毒舌ころも

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織田信成モラハラは誰から!?内容知りコーチ「ショックやわ」

 

 

ころもです。

 

元五輪代表でバラエティでも時おり目にする織田信成さん(32歳)のモラハラ問題が話題です。

 

事の発端は、先月9日付で辞任した関西大学アイススケート部の監督人事について織田さんが、

 

「辞めた本当の理由は、リンク内で私に対して嫌がらせやモラハラ行為があり、その影響で今年春頃から体調を崩すようになり、辞任するまでの3ヶ月間リンクに行く事が出来なくなった事とそれに対する関西大学の対応が誠意あるものに思えなかったから」

 

とブログで暴露したから。

 

この中に出てくる「モラハラ行為」というものは誰からのどんなものだったのか。

世間が気になるところはここです。

 

10/10号「週刊文春」に掲載された関西大学関係者の話によれば、

 

「就任一年後くらいから織田さんはスケート部の体質に疑問を持ち始めた。特に問題視したのが、スケート部所属の学生の学業がおろそかになっていることです。たとえばサッカー部は半年で15単位以上取得できない学生は試合出場が制限されるなど、文武両道を掲げる関大では成績の基準を設けている部活があります。織田さんは、スケート部も成績の基準を設けた方がいいと、今春から部則を変えようと動いていた。しかし、それが関大スケート部の女帝こと、濱田コーチの逆鱗に触れた」

と。

 

学生を指導するのはあくまでもコーチ、であるため発言権が強いのもコーチということになり、なかでもキャリアが長い濱田コーチは絶大な権限をもっているのだといいます。

 

なるほどよくある構図といえばよくある構図ですが、

 

問題は、なぜ織田さんの部則を変えようという動きが濱田コーチの逆鱗に触れたかということでしょう。

 

記事では、

 

織田さんが成績基準の必要性を説くと濱田コーチは「練習する時間がなくなる」などと何日も繰り返したり、織田さんが挨拶をしても無視したりしたのだそう。

 

辞任するまでの三ヶ月間リンクに行くことが出来なくなった、というブログの内容はまさにこういう中高生のいじめのような「無視される」ということが原因だったのかと推測できますね。

 

とすると、モラハラをしていたのは濱田コーチということになるのでしょうか。
そしてモラハラの内容は「無視」という行為?

 

 

文春が本人に直撃をしたところ、

勉強が大事という、織田くんの考えには賛同しています。ただペナルティありきではなくて、勉強ありきが一番望ましいんじゃないかな。アメリカのように就学支援をしたりね。学生たちが不安に思って、私たちコーチに相談に来たんです。成績足りなくて試合に出られなかったらかわいそうじゃないですか。間違ってますかね、私?(笑)」 

 わかっているようで論点を見事にすり替えているような感じがしますね。

 

その「勉強ありきが一番望ましい」ができてないからの部則変えを提案したと思うのですが、なんだか見事に「私は選手のために」的な論理になっているのがある意味さすがです。

 

無視や、モラハラに関しては、

「そんなこと全然ないですよ!挨拶し忘れたことはあったかもしれないけど」

と回答。

 

予想どおりというか、

 

当事者にきいても意味ないですから。

認めるわけがないじゃないですか。

 

ええ、ずっと挨拶を無視していました、それがなにか? と言うはずがない。正直にいうケースもあるでしょうが、こういうものは加害者(?)に訊いたところで本当のことが引き出せるわけがないのです。

 

基準はやはり被害者の心情でしょう。


距離や聴覚の問題もあったりと一概に言えない部分もありますが、挨拶をしても無視されたということであれば、コーチはどういう状況だったかまたそれはそれで弁解したいこともあるでしょうが、織田さん的には完全に無視されたと理解するに足る「なにか」があったということなのだと推量するしかありません。

 

そしてそれは一度や二度じゃないだろうなということも、推察できますね。一度や二度なら思い過ごしや状況によると判断できても、これはどう考えても聞こえてるよね?見えてるよね?という場面での無視なら相当メンタルにくるでしょう。

 

気になるのは「無視したり、モラハラがあったのでは?」 

 

の文春直撃に対して、

 

「そんなこと全然ないですよ!」と言い切ってしまうこと。

 

否定ありきという姿勢ですね。これは、少し考えれば自分はそのつもりでも相手にどう映るかを考慮し「自分はそんなつもりはなかったですが、誤解されることはあったかもしれません」ぐらいの気持ちで受け止めるのが筋だと思うのですが、

 

完全否定の「全然ない」と言って頭ごなしに却下するあたり、

 

なおのことモラハラがあったのではないか?という疑念を補強してしまった感じがします。

 

また記事の冒頭では、

 

「(モラハラの容疑者が)私の名前になってんの!? もうショックやわ。そう言ってる人いるんや。全く話し合う場もなかったから、行き違いがあったんかな……」 

 と嘆く濱田コーチの言葉があったのですが、

 

これについても文春側が、「織田氏は多忙ではないと主張している」と訊いたことに対し、

 

「いやいや、元々彼はリンクにいませんよ。今年からではなく初めから。だって彼は今もショーに出て四回転を跳べるんですよ。それは素晴らしいことですが、それだけ練習しているってことです。その分、監督の時間はとれない。解説者もタレントもやって、片手間で監督やるのは大変やと思います。でも織田君は関大の看板やから戻ってきて欲しいし。私自身、全然悪気ないんです」

と答えています。

 

ふつうに嫌味が山積しているように感じますが、気のせいでしょうか。

 

どちらの味方をする義理もないですが、この返答のなかにはすでにいくつもの皮肉な言葉がちらほら見えます。

 

ことに、「解説者もタレントもやって、片手間で監督やるのは大変やと思います」の

 

片手間で

 

という表現。これにすべての感情がギュッと詰まっているように感じますね。

 

この感情がおそらく根底にあるのだろうなと、そう思わせるに十分な言葉と思います。

 

「片手間」という言葉は、本業の合間にする仕事という意味ですから。

おもしろくないと感じている感情が読み取れます。

 

あなたはどう感じたでしょうか。

大人であろうと子供であろうと、イジメた当事者というものは異口同音に「そんなつもりはない」という類の否定で正当化することが常です。

 

濱田コーチと織田さんのモラハラに対する認識の違いは違いとしても、一般論として無視され続けることは相当に辛いこと。

 

「私自身、全然悪気ないんです」

 

と語った濱田コーチの悪びれない言葉が何より怖いと感じました。

 

ではまた。

 

(出典元:10/10号 週刊文春、日刊ゲンダイDIGITAL)