ころもです。
ちょっとネットを離れるだけでまあ目まぐるしいことこの上ない。
それにしても今朝の「とくダネ!」でMCの小倉さん、老害丸出しという感じで同席の三田寛子さんの苛立ちが伝わってくるようでした。
何がって、
沢尻エリカさんの件ですね。
若狭弁護士は一貫してしっかり社会的制裁を加えることの大切さを力説し、三田寛子さんもコンプライアンスの大事さというのか、やはり勘違いしないための教育のようなものの大切さのようなことを遠隔的に説いていたと思うのですが、
いかんせん、
この番組の重鎮たる小倉さんがなにかといえば「欧米では、アメリカでは」という決まり文句で日本の厳しさについて言及。
海外アーティストが薬物で捕まっても即日に開放されてアルバムも全英チャート1位になった例などをフリップで紹介するなど、ゴリゴリの薬物中毒である状況をあまりにも甘く見ているとしか思えない発言の数々。
「別に」の重大さがわからないMCか
まるで芸術と本人はまったく「別物」という感覚で最後までいこうとするから厄介きわまりないというのか、これじゃ芸能界の薬物に対する見方も変わるわけがないという感じ。
しまいには、「別に」ぐらいで長いこと干されたことを沢尻さんが被害者でもあるかのように憤慨しているような口ぶりでしたが、
別に、のひとことだけで干されたとかそんな単純なものじゃないでしょう。
「別に」って、その映画が徹頭徹尾、最初から最後まで、そして何から何まで金銭的なものまで含んで沢尻さん1人によって完結するものであるなら「別に」も、後遺症も引き受ける覚悟での発言なんだろうから自由だし他人が長きに渡ってああだこうだというものでもないかもしれないけれど、映画は違うでしょう。
どれだけの人間がどれだけの労力と時間とエネルギーをかけて作り上げていくか、それを思えばあの大事な舞台挨拶の場で「別に」という言葉がいかに「別に」ぐらいでという言葉でおさまりきらない無責任で子供じみた発言かがわかるはず。
それを「別に」ぐらいで長いこと干されて…という想像力のなさ。
だったらスポンサーのいない世界なんていくらでもあるのだから、そういう世界で自分のしたいことをすればいいだけのこと。
なぜにわざわざスポンサーのいる世界にしがみついているのか、そこに気づけば「別に」とは言えない、言ってはいけないということがわからなくてはいけない。
「別に」という言葉の裏にどれだけの人間の過去や現在や未来が関わっているかを一瞬でも自覚すればとうてい出ない言葉なんですよ、というところまでが全く小倉さんにはわかっていない。
そうでなければ「別に」って言ったぐらいで…
なんて発言にはならないです。
あの「別に」動画を観たことがあるなら、あの態度がどれほどのものかわかるはず。
それでもその不遜で生意気な態度がようやく10年ほどかけて人々から許され、今度は純粋に本来の女優として見れるようになってきた矢先の出来事が今回の逮捕劇。
笑えたのは、社会学者の古市さん。
細かいことはいいとして、小倉さんと似ているのですね、彼の考え方が。
来年放送の大河ドラマの撮り直しをするしないの議論のなかで、一貫して社会的制裁を与えること、そのためにドラマを撮り直すことは必要だとする若狭弁護士に対して小倉さんは取直しする必要がないと、例のアメリカでは…方式を持ち出して持論を展開。
古市さんも結果的には小倉さんよりなわけですよ。
こういう芸能人の逮捕劇があるときによく語られることとして、戻る場所を奪ってはいけないとか、戻れる場所がなくなるとまた再犯につながるとか何とか言う人々がいますが、ひとこと言っていいでしょうか。
世の中には数え切れないほどの職業がありますが、転職という道がないように悲痛な叫びを上げるのはなぜですか。
女優はなにかあってその道を追われたとき、また必ず女優として戻らなくてはいけないのですか。
女優にしか戻りたくないということなんじゃないですか。
女優で始まった人間は死ぬまで女優として生きなくてはいけないのですか。
そうじゃないですよね?
本気で探せば、そしてプライドや高いギャラさえ求めなければ、いくらでも仕事はあります。
結局は、
女優の道に絶対に戻る、戻らせたいといった本人と周囲の勘違いと奢りが悪循環を生んでいるのじゃないですか。
一般人が女優に「なった」のですよね。
今の姿は。
だったら女優から一般人として働くことも道としては残されるはず。
それを邪魔しているのは未練とプライドでしょう。
そこを一切語らず、候補にもあげずに「戻る場所を奪ってはいけない」「戻れる場所を残してあげなくてはいけない」って何様ですか。
スカウトされるその日まで、ふつうにバイトや職業についていたりしませんでしたか。
それとも一本出るだけで何百万というギャラをもらえる仕事をしたら、時給生活なんて馬鹿らしくて誰がやれるかって話ですか。
そうなら、そう言って下さい。
古市さんも他の職業があることを諭してあげたらいいですよ。
社会学者なんですから。
と、あまりにも長い前置きになってしまいましたが、
代役の候補として5人の女優の名前が出てますね。
蒼井優さん、内山理名さん、貫地谷しほりさん、広末涼子さん、満島ひかりさん。
探していた女優さんはたしか美人で演技力があって毒がある女優ということだったと思うのですが、ちょっとアレという人もいますね。
ネットの予想では菜々緒さんが一番人気だったようですが、それは「毒」、それもわかりやすい「毒」の部分だけの話だけのような気がします。
現在彼女は脱皮している最中なので、本人的にも困惑するだろうし、それ以前にイメージではないな。
時代劇に使うにはスタイルが良すぎるし、顔も造形がイメージと違いすぎる。
個人的には蒼井優さんか貫地谷しほりさんといきたいところですが、蒼井優さんは山ちゃんの奥さんということで毒が消えてしまった感じもするので、貫地谷しほりさんあたりが良いかなと。
一説では失恋したばかりの剛力彩芽さんを押す声もあるようですが、本日発売の「週刊新潮」の記事では、映画からの復帰が望ましいと考えられているようなのでこれもあらゆる面から全く現実的ではない。
過去の作品が販売停止になることを「やりすぎだ」「作品に罪はない」という人々は「作品さえよければ」その土台となった人物がどんな人間でもいいということなのでしょうか。
それが不思議でなりません。
いい作品といっているその作品がだから、もしかしたら、薬をやりながら作った作品かもしれないのですよ、という可能性を考えないのでしょうか。
それとも作品さえいい出来なら何をしてもいいとでも?
じゃあ、ドーピングをして100mで金をとっていいのですね?
金なんだから、1位になったのだからドーピングぐらいでガタガタ言うなと、そういう論法なわけですか?
おかしな話です。
ドーピングをしたから1位になれたのかも、という発想がないならそれはそれで問題ですね。なにもこれは陸上だけの話じゃないわけで、1位ならしょうがない、たとえドーピングのお陰で掴み取れたメダルであっても結果メダルなんだからいいじゃないかとは決してならないでしょう。
早く走れたことに罪はないと誰もみなさない。
だから剥奪されてきたわけでもありますから。
それと同じことだと思うのですが。
いろいろな意見があるようです。
ま、ひとつの意見に収まらないという点はいいことですが、なんでも「アメリカのアーティストたちは…」といった視点で語りだす老害としかいいようのない司会者を見ていると、世代交代やむなしと感じます。
ではまた。
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