 

先月まで、先日まで、さっきまで一緒に笑って過ごしていた人との未来を無情にもはぎとられ、それが今生の別れになってしまうという現実が冗談抜きで起こっている事実は何も変わらない。

 

きっかけは新型コロナウイルスの感染拡大によるものであっても、そもそも自分の大事な人へ伝えるべきことはなにか、それは明日ではなく「今しておかなくてはいけない」という意識は重要すぎる気づきなのです。

 

BBCニュースでは、

 

緩和医療の専門家への新しい指針は、どういう治療が望ましいか「正直な会話」を「実際的に可能な限り早期に」始めるべきだと提言しており、新型コロナウイルスによる感染症「COVID-19」では患者の容体が「かなり急速に悪化」することもあると警告している。

COVID-19の場合、重篤患者の枕元に家族など大切な人が寄り添うことができない。これこそ新型コロナウイルスの「無残なほど残酷」な側面だと、緩和医療の専門家で著述家のレイチェル・クラーク医師はBBCラジオに話した。

 とも報じ、先延ばしにしないことを助言しています。

 

悲観的な話を嫌ってまともに向き合おうとしない家族に苛立ちをつのらせている方々も少なくないでしょう。

 

正面切って話し合うことができにくい性格や日頃の関係性、背景、さまざまな事情があることも推量できます。

 

そういう方たちにおすすめするひとつとして、

 

小さなノートを持つことを提言します。

 

買い物のついでに、家族の数だけ小さな、手のひらサイズ程度のノートを買うのです。

 

面と向かっては伝えられない言葉、自分が感染したら、治療するとしたら、亡くなってしまったとしたら「して欲しいこと」「して欲しくないこと」「かけて欲しい言葉」「知ってほしいあれこれ」「伝えておかなくてはいけないあれこれ」等々を、それぞれに普段から、それもなるだけ早めに記しておいてもらうのです。

 

なにかあれば、家族はまずそのノートを確認する。

そこで最低限の意志を汲み取ることができるとしたら、ささやかなノートの存在が最大の支えや癒やしや光になるかもしれない。

 

100円前後の小さなノートでいいのです。

 

面と向かって伝えることに照れや怖さがある。

 


そういう人々にとってわずか100円の小さなノートがどれほど雄弁に語ってくれることになるか想像して頂きたい。

 

小さいけれども「伝えたいこと」がつまったノートを携えて日々生きていれば、なにかあったときにも安心材料になります。

 

遺言書やエンディングノートに抵抗のある人でも、小さなメモ帳、ノートならだいぶ身近で入りやすいのじゃないでしょうか。

 

いつどこで感染するかわからない世界に生きている我々にとって必要なのは、悔いのない日々、毎分毎秒を生きること、そして万が一のときに伝えたいことをちゃんと伝えられる準備ができているという安心感ではないかと、そう思うのです。

 

何かをし忘れているように感じているとしたら、それは大切な人への伝言を保留にしていることかもしません。

 

ではまた。

 

(出典:BBC-NEWS-JAPAN 3/31(火))