毒舌ころも

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堀ちえみホテル最上階ディナーも「本当に舌がんだった?」

 

 

 

ころもです。

 

伝えるために伝える人と、自慢するために伝える人。

芸能人ブログに限らずインスタやブログで私生活を発信する人のおおかたは、後者ということになるでしょうか。

 

どれほどネットが身近になろうと、私達が生きている間に知り合って、触れ合って、語り合って、労りあって、リアルな人間として付き合える人は個人差はあるものの世界の総人口からすればほんのひと握りでしかありません。

ネットを開けば、見えるけれども話したこともない、会うこともない人々はいわゆる「絵に描いた餅」と同じだし、あるけど「ない」、いるけど「いない」といった状況のままで人生を終えることがほとんどだし、それで特別差し支えもない。

 

それが一般庶民の日常であり、広くは人生なのだろうし、そこにいささかの不便も不都合も感じないわけですが、

 

これが人気商売でお金を稼ぐ芸能人になると話は全く変わってくるのですよね。

 

わかりやすいところでは辻希美さん一家。


お子さんが増えてから炎上の中身もアンチ比率も変わってきているようですが、とにかくこれほどブログによって生計がうまくいっているのだなとわかる家族も珍しいほどに露出しまくっている。

 

しかも夫婦以外は今のところ芸能人の子供ということではあってもまだ芸能人ではないただの素人、一般人。一般社会で生きている子どもたちなわけです。

 

近ごろでは子どもたちが神隠しにあったように突如として行方不明になる物騒な事件も増えているというのに、平気で顔を出されてしまう意思決定能力のかけらもない危険きわまりない子供たち。

 

それでも立った、笑った、着た、泣いた、大きくなったとおそらく一生会うこともない一般人に向かってためらいなく世界に向け発信し続ける。

 

いわば、これ興味ないんだけど…の典型であった年賀状の家族写真を年がら年中アップして悦に入っているということと変わらない。

 

妊娠した、子供が生まれた、アレを買った、何を食べた、これが私のすっぴんです…

 

嬉々としてあげる内容はどれほど稚拙でくだらなくても、彼らにとって起こるすべてのことは「コンテンツ」、ブログやインスタを飾る「商品」となって俄然意味が出てくるということになる。

 

ブログやインスタで何を食べた、美味しかったという内容を読んで「これって自慢?」と嫌悪感を抱いてしまう場合、そんな贅沢な時間や食事をしているなんてと思うことも1つ事実ではあるでしょうが、もう一つ言える事実として加えたいのは、彼らにとってもそれは実は自然体なる日常ではなく、ブログやインスタであげたくなるほどの「自慢体験」であり、そのための「あえての」体験や繕いだったりするという現実です。

 

だいぶ前置きが長くなりましたが、

 

多くの賢明な読者はそのからくりや意図も含めわかったうえで「それにしても…」とくだらない記事に溜息をつきたくなるのは、自慢としか取れない内容そのものに対してというよりは、

 

自慢したくてアップしているのに、それを自慢とは気づいてない自分たちを見て見て、という雰囲気が漂っているケースのときなのですよね。

 

例えば今回またも批判の的となっている、昨日デイリースポーツが記事にした、

 

タイトル、

堀ちえみ 娘とホテル最上階でディナー
「今日の夜景はずっと忘れない」

などもそうかもしれません。

 

ここ2,3日ブログを読めてないのですが、堀さんがホテルの最上階で娘さんとディナーを楽しんだことを報告した、と記事冒頭にはあり、

 

久しぶりに東京ドームホテルへと写真投稿、さらに「玄関に大きなクリスマスツリー。ウルトラマンもいました!」といってはまたも写真投稿をしていることを伝えているわけですが、

 

堀さんということじゃなくこれを読めばよくわかるように、

これ、本人にとっても特別な夜、特別なディナータイムであることがわかります。

 

毎日や週イチ(シューイチ?)でこういうディナーを楽しんでいるなら自慢ですが、これが特別なこと、めったにないことだから自慢したかったのでしょう。

 

つまり「自慢か!?」の声に対していえば、まさに「自慢」であるだろうし、ただそこで炎上する人としない人との違いがあるとするなら、それを言うか言わないかということなのではないかと。

 

自慢になるのですが、久しぶりのホテル最上階でのディナーは最高でした!

