毒舌ころも

気になることは胸に秘めず口にするサイト

生稲晃子に麻木久仁子に麻倉未稀”乳がん治療”の宣告と経緯

 

 

ころもです。

 

日本人女性の11人に一人が発症、30〜64歳の死亡原因ナンバー・ワンである「乳がん」。

 

今週号の『FLASH』では、「妻、彼女が乳がんを宣告されたら…」という題材で有名人3人をピックアップ、それぞれの「闘病記録」を公開しています。

 

その3人とは生稲晃子さん、麻木久仁子さん、麻倉未稀さん。

 

一口に「乳がん」といっても、闘い方は人それぞれ。

「妻、彼女が乳がんを宣告されたら…」という題材にあるように、今回の記事は男性が乳がんを「どう受け止め、対処すべきか」を考察するのに参考となるでしょう。

 麻木久仁子さん(55歳)の場合

〜闘病記録〜

◯ 2010年12月:48歳で軽度の脳梗塞を発症。生活や健康を見直すきっかけに。

◯ 2012年8月 :50歳を目前に人間ドックへ。
         マンモグラフィー検査で乳房に影。
         国立がん研究センターで再検査、左右の乳房にがんが見つかる。

◯ 2012年10月:切除手術。
         術後、約1カ月の放射線治療を経てホルモン療法を続ける。
◯ 2017年11月:5年間の治療が終了。

 

麻木さんは現在、「転移なし、再発の可能性も低いと医師のお墨付きをもらい、半年に一度の検診を受けている」といいます。

 

それもこれも、見つかったのがごく初期だったということが幸いしているとのこと。

 

とはいえ楽ではなかった治療について、

「放射線は一ヶ月間、毎日病院に通いました。ホルモン療法はやはり副作用がありますね。更年期のように期限が悪くなったり。あとは太りやすくなったり。まあ年齢のせいもあるかもしれませんけど」

と語っています。

 

🔳男性ができることはなにか? 

 

「奥さん、パートナーに『検診に行きなさい』というのは男性の役目。セックスしていればしこりが見つかる、という話もありますが、それで見つかるとは限りません。そして、もし乳房を切除することになっても『女じゃなくなるのか』などと、冗談のつもりでも絶対に口にしないこと。男性だって前立腺を切って『もう男じゃないのね』なんて言われたら嫌でしょう」

とのこと。

さらに

「インターネットなどで得たあやふやな知識は役に立ちません。どういう治療を選択するかは本人次第。ただ、トンデモ本を真に受けて、抗がん剤や治療を否定したり、お茶で治すとか怪しい治療を受けようとしているときは止めるべき。標準治療で治る人が間違った方向に行こうとしていたら止めてあげてください」

とも。

 

 

 

生稲晃子さん(50歳)の場合

〜闘病記録〜

◯ 2011年1月:人間ドックの超音波検査で、再検査の通知

     3月:穿刺吸引細胞診

       (病変部位に針を刺して細胞を吸引し、顕微鏡で細胞の性質を
        検査する)により悪性と告知あり

     5月:初期だったため、乳房温存術(部分切除術)を行う。
        リンパへの転移はなし
     7月:放射線治療開始
     8月:ホルモン療法開始
◯ 2012年夏:右乳房に再発
     9月:乳房温存術(部分切除術)をおこなう
◯ 2013年11月:右乳房に再々発
     12月:右乳房全摘同時再建術を受ける
◯ 2015年10月:再び右乳房再建手術を受ける
◯ 2018年10月現在、ホルモン療法を継続中 

 

治療をすれば治るものだと思っていた生稲さんのガンが再発したのが2012年の夏。
このときは部分切除で済んだそうですが、翌年には再々発してしまいます。

 

「治療をしているのに2回も再発したのはショックでした。先生からは、次に再発したら危険ですと、右胸の全摘手術をすすめられました。娘もまだ7歳だったので、成人するまでは死ぬわけにいかないと、全摘を決めました

母は強しですね。
しかし、全摘ですからそれは色々な思いがあったことでしょう。

 

「45年間、ともに生きてきた体の一部なのに…と思ったら、右胸に申し訳なくって。手術の前日は右胸をずっと触りながら、謝っていました」

 

