毒舌ころも

気になることは胸に秘めず口にするサイト

たけし、志村けんコロナ感染に「ロシアンルーレットみたい」

 

 

ころもです。

 

 

一流であるかどうかを見極める基準があるとすれば、それは「時代を読む力」があるかどうかではないかと個人的には思っています。

 

たとえばタレントのビートたけしさんなどがそう。

 

言葉のセンスが秀逸であることはいうまでもないですが、彼には紅白で魅せたあの魂の歌のような言霊を感じることがあるのですね。

 

滑舌こそ鈍くなっても言葉の切れ味はまだ衰えてはいない。

もっと言えば、言葉の切れ味というより「感性そのもの」の切れ味といったほうがよりわかりやすいかもしれません。

 

 

同年代のお笑い界のツートップの現状に…

 

志村けんさんが新型コロナウイルスに感染して予断を許さない状況にあるとの報道もあるなか、昨夜の「新・情報7daysニュースキャスター」に出演したビートたけしさんは、安住アナからコメントを求められた際、「うーん…」と考え込み、

 

「相変わらず酒飲んでたもんな。だけどなあ…」

 

とこの時期のふるまいにしては危機意識が足りないと思っているのだろうなと思わせる言葉もいいながら、だけどなぁに続いて、

 

「なんかロシアンルーレットみたいな感じするね。ホントに運が悪いヤツがかかっちゃうみたいな。できるだけ家からホントに出ないことだと思うけど、院内感染と同じで、家は今度、(一人が感染した場合)家族全員がなるからな。どうなんだろうな」

 

と同情とも何とも言えぬコメントをしています。

 

まさに、ロシアンルーレット。

 

いつどこで誰がどのタイミングで感染するかわからない。

どれほど気をつけていても感染する可能性はゼロじゃないし、夜遊びを繰り返し、うがい手洗いもいい加減な若者が必ずかかるというものでもない。

 

個人個人にできることは、何かあったときに「自分はできる限りの努力をした」という、限りなく後悔を少なくするために日々免疫力をあげ、ストレスを軽減し、バランスの良い食事、たっぷりとした睡眠、規則正しい生活を励行することぐらい。

 

それこそ「人事を尽くして天命を待つ」状態です。

 

 

東京五輪の延期決定からわかりやすい方向転換

 

久米宏さんのコメントを読むまでもなく、東京五輪の延期が決定されてから怒涛のごとく流される不都合な新型コロナの現状、感染者数。

 

それでもまだ、これは序の口の序の口。
まずオリンピックありきの姿勢は、次のミュージックステーションにあの椎名林檎さん率いる東京事変が出演することからも推量できます。

 

東京オリンピックに携わる椎名林檎さんが、感染拡大真っ只中にライブを強行突破したことは記憶に新しすぎる事実ですが、そのときの世間からの大バッシング、非難殺到の事実が冷めやらぬなか、そしてそのライブ参加者から感染者が報告されていない不自然さこそ検証されるべきものと思うのですが、その点も曖昧なまま、Mステに出演する。

 

ここから想像できるのは、

 

あの強行ライブをオリンピック関係者が最悪とは思っていなかったのだろうなということです。

 

もしあのクラスター(集団感染)を引き起こしかねないライブ強行を断固許すまじ、と思っていたなら、とてもじゃないけれどMステに出演することはあり得ないだろうしそもそも今回のメンバーから外される可能性だって浮上しているはず。

 

けれども今のところそういった動きは聞こえてこない。
いくらでもコントロールできる数字が表に出なければ、それはなかったこととしてある意味穏便にスルーされ、それどころか、延期とはいえ結果的に開催の方向でいく東京五輪のためにますます頑張ってくれよといわんばかりの、東京事変へ向けてのエールにさえ今回の出演は見えてきます。

 

たけしさんの話からだいぶ話がそれてしまいましたが、

 

とにもかくにも、

 

危機意識の高い人、いつまでたっても事の深刻さを実感することができずにいる危機意識の低い人が同時にこの世に存在する以上は、新型コロナを1日も早く終息させたいという願いが叶うことは難しいのでしょう。

 

ロシアンルーレットという言葉を口にしたたけしさんの、次の言葉も個人的には非常に賛同できました。

 

「不要不急とか、なんか難しい言葉で。これ、用もねえのに外行くなって言えばいいじゃない、なあ。家にいろ、何もねえんだからっていう」

 

おっしゃるとおり。

 

不要不急という使い慣れない、また紛らわしい言葉を使うことで事態がより複雑になっているようにも感じます。

 

”不要不急にあたらない用事”というのは、つまり、「急ぎの用事」のことをさすわけですが、どうにもそう聞こえない。

 

 

不要不急とは、重要じゃなく急ぎでもないこと。

つまり日程変更できるものだったり、その日じゃなくてもいいことだったりするのですが、そう聞こえないのですよ。

 

不要不急という言葉のなかに「急(きゅう)」という響きがあるので、急がなくては行けない用事のように聞こえてしまうのです。

 

 

それゆえ、

 

たけしさんの「不要不急とか、なんか難しい言葉で。これ、用もねえのに外行くなって言えばいいじゃない、なあ。家にいろ、何もねえんだからっていう」言葉が響くんですね。

 

本当にそうだと。

 

クラスターやオーバーシュートやロックダウンといった、きちんと日本語で言い換えることができる言葉があるのに、自分たちだって使ったことがないような言葉をこれみよがしに連発して意味も説明せずに、伝えたつもりになっているのだから、どれほどの本気度なのかがそういうところからも探られてしまうのも仕方ない。

 

「不要不急って、俺考えちゃったよ。不用っていうのは、いらねえやつは外出ちゃいけねえのかって。よくわかんねえ」

 

まさに!

 

共感した視聴者は非常に多いことでしょう。

 

丁寧なことは悪いことではないですが、やはり適宜その使い分けというものも考える必要があるなと今回の都知事の発言を残念に感じました。

 

「……に存じます」「……に存じます」「恐縮ながら…」

 

いやいや、もちろん強制できないし要請ということなのだから上から目線でいくわけにいかないのはわかりますが、それじゃ外出してしまいますよと。

 

イタリアの「火炎放射器を持って向かう」は言い過ぎとしても、ある意味あのぐらいのインパクトある語気、語調も場面によっては使う必要があるのかもと思ったものです。

 

東北大震災のときの「逃げて!」と叫んだアナウンサー、あの緊迫、切迫した悲鳴にちかい叫びによってことの重大さに気づいた人は少なくなかったはず。

 

パニックにさせないことの利点もあるでしょうが、緊急事態を知らしめるときに平常運転のときのような型通りの伝え方でいいのかどうか。

 

今回はとりとめもなくなってきたのでこの辺で。

 

では。

 

(出典基:3/28(土) デイリー) 

 

こちらも読まれています

嵐・相葉雅紀のストレス発散法がゴージャス!?でも納得の訳 

志村けん追悼番組「長さんの次は高木ブーだと」カトちゃん弔事

足立梨花インスタ桜投稿で志村けんツイート超える本性露呈!?

 

ホリエモン、志村けんさん哀悼も変わらぬ持論にネット猛反発 

相葉雅紀も涙「志村どうぶつ園」継続に視聴者「ありがたい」

相葉雅紀 5年愛発覚か!?両親紹介済みの関西女性とプードル