ころもです。
まさかと思っていましたが、麻耶さんが16:15に更新しました。
タイトルは「2018/09/13」。
昨日、ひた隠しにしていたご主人の素性がネットニュースで明らかにされ、明けての今日、それがしっかり記事となって『女性セブン』から発売となったことで多くの批判、非難の声が耳に入り、語るべき言葉を失ってしまったのでしょうか。
先ほど更新されたブログは、「すべて図星です」と言ったも同然の内容で、週刊誌への反論の言葉や明かされたご主人についての反撃や否定の記述などは一切ありませんでした。
ある意味、もっと早くにインスタをすべきだった!?
ブログにインスタ、そしてそれを炎上させる麻耶さんの狭小で偏った価値観や世界観。
まるで批判されるために継続しているブログであり、炎上させるためのインスタに成り下がってしまっている今だから思うことは、引退前の現役時代にこそインスタをやって世間の「削除されない本当の声」を聞くチャンスがあったら良かったのにということ。
もちろん、本人さえその気になればエゴサーチをしているなかで自分へ向けられる客観的で辛辣な意見があることを真摯に受け止める機会などいくらでもあったわけですが、インスタという自分からも他者からも平等に目に入るものによって、自分勝手な解釈ではない、ニュートラルな世間の視線、そこからの評判なるものを俯瞰して見る眼が養われたのじゃないかと、ふと思ったゆえのことです。
さてそれはいいとして、
どんな内容のブログを書いたのでしょうか。
「心無い人」発言の浅薄さがさらに追い打ちをかけている
麻耶さんのブログ収入が一家の柱になっているということなのでしょうか。
わからないですが、語らなくてはいけないときに語るべき誠実さも感じられないブログ内容を更新するというのは、誠実さ云々以上に切実で逼迫したものが麻耶さんの生活を覆い尽くしているということでしょうか。
それはご主人によって解消されることのないものだから、麻耶さんが集中砲火を浴びても嘘ではないかと罵詈雑言を浴びせかけられても止めることができないのでしょうか。
だとしたら、とてもお惚気シリーズを続けることなどできないほどに、悲しい現在、生活を送っているのだなと他人の眼には映ってしまいます。
今日のブログ内容は、
北海道地震から一週間。一日も早く日常が戻り、心穏やかに過ごせますように。
で冒頭始まり、その下にピンク色のコスモスのアップ画像が掲載され、
豪雨、台風、大地震
被災された方、心からお見舞い申し上げます。
の言葉が続き、これにて終わりとなっています。
以上です、短いし、そうまでして更新する意味がわからないほどの内容となっています。
要は、更新回数がブログ収入に直結するということでしょう。
中身がなかろうと、とにかく日々更新する。
それが重要なのだろうと推測するしかありません。
なぜなら何万回祈るより、月に何百万もあるブログ収入の一部でも現実に被災地に寄付したのなら、それだけでも助かる機関、人、命があることがわかりながら、それをした様子も予定も素振りも今のところブログやインスタには掲載がないから。
口先だけ、言葉だけ、綺麗ごとだけで励ますなら誰にでもできます。そしてそんな当然のことで歯の浮くような賛辞や称賛や激励の言葉など一般の方々は期待していません。
でも、麻耶さんは気持ちよくなってきたのじゃないですか。
被災地に行くこともなく、寄付という形をとらなくても、花一輪画像アップし、心穏やかな日が早く訪れるよう見舞いの言葉の一行、二行も入れれば、
いい人、素敵な人、素晴らしい人、
そういう称賛がたくさんインスタに溢れる自分に。
でも、冷静に見ている人は気付いてます。
誰もが思っているし声がけしていることを、ただブログでつづっているだけだということを。
ただ、その誰もが口にしたり思っている言葉がより多くの人の眼に触れているだけで、とんでもない人格者のように語られ、褒めちぎられ、持ち上げられていることの奇妙さ、不気味さ、滑稽さについても見抜いていますが。
ポルシェを欲しがることが悪いわけでも、宇宙ヨガインストラクターの方と一緒になることが許されないわけでもありません。それが心からの望みなら他人があれこれいうものでないこともわかります。
しかし一貫してわからないのは…
いい人であろうとすることでどこへ行こうとしているのですか。
なぜ、いい人であろうと自らの言動を偽るのでしょう。
多くの人の疑念や当惑はそこに集中するのじゃないでしょうか。
ポルシェが欲しいなら、そうブログに書いて「長いこと芸能界で頑張った自分へのご褒美」くらいに言ったほうが、違反切符を切られたことで世間にばれてしまうよりずっと良かったのじゃないでしょうか。
海老蔵さんとの噂が出たときに、そのタイミングで否定することができたのに沈黙を続けて誤解を助長させ、大切な妹の一年祭のタイミングでその場の皆を驚かせるような発言をしたり、大切な甥っ子の舞台の話題をかっさらうような電撃婚の発表や、心配するファンの声を大地震によって嘘が暴かれるまで放置するという、そういった大小さまざまな言動の不誠実さが、今の麻耶さんの被災地への言葉を「非常に空虚」なものにしてしまっているのです。
もし、実は陰ながら被災地へ赴きボランティアをしているのだとしたら、大変申し訳ありません。
もし、実は多額の寄付金を被災地にしているのだとしたら、何も知らずに勝手なことを言って申し訳ありません。
もし、もし、もし…
花の画像も悪くないですが、北海道に「大恩人」が本当に存在しているのなら、その方も含めての北海道や被災地の方々へ上っ面の言葉だけじゃない、何にでも変化できて役に立つ寄付など行ったらいかがでしょう。
金額の大小じゃなく、その小さくとも大きな一歩がブログやインスタから見えれば、麻耶さん自身ももっと生きやすくなるのじゃないかと思ってしまいます。
花に罪はありません。
花そのものは美しいです。
ではまた。
(引用元:小林麻耶オフィシャルブログより)