 

と言ってしまえば批判はあっても気持ちがわかる人だって多少は増えるはず。

説明不足の一方的な報告は読者にフラストレーションをもたらすし、そのフラストレーションの原因をそのままにしてどうでもいいことを言い出すから炎上せずにすむことまで炎上状態になってしまうということはおそらくあるのじゃないでしょうか。

 

「今夜は最上階のレストランで夕飯です。右奥に東京タワーが見えます。さっきの打ち合わせの帰りに、東京タワーの真横を通ったばかり。ここからは東京ディズニーランドの花火も、見えました」

このディナーに限らず精力的に石川県金沢市に出かけ友人たちと高級寿司を食べて舌鼓、一泊してすぐにまた東京へ戻ってという経緯もあるだけに「この人、本当に舌がんだったの?」「どこまでが本当なのかまったくわからない」という懐疑的な声が出てしまう。

 

でもその批判を憂いてもしょうがないということになるのです。


なぜならそれは批判でも批難でもなく、「謎」に対する問いかけであり純粋な「WHY?」の声だから。

 

 「イタリアンのコース。私はホット烏龍茶。彩月はクランベリージュースで乾杯!前菜。見た目も綺麗で、とても美味しかったです」 

 

冒頭で長々と書いたように、ほとんどの出来事は家族や側近の人々、特定の友人知人の間でわちゃわちゃ共有し合えばいいことだらけなわけです。

 

でも、それを世界へ発信する。

 

それはとにもかくにも、何を隠そうとそれが自分たち芸能人にとっても実は「特別なこと」と自ら暴露しているも同然なのだと考えると非常にすんなりと文章が入ってきます。

 

特別なことだから、自慢をしたいのです。

逆に言えば、自慢にならないなら発信などしたくないぐらいの気持ちで芸能人の方々はSNSを駆使しているといってもいいのじゃないかと思うほど。

 

なので「自慢か!?」と問うのはそれこそ愚問。

自慢したいものだから発信するのです。

 

たとえそれが眉の欠けたすっぴんだろうが、サイズの大きすぎる私服姿であろうが、本当に出したくなかったらアップしない。出す以上はそこに賞賛と勝算を数える本人がいるのだと想像すると、なかなかに興味深いものばかりということになる。

 

堀さんの場合はとくに大手術で舌を6割も切除して再建までしたステージ4という大々的な発表とその後の展開がミラクルすぎるので、戸惑いや疑念の声があるのは当然だし、そういう声があることを少しでもわかっているのなら、そこに疑いを持たれないための細やかな配慮が求められるわけです。

 

でも、何でも食べられるどころかどこにでも行ける。

 

人生の幕を閉じればからのわずか9ヶ月であまりにもめまぐるしく状況が好転し続ける様子を「伝える」だけならいいのですが、それが「自慢」としか解釈できない「伝え方」一辺倒に思えるものが多すぎて多くの反感を引き寄せるし、ヤフーコメントが毎度荒れるのでしょう。

 

事実を伝えることが悪いのじゃなく、事実であっても何もかも伝える必要はないと取捨選択する他者への優しさや配慮が垣間見れれば、たまの特別なディナーも微笑ましく読めるのにと思うと残念ですね。

 

久しぶり、最上階、ずっと忘れない

 

この言葉からだけでも、非日常を過ごした喜びがわかるし、だから自慢したかったのだなというのは理解できます。

 

どうしても自慢したいときには、いっそのこと「これは声を大にして自慢したいのですが」ぐらいに言ってみてはいかがでしょうか。

 

さりげなさげに見せて自慢よりは、堂々と「たまにしかないことなので自慢しちゃいました」ぐらい後付としていれてみるとか。

 

それでも炎上してしまうかもしれないですが、受け取り方は同じじゃないと思うのですがいかがなものか。

 

これまたお節介なことを言ってしまったか。

 

ではまた。

 

(出典・引用元:11/29(金) 21:29配信 デイリー)

 

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