命のためとはいえ、自分の一部であったものとの別れは体験者にしかわからないことでしょう。

 

それでも彼女はまだ幼い娘のために全摘と乳房再建の道を選択したということです。

 

全摘手術と同時に乳房再建のために皮膚を伸ばす「エキスパンダー」挿入術も受けた生稲さんは、

「放射線治療で皮膚が固くなってしまったため、こわばっているような強い痛みが3ヶ月以上続きました。普通は半年ぐらいで皮膚が伸びるそうですが、2年ほどかかりました。私のように放射線、再建と治療を受けると、同じような場合が多いと思います。でも、時間はかかっても再建の可能性があるんだと、伝えていきたいです」

と。

 

そんな生稲さんの、約5年間にわたる闘病を支えたのはご主人の接し方だったといいます。

 

「私がガンになった年に、主人の父が病気で亡くなりました。相当つらかったはずなのに、普段どおりに接してくれたのがありがたかった。今思うと、変わらない日常を送れることがいいことなんじゃないかなって。もうひとつは、私が必要なんだと思わせてくれたこと。家庭でも仕事でも、自分が必要とされているという気持ちを持てたことで、治療も頑張れたと思います」 

 これは本当に重要。

誰かに必要とされる。
これほどの生き甲斐はないでしょう。

 

コメンテーターとしても活躍している生稲さんの自然な笑顔を見ていると、闘病中の方ということを忘れる瞬間があります。

なるほど、そういう背景があったのか。

 

 

麻倉未稀さん(58歳)の場合

〜闘病記録〜

◯ 2007年 :乳血栓が見つかる。
       3年ほど通院(※このときは腫瘍は発見されず)

◯ 2017年4月:番組の企画で受けた人間ドックのマンモグラフィーで腫瘍が見つかる。2センチ強のものが2つ。再検査で初期のガンと確定。2つに見えたものは、乳頭の裏で繋がっており、ひょうたん型の4.8センチほどのものだった

 

    6月:左乳房の全摘同時再建術を行う。
       初期でリンパへの転移はなし

    7月:ホルモン療法開始、現在に至る

 

 

麻倉未稀さんはテレビ番組の企画でガンが見つかりました。この番組は視聴していたのでよく覚えています。

公表するかどうか悩んだそうですが、「視聴者の啓蒙になれば」ということで公表することにしたのだそう。

 

医師からは術後の通院のことも考えて、近くの病院を探すことを勧められたといいます。

 

麻倉さんの場合、

「検査の映像で乳頭の裏に腫瘍があるのがわかったので、全摘は避けられませんでした。先生にまずお聞きしたのは、いつから歌えるかということ。胸が無くなっても歌は歌えますから、決断は早かったです」

 

と言います。

乳房を失う事以上に「歌が歌えなくなる」ことのほうが怖いということでしょう。

「いい病院といい先生に出会えました。私は手術後の治療はホルモン療法だけでしたが、左胸を全摘した影響で、左腕が痛くて上がらなかった。今もリハビリに通っているので、自宅から近い病院でよかったですね」

 

通院を考慮して近くの病院に引っ越しをして良かったですね。声も手術をする前より出るようになったといいます。

 

麻倉さんの場合、ガンになって変わったこととして、

 

「当時、主人は数年間病気を患っていました。それもあって検診に行く時間がなく、『乳がんになったのは俺のせいではないか』と主人は自分を責めていたんです。それを知ってから、病状や私の気持ちを本音で話すようにしました。最初は主人も腫れ物にさわるような接し方でしたが、一気に二人の距離が縮まった。寄り添ってくれている、病気を共有してくれているという安心感が生まれました」

 

と語っています。

悪いことばかりではない、ということでしょう。

 

麻倉さんは「…費用を気にして検診に行けないという声も聞くので、奥さんが行きやすいように『検診に行けよ』と声をかけてあげてください」とアドバイスしています。

 

 

いかがでしたか。

それぞれの向き合い方、それぞれの”生きるよすが”を知ることができたのではないでしょうか。

 

ではまた。

 

(出典・引用元:『FLASH』11月6日号)