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麻耶 夫とのスピ系出逢い否定記事にヤフコメ「嘘つき」の嵐

 

 

ころもです。

 

 

考えは言葉となり、
言葉は行動となり、
行動は習慣となり、
習慣は人格となり、
人格は運命となる。

 

イギリス初の女性首相、マーガレット・サッチャーの有名な言葉です。

 

生きている、ただそれだけで関わる人々に「不信感」ばかり募らせる。

 

そんな人物がもし周囲に一人でもいたとしたら、その心地悪さから殆どの人々がその周囲から離れようとするでしょう。

誰の話をしているのか、それはいまさら言う必要もないと思います。

忖度しまくりのマスコミより”ヤフコメ欄が現実を写す鏡”に 

昨日9日、夕方16:56配信の「夕刊フジ」の記事。

大人の事情や縛りがあることはわかります。

 

しかしあまりに痒いところに手が届かない記事内容に、麻耶さんブログの読者たちはイライラを募らせ、記事の補足や推測以上の熱量でもって、一般人となっても芸能にしがみついている麻耶さんの矛盾極まりない言動に喝を入れていますね。

 

一マスコミの「一記者」の洞察の稚拙さを補ってあまりある素晴らしい見解がヤフコメ欄には広がっています。

 

辛辣といえばそれで話は終わってしまいますが、百戦錬磨、百鬼夜行の社会を生きている市井の人々の嘘偽りのない感想ほど「溜飲の下がる」ものはありません。

 

そこには誰に忖度する必要もない本音が書かれているからです。

今回の「夕刊フジ」の記事を引用させて貰うと(以下、囲みの中は引用)、

 

7月24日に電撃結婚し、8月3日に芸能界を引退した麻耶さん。著書での電撃婚の告白は7日付サンケイスポーツが報じた。同紙によると、腰痛などの施術をする一般人の夫との出会いは、今年6月に行きつけの美容院スタッフから聞いたことがきっかけだった。

 6月22日に歌舞伎役者、市川海老蔵(40)の妻で、麻耶さんの妹の麻央さん(享年34)の一周忌の後、友人を交えて3人でカフェに行った帰りのタクシーで2人きりになるとまさかのプロポーズ。麻耶さんは結局、交際0日で結婚を決断したという。

 「麻耶さんの夫は整体師ですが、“宇宙ヨガ”を広めているヒーリング整体師と一部メディアでは報じられました。さらには、2人の出会いは子宮に関するスピリチュアルなイベント会場だったという報道もあったのです」と週刊誌記者。

 こうした報道に、麻耶さんは10月12日、ブログで「夫との出会いが2年前?の子宮系イベントということになっている記事があるそうなのですが…」と言及し、「事実無根です」とキッパリ否定したのだ。

 時系列的には、2年前の出会いが事実無根であれば、自著と整合性がとれるわけだが、ここまで否定する理由は何か。

 「麻耶さんは、夫が海老蔵に似ていると報じられたときも、『正直真逆の雰囲気』と完全否定した上、『海老蔵さんとは、家族です。それ以上でも、それ以下でもありません』と怒りの書き込みまでしました。成田屋を巻き込みかねない報道には過敏に反応しています」と先の週刊誌記者。

 ここには“梨園”への配慮があるのだろうか。

 「実際、海老蔵は麻耶さんの結婚に対しては、素っ気ないコメントだけでした。海老蔵の長男の運動会にも、麻耶の夫は参加しませんでした。どこか距離を置いているのです」と続ける。

 あやしげな話は否定しておくに限るのだ。

(引用元:『夕刊フジ』16:56配信)

 

配慮、という文字だけ大文字に強調させてもらいました。

というのも、これが一番ひっかかるワードだったからです。

 

残念ながら、麻耶さんにもっとも欠けているのは配慮といってもいいぐらいで、それを「梨園の配慮があるのだろうか」という推察程度の一行でも記事に入れてしまうというのは、それこそあまりに”配慮のない”文面に思えてならないのです。

 

赤文字にした部分にある「事実無根」という否定の仕方も、非常にうまい逃げ方だなというのが多くの読者の共通の認識ではないのでしょうか。

 

言葉というのは「虚」も「実」も書き分ける事ができるものである以上、丁寧に読み取らないといけないわけです。

 

つまり、何を否定して何を肯定している内容なのかをきちんと読み取る必要があるということ。

 

ここで言えば、

 

「夫との出会いが2年前?の子宮系イベントということになっている記事があるそうなのですが…」と言及し、「事実無根です」とキッパリ否定した

 

という部分ですね。

 

このことについて「事実無根です」とキッパリ麻耶さんが否定しているのだから、子宮系イベントとは無関係、そんなイベントで知り合ってはいないんだ、安心したと解釈してしまった人が大勢いることでしょう。

 

でも、本当にそうでしょうか

 

 

この太字の2行には、2つの事柄が同時に入っているわけです。どちらかが違っていればそれを特定せずに「間違っている」ということが許されてしまう。

 

つまり、

 

①2年前に出会っている
②子宮系イベントで出会っている

 

この2つの事柄がいっぺんに語られていることがややこしくさせているのです。

 

①だけが違っていたら(たとえば1年前、あるいは半年前とか)、たとえ子宮系イベントで知り合ったのが事実だとしても、この文章そのものを否定することが許されてしまう、出来てしまうのです。

 

同じことが②についても言えるわけで、

 

2年前に出会っていても、それが子宮系イベントじゃなかったら、これも一緒くたに「事実無根」と一刀両断に切り捨てることができてしまう。

 

正直、一般人となった麻耶さんが誰といつどう知り合ってもファン以外の読者はどうでもいいと思っているでしょうし、実際どうでもいいことです。

 

特筆すべきことがあるとすれば、彼女が心酔しているらしい人々の「教義」、その拡がりを危惧しているのであり、それが自分たちの人生に何らかの悪影響を与えるのではないかといった漠然とした不安を持っているのでもあり、麻耶さんという元芸NO人についての興味とは一線を画すものでしょう。

 

回りくどい言い方になってしまいましたが、事実無根という麻耶さんの言葉は「2年前?に知り合った」ということにおいてのみ否定している可能性もあるわけで、子宮系イベントでなど知り合っていない、という否定の仕方はしていないことにこそ注目すべきではないかと。

 

たとえ子宮系イベントで知り合っていたとしても、胡散臭いイベント内容であることが周知された今となっては否定するのが当然だろうし、写真が拡散されている事実がそれを木っ端微塵に打ち砕くほどの客観的証拠になるわけですから、本人の否定に動揺する必要もないのです。

 

真実はひとつ。

 

でも、言葉は無限。

 

そこさえわかっていれば、麻耶さんの「対処療法的な」言葉の絆創膏などすぐに剥がれていくのですから、誠実じゃない言葉を重ねれば重ねるほど読者が離れる現実を知ることになるだけ。

 

それにしても「夕刊フジ」に掲載されている麻耶さんの顎に両拳をもってくるぶりっ子写真、泰葉さんにそっくりです。

 

決して新しくないこの写真を最新記事で使用するということは、ダヴィンチのごとく、画像に多くのメッセージを込めたつもりなのか?

 

と、そこまではちょっと言い過ぎか。

 

ではまた。

 

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