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堀ちえみブログでのコンビニ話に「急ぎすぎ」ネットも懸念

 

 

ころもです。

 

なんだか風向きが変わってきましたね。

堀ちえみさん、連日ブログで近況報告するのはいいのですが、その頻度や内容が逐一ヤフーニュースに掲載されるため批判的なコメントがだいぶ目立つようになってきています。

 

鶏と卵のような状態で、ヤフーが掲載するのがいけないのか、掲載したくなるようなブログを更新するほうがいけないのか。

 

特別な依頼や契約でもないのなら、一芸能人が好き勝手に書いているブログをピックアップするほうが罪深いわけですが、それとはまた別の次元で純粋に読者が思うことは、あまりの回復の早さへの純粋な驚きと、更新頻度、またその内容と病状とを照らし合わせたうえで勝手に浮かんでしまうちょっとした「?」なのでしょう。

 何とも言えない空気に傷ついた、わかるが、たぶんそれは…

 

今回は発声のリハビリ報告と、コンビニエンスストアで買い物をした際のちょっとしたエピソードを綴った堀さんのブログが記事になっていたわけですが、

 

ヤフコメでは日刊スポーツが記事に使った、

コンビニエンスストアで買い物をした際には、会計時に店員から「袋に入れますか?」と尋ねられ、「袋に入れなくて大丈夫です」と答えると、通じたという。しかし「やはりしゃべり方が随分とおかしいのでしょう。近くにいて私の声を聞いた人の視線が、一瞬に集まりました」という周囲の反応に、「誰が悪い訳でもないが、何とも言えない空気に傷ついた。病室に戻った私は思いっきり泣いた」と堀。

という、ブログの一部分について多く言及されていたように思います。

 

実際の本人のブログではこの部分は、「…リハビリ室を後にしました」という記述のあとに、

そして帰り道にコンビニで
ごはんですよ!を買いました。

と始まり、江戸むらさきの「ごはんですよ」の瓶ひとつだけが画像アップされ、そのあとに、

嚥下食のお粥を、
頑張って食べなければいけないので、
大好物のこれさえあれば!と。

会計の時に店員さんに、
「袋に入れますか?」
と聞かれたので、
「袋に入れなくて大丈夫です」
と答えました。

ちゃんと通じましたが、
やはり喋り方が随分とおかしいのでしょう。

近くにいて私の声を聞いた人の視線が、
一瞬に集まりました。

誰が悪い訳でもないが、
何とも言えない空気に傷ついた。

病室に戻った私は思いっきり泣いた。

と続いていたわけです。

 

これは病院内のコンビニとは明記されてませんが、おそらく病院の中にあるコンビニということでいいのかな。

人によっては、そう読み取っていない人もいるかもしれませんが、いわずもがな、ということで「病院の中にある」という説明にあたる部分は書いてないということなのでしょう。

そこはいいとして、

 

店員さんとのやりとりに読者はまず「?」が湧いたようですね。

 

「袋に入れますか?」と店員さんが言葉にするのは特に問題ないですが、舌がんで舌の6割以上を切除してまだ20日も経過していない堀さんが、

 

「袋に入れなくて大丈夫です」

 

と答える。

おそろしいほどの長文に感じるし、そんなに丁寧に答える必要はないのでは?とも思うし、どういう状態なのだろうかと心底不思議になってしまう。

 

通常のケースでも、これは一番長く丁寧な答え方に属するでしょう。

「いいえ」もしくは「大丈夫です」、さらには声を発せず首を横に振る行為だけでも十分なはず。

 

ましてやそこが病院の中のコンビニならなおのこと。

おそらく堀さんは言語聴覚士とのリハビリの後なので、あえて長文で答えたのだと容易に推察はできるわけですが、読者たちにしてみれば「無理しすぎでは?」という感情を抱いてしまう所以でしょう。

 
加えてそのあとに続く、
 
「喋り方が随分とおかしいのでしょう。近くにいて私の声を聞いた人の視線が一瞬に集まりました。誰が悪い訳でもないが、何とも言えない空気に傷ついた」
 
に、え? 病院の中のコンビニではなかったの?と疑問符が浮かぶわけです。
 
なぜって、
 
病院内のコンビニなら、いろいろな事情の患者さんがいる状態がむしろ普通なわけですから、いちいち発声がおかしいからといって一瞬にしてその発声した人間を見るような状況は考えにくいけどなぁ、と。
 
