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麻耶 しれ〜っと「誕生日数秘」再開!叱る人間誰もなし!?

 

 

ころもです。

 

結婚相手の母親が「本当にお相手は小林さんなのでしょうか」と語った、あの週刊誌記事。

 

そして、親しい人間たちほどこの件には触れず、語らず、踏み込まずという不気味。

 

麻耶さんが「いかに自分は祝福されているか」「いかに自分は幸せを満喫しているか」を、どうにでも偽装できる言葉や花束で語れば語るほど、演出すればするほど「胡散臭さ」が際立っていくばかり。

 

赤子の手をひねるより簡単なテクニックでブログ読者を増やすことができるとわかっていれば、それは誠実に生きることに何の価値も見出さなくなるでしょう。

近ごろとみに思うのは麻耶さん本人の性格に垣間見える問題もさることながら、何を言っても助言ひとつできない、ただただ賞賛あるのみで神輿を担ぐ「一部読者ファン」の間違った熱狂、その存在そのものの悪質さです。

 

ま、そうはいってもまともな意見や助言はすべて弾かれるのであれば打つ手がないですが。

おかしいことを「おかしい」と指摘しない、罪

 

多種多様な人間が、それぞれの価値観で生きることができる。
それはとても素晴らしいことだし、望むべき世界ではあります。

 

しかし限られた資源、共有するものの多い地球上で生きていく以上、そこには最低限のルール、マナーというものがあり、自由を謳うそのかたわらで通常の人々はきちんと果たすべきルールも守っているという現実がある。

 

働くというのは、人が動くということ。
言葉だけではこの世は成り立たない。

 

誰もがしたくないことを、それでも「誰かがしなければならない」という場面がいくらでもあるわけです。

 

しなくていいがまんなら、基本それはしなければいいでしょう。
けれども「しなくていいがまんをしない」選択をする自分が成立するのは、しなくていいがまんを「させてくれている」誰かがいて、その人が語らぬ犠牲を背負っていると想像できないのでしょうか。

 

それができれば、語り尽くされた「何番煎じ」かもわからない本の出版を嬉々として発表することなどできないのですが、それを麻耶さんに求めるほうがどうかしてると言われるのがオチですね。時間の無駄というやつです。

 

 

やったりやらなかったり、いい加減すぎる「数秘」

 

本日もさっそく10:44にブログを更新。

タイトルは「2018/09/25」。

 

こんにちは!!
 
いいね、コメント
ありがとうございます。
 
 
 
昨日の東京タワーのライトアップは、
お月見ダイヤモンドヴェールでした。
 
 
お月様を見やすいように、
上部と足元を敢えて消灯しているそうです! 

 

東京タワーが中央に写る夜景の画像がUPされ、その下に、
 
今日は、
満月ダイヤモンドヴェール
バージョンだそうです
 
 
 
9月25日生まれの方
お誕生日おめでとうございます
ステキな一年になりますように♡
 
 
抜群の感性があり、
アーティスト気質、芸術肌!!!
 
自分の世界観に浸れる空間や時間を
作ることで、能力がさらに開花します
 
完璧主義すぎないように
気をつけてくださいネ

で終わり。

 

適当ですね、誕生日数秘。

 

期待させたり失望させたり、本当に読者を弄ぶ天才ですね。
一貫性のないことをすることは「信用を失いたい」と切望する人がやること。

 

それを気にしないということは麻耶さんにとって大事なのは徹頭徹尾「自分だけの価値観、幸せ、喜び」つまりは究極の自己愛のみに生きていたい人なのだなと解釈されてもやむを得ないということです。

 

やるにしても、やらないにしても、きちっと説明しては?

 

なぜ止めることにしたのか。
なぜ再開することにしたのか。

 

中には自分の誕生日数秘を心待ちにしている読者もいるかもしれない。

批判しかないような「芸能人枠」のブログを続ける理由が読者への恩返しであるなら、その読者が「一体何を求めているのか」を考え、それに見合った内容を提供するのが筋でしょう。

 

何を食べた、これをもらった、さあどうだ、ほめよ、そやせよでは一時的にフォロワーが増えても、その何倍もの早さで消えていくことでしょう。

 

それにしてもご主人の存在が「言葉だけでのみ存在」して、まったくもって感じられませんね。

ある日突然、週刊誌にまた不思議なツーショット画像とともにお目見えするのでしょうが、本が出るまではミステリアスな存在にさせておく必要があるのかもしれません。

 

ややこしい一般人です。

 

ではまた。

(引用元:小林麻耶オフィシャルブログより)

 

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