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世の中チョロい!?麻耶の夫がブログで「いのちの授業」語る

 

 

ころもです。

 

本物とニセモノ。

そんな相反する言葉を象徴する記事を、昨晩から今朝の間に2つ読みました。

 

 芸能人気取りの「自称一般人」、一般人なのに「本物の偉人」の違い

 

ひとつはボランティアで有名になった尾畠春夫さんの、

「尾畠さん、東京から大分1320キロ徒歩帰宅へ 昨年山口で男児助出」

というタイトル記事。


(『スポニチアネックス』6:00配信)

 

内容は…

 

東京練馬にある貫井中学校の校長から「ぜひ講演を」と電話や手紙で100回ほど依頼された尾畠さんが、その熱意に根負けして引き受けた講演の中身についての紹介なわけですが、これが実に素晴らしい。

 

名誉も栄誉も見返りも欲しがらず感謝の気持ちと共にボランティアをしてきた尾畠さんなら、それこそ過去のさまざまなボランティア活動について語り尽くせぬほどの武勇伝、エピソードがあるだろうに、今回の貫井中学校での講演50分間というものは「すべて質疑応答」だったというわけです。

 

一番大切にしていることはなんですかという生徒の質問に、

「人に優しく己を小さく。これを私は常に心がけています」

と語り、

 

「まっすぐ自分に正直に生きてほしい。自分に自信を持って、正しいと思ったことを貫いて。五感を働かせていろんなことを体験してほしい」

 とメッセージを残し、この日は都内に宿泊、その後は自宅のある大分まで「およそ1320キロ」を30日かけて徒歩で帰宅するとのこと。しかもすべて野宿だとか。

日銭のためなら姪っ子甥っ子、関わる全ての人々のプライベートやセキュリティなどまるで考えず世界発信する人間が横行するこの世にあって、本当に頭の下がる存在です。

 

79歳の一般人という枠にはおさまらない「本物の」偉人による講演。340人の全校生徒たちに「今は勉強することが義務」と激励した尾畠さんの言葉は、彼の真実の実生活があればこそ輝きを放つし、心にも響くというもの。

 

ましてや、心にもない原稿を読むだけという人も多い眠気を誘うような講演とは大違いの、質疑応答という形も実に素晴らしい。

 

どんなボールが来ても打ち返せるだけの、地に足の着いた「生きた時間」があればこその自信からでしょう。

やるだけのことをやり、それを吹聴することも自慢することもなく積み上げてきた実績があればこその「質疑応答」。

 

本物は違うなぁ。

 

やましいこともなく、飾る自分もないからこそどんな球も打ち返すことができる。

イメージアップキャンペーンのための講演じゃないからこそ、出たとこ勝負の質疑応答という形にも動じず、本当にその現場にいる人々の興味関心、疑問に応える生きた講演を実施することができる。

 

口先だけで「ボランティア」の「ボ」の字もする気がない人間など足元にも及ばない、本物の言葉がそこにある。尾畠さんにこそ講演をして欲しいと熱望した校長の存在も同様に素晴らしい。

 

多くの人間と対峙して「ものを語る」人間は、最低でも言動一致、有言実行、もしくは不言実行であることが求められるわけで、そのときどきに耳障りのいい言葉を吐き、善人ぶるような人間はまちがっても壇上や人前に立つべきではない。

 

それは多くの人の偽らざる気持ちでしょう。


口先だけの人間ほど軽蔑に値する人間はいないし、その口八丁手八丁の自分を恥ずかしげもなく世界発信するなど愚の骨頂以外の何ものでもない。

 

 

そう、ここで取り上げたい「もうひとつの記事」は……

 

麻耶さんはご主人に「何を」させてるの!?

 

先日、気の迷いからのぞいてしまった國光吟さんのオフィシャルブログ。

”勝手のわからない世界”に迷い込んできた生き物が戸惑いのままにノルマをこなしているとしか思えない稚拙すぎるこのブログ。

 

怖いもの見たさに時々覗いてしまうのですが、昨日は目を疑う「いのちの授業」という文字がタイトルにあるではないですか。

 

何のことかと積み木のような味気ない文章をたどっていくと、

今日は、初めて麻耶ちゃんの、いのちの授業を受けてきました。

 
とても素晴らしく、大切な授業だと思いました。
 
僕が話すわけではないのですが、これからもいろんな方々に聞いて欲しいと思いました。
 
大勢の人の前で、話してる姿がかっこよく、とても素敵でした。
 
学生さんの皆さんも真剣に聞いてくれていて、感動して、涙を流している学生さんもいました。
 
そんな麻耶ちゃんの素敵な姿に影響され、したい事ができました。 

 (引用元:國光吟 オフィシャルブログ「いのちの授業」より)

 

とある。

 

いのちの授業!?

 

ロングのプリーツスカートにマイクを両手で握りしめる麻耶さんの画像まで掲載されている。

 

まさか、まだ人前で「いのち」のなんたるやについて語っているわけじゃないですよね?

 

誤解を恐れずにいえば、たった一人、それも今や日本人の二人に一人がガンになる時代に、ガンで亡くなった身内が一人いるだけで「紅白に一度出場すれば10年食べていける歌手」と同じような甘い考えで講演に味をしめているわけじゃないですよね。

 

自分たちの口にする命そのものといっていい食事ひとつ自炊している様子がない、言い方が間違っているなら言い換えましょう、日々を支え、つながっていたいはずの読者に「そんなものを食べてばかりで大丈夫なのか」と心配させるばかりのブログしか書けない人に、まさか、よもや、「人間の命」について語らせているなんてことはないですよね!?

 

ガンに蝕まれた命を間近に見ていながら、そのガンが何より欲しがるスイーツ三昧の日々を送り、それを罪悪感も警鐘もなく嬉々として世界発信している人間に、まさか「いのちの大切さ」について語らせる場所が設けられているのだとしたら、これはまさしく由々しき事態といっていいでしょう。

 

志がないから

 

有り余るほどの時間があっても、ガンに関する勉強もしないし、していないからそれを世間に公表することもない。

本気で妹の死に学ぶなら、もう読むものがないほどにガンについて学ぶ姿勢を見せるべきだし、そこで得た知識のひとつやふたつ、現状苦しんでいる、あるいは未来への予防としても役立ててもらえる知恵を発信したらどうなのか。

 

悲しい、くやしい、そんな言葉を何千回、何万回発してスイーツ画像を添付しまくる時間があるなら、たった一冊でもいいからがんに関する本を熟読して、そこから世間の人々に役立つ情報を、首の皮一枚でつながっているオフィシャルブログを最大限に活用して発信したらどうなのか。

 

言動不一致の頂きに立っているとしか見えない、自称一般人にウンチクを語らせる側の見識の甘さと浅さを軽蔑します。

 

本物とニセモノ。

 

同じ「講演」という言葉でもこうも違うのだから、選ぶほうの良識が問われます。

 

ではまた。

 

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