ころもです。
病巣に存在している悪きものの本質を、一度私の体に移動させて、それを私は滅してしまう
そうか、では悪いところを治してもらおう。
と大抵の人間は思わない。
しかしこれが不治の病、あるいは追い詰められている精神状態で”藁をも掴みたい”状態だったらどうか。
その立場になってみなければわからないな…。
最初の威勢の良さはどこへやら、それで気持ちが落ち着くならするかも…ぐらいに気弱になってしまう人も出てくるかもしれない。
実は冒頭の言葉は、水泳の池江璃花子選手が接触しているということで話題になっている、なべおさみさんの自著『スター万華鏡』に書かれている言葉だそうです。
報じたのは9月19日号の『週刊新潮』。
標準治療を行ったうえでの民間療法なら問題ないでしょう、という声もあるいっぽうで眉をひそめる人々もそれはいるわけです。
それこそ「気のせい」じゃないかと
人間弱っているときには支えが必要になるもの。
それが突然のリストラや失恋といったものであるケースもあれば、命に直結する場合もある。
頼れるものなら頼りたい、すがれるものならすがりたい、効果があるのなら効果をえたい、その想い自体は自然だし何ら罪なことではないはず。
気をつけなければいけないのは、
それほどに弱りきった心であるなら、相手次第ではたやすく騙されてしまうだろうなということです。
『週刊新潮』は今回の記事でなべおさみさんが2012年に月間オカルト情報誌『ムーのなかで、
でね、これは公にはいってないことなんですが……今日、はじめていっちゃいます。僕は、ただひとつだけ天から授かった才能があるんですよ。それは病を治すことができる力です。人の命の間尺が見えるんです。いくつまで生きるか、いま病気だとか
と語っていたことを調べ上げています。
大学時代からの旧友からも話を聞き、
「古くから知ってる僕らになべは、気が使えるとか、寿命が見えるとか言ったことは一切ないし、実際にそんな力があるように見えたことも全くない。そもそも、気を送って病気が治るはずがないでしょう」
というコメントを掲載。
しかしこの旧友の話をもってしてなべおさみさんの「天から授かった才能がある」を完全に打ち消すことができるかといえば、それは全く別問題でしょう。
なにせ、
月刊オカルト情報誌『ムー』の中で彼は「今日初めていっちゃいます」と他言したことはないことをしっかり表明しているのだから、たかがと言ってはなんですが、偶然に同じ大学に入って同じ講義を聞く程度で知り合いになった友人たちが知らなくても全くおかしくはないし、
そうであれば、旧友が語ったところの「寿命が見えるとか言ったことは一切ないし、実際にそんな力があるように見えたことも全くない」と語ることも当然なわけです。
いわば、彼らには秘密にしておきたかったのでしょうから、その才能が仮に本当にあったとしても彼らの前で披露したり語ったりはしていなかったはず。
もっといえば、
旧友が最後に語った、
そもそも、気を送って病気が治るはずがないでしょう
という部分。ここが決め手ですね。
「気」があるないの真偽はともかく、最初から「治るはずがないでしょう」という考えを持っている人間に積極的に話すわけはないし、そういう話を信じないということを十分に感じ取っていればこそ、話さないでおこうということで『ムー』で語るまでは他言することもなかったということなのでしょうから。
ここで勘違いしないで欲しいのは、なべおさみさんの擁護をしているわけでも支持しているわけでもなく、
単に、
自分が聞いてないことなんだからそれは存在しないといった態度や、自分は相手のことを何でも知っている的な態度でインタビューに臆面もなく出てくる得体のしれない「旧友」なるものの傲慢さに苦言を呈したかったのです。
事件事故があるたびに近所に住む隣人や過去の同級生たちは、「あいつはそんなやつじゃない」「あの人は人に恨まれるような人間じゃない」「あの人は誰にでも好かれている」といった想像力のない横暴なコメントを平気でしてますが、24時間365日その人を見張っていたのですか。
どれほどの人間観察、洞察に優れている人ですら一人の人間を丸ごと把握することなど不可能なことであろうに、たかだか道ですれ違うときに挨拶する程度の仲、いっとき机を並べて部活動をしたぐらいの仲でしかなかった人々が、その人間のすべてをわかったように語り、それを鵜呑みにしているとまではいかないまでも、その結果によって加害者や被害者の人間像を決めてかかる無知。
怖いです。
謙虚さと想像力をもっていれば、
「少なくとも自分は…」
「私の知る限りでは…
「傍から見る限りは…
「個人的な感想からですが…」
といった言い方で語って欲しいもの。
一人の人間のすべてを「そういう人です」「そういう人じゃありません」と言い切れる赤の他人などいるわけがないのですから。
それは妻や夫、家族、誰であっても同じ。
相手を語るときには「自分の知る限り」を必ずつけて欲しい。
神じゃないのだから。
自省の意味でも常にそう思っています。
話がだいぶそれてしまいましたが、
なべおさみさんの旧友の話はひとつの話としておいといて、 個人的に共感したのは今回の記事の最後を飾った医学博士である中原氏の、
「私が池江さんの主治医なら”一緒にご飯を食べて、なべさんに励まされる程度なら問題ないけど、深入りするのは良くない”と言いますね。民間療法に頼った結果、病院での診察が遅れてしまった小林麻央さんのようなケースもあるわけですから。なべさんには、池江さんが民間療法に入り込みすぎないようにするためにも、身を引いてもらいたい」
という言葉です。
週刊新潮は今回この記事のタイトルに「オカルト治療」と言う言葉をハッキリ使っています。
小林麻央さんの闘病中には、周囲に「麻央ちゃんに気を送ってあげている」と話していたという
記事の一文もありましたが、麻央さんは結果としては亡くなっているわけです。
「なべさんが助けることができなかった」ということを言いたいのじゃなく、治る治らないは「気を送る送らない」だけにはよらない、別のさまざまな要因がからみあっての結果であるということです。
池江選手を知る関係者の話では、
なべおさみさんとの接触を掲載した記事が出たあとでも「池江さん本人および彼女の母親となべおさみさんとの関係は続いていると聞いている」という発言もあり、周囲の目があるということでなべおさみさんの娘さんが池江選手のいる病院を訪ね、なべさんの言葉を伝えているという話も。
どこまでが真実なのかはわからないですが、
週刊新潮が最後に
気をつけなければいけない。なべは王氏の時と同様、それを自分の「手柄」のように語る恐れがある--。
という部分の危惧以上に、標準治療を受けているだろうになべおさみさんに頼りたいと思うほどの「なにがあるのだろう」という部分のほうがよほど重要に感じます。
ではまた。
(出典元:『週刊新潮』2019年9月19日号)
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