そして、最初に感じた「それは発声そのものに対してじゃなく、芸能人、堀ちえみさんだったがための驚き」からじゃないかという考えに再度行き着くわけです。
 

つまり、

 
発声がおかしかったから視線を集めてしまい、それがために悲しむというのは”そもそも”悲しむ根源となる状況そのものの解釈が間違っているのでは?という指摘を誘導してしまう。
 
患者さんもお客さんとなる病院内のコンビニで、発声がうまくできないからといって患者がいちいち、しかも一瞬にして視線を集めることなど考えにくいし、何ともいえない空気が出来上がったとしても、それは発声だけの問題だけじゃなく、むしろ芸能人、あの金スマに登場して歌まで唄った堀ちえみさんであったことへの注目、驚きであっただけじゃないのか。
 
という、”間違っているかも知れない解釈”への指摘ですね。
 
一瞬に集まりました、という決めつけた言い方も「一瞬に集まったように感じました」ということなら、また読者の反応もだいぶ違っていたでしょう。
 
自分に視線が一瞬にして「集まりました」と断定的に言ってしまうのは、やはり一部「自意識過剰なのでは?」という批判を招きかねません。
 
なぜなら、そうであるとは限らないし、客観的に見ることができるとは思えないからです。
 
しかし、一瞬に視線が集まったように感じました、ということならば主観的な心の問題なので許される解釈、表現になります。
 
「近くにいて私の声を聞いた人の視線が、一瞬に集まりました」
 
と断定的な言い方で書かれているブログを読んだときに、ああ、これはもしかしたら堀さん自身じゃなく、その堀さんを俯瞰してみることのできる第三者が書いているのかもしれないなと、そう思ったものです。
 

それならこの書き方は非常に納得できるし、成立しますから。

 
第三者から見れば、レジでやりとりしている堀さんがいて、その周辺にいる他のお客さんたちの存在を俯瞰して捉えることができる。
 
発声した瞬間に、その視界におさまったお客さんたちが一斉に、一瞬にして堀さんを見たという瞬間を体現することもあるだろうし、可能性はゼロではない。
 
ならばわかる、ならば。
 
しかし当事者である本人、堀さんが断定的に「一瞬に集まりました」にはやはり無理があるのです。
 
この記事を読んだ読者が感じる違和感があるとするなら、おそらく、堀さん自身が書いているブログであるはずなのに、ときおりそうではない「第三の目」から書かれたような表現があるからじゃないでしょうか。
 
実際、闘病が始まってから少しだけブログを拝見してますが、これが闘病記としてそう遠くない未来に本屋さんで平積みになって「何万部突破!」という店の宣伝文句と一緒に飾られている絵が見えるようでした。
 
おそらく、将来的にはこのブログは書籍化されていくのだろうし、それを視野にしてすでにプロットが出来上がっているのじゃないかという疑念を持ってしまいます。
 
堀さんの頑張りはすごいの一言しかないですが、その頑張りがブログアクセスの増加に直結するためのものでないというには、あまりに頻繁にヤフーが取り上げすぎですね。
 

この状況では、

 
大人しくリハビリに努めて下さい、しっかり静養してください、といった声もそれは出続けることでしょう。
 
小林麻央さんの闘病ブログの頻繁という言葉では片付けられないほどの露出は、結果多くのアンチを生む原因にもなったわけですから、たとえ個人のブログだとしても、そこは完全なる一般人ではないのですから、ヤフーに取り上げられないような声明を出すなりなんなり、いろいろと今後工夫していく必要がありそうです。
 
そして時間が掛かっても、
またテレビに出られるくらい
努力して、
喋れるようになる!

 

ブログの終盤に出てきたこの言葉を読んで、このような状況にあってもテレビに出たいと思う気持ちは理解不能でしたが、それが闘病の目的や本人の「生きるよすが」になるのなら、それはそれで大事なことなのでしょう。

 

 

ではまた。

 

(参考、一部引用:3/13(水)9:50配信 日刊スポーツ、堀ちえみブログ)

 

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