毒舌ころも

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麻耶どこまでも守銭奴!?「誰が買うねん!」本出版に批判続出か

 

 

ころもです。

 

お金のため、それしかないと批判されても否定しきれないでしょうね。

これだけあからさまな荒稼ぎの仕方をしていれば。

 

 

アクセスの協力をしたくないので極力サイトを開かないようにしてましたが、今度は「何をやらかしたのか」という動機でついついアクセスしてしまう。

 

注目にはいくつか種類があって、ひとつは純粋にその人のことを知りたい、今日はどうしているのか、今度はどこへ行ったのか、好意的な視点といっていいでしょう。

 

またひとつは、突拍子もない言動によって人の気を引く「人物や事柄」に対して、その詳細を知っておきたいという興味関心、また危機管理能力が冴え渡って知っておいたほうが安全かもしれないという意味合いの注目、好奇心の部類といった視点です。

 

ブログとヤフーが結託しているのかと揶揄したくなるほど、「一般人小林麻耶さん」のブログが更新されるたびに、現役芸能人の方々に混じって報道されることの不気味。

 

これ、どんな闇によるものなのでしょう。

 これ以上嫌われると、生きにくくないですか

 

これほどメンタルの強い女性は過去自分の周辺にはいなかったように思います。

 

一般人となってからも平気で「芸能人枠ブログ」を使用、ブログ読者への恩返しという名目とはまるで裏腹な「おのろけ自慢ブログ」を世間の批判も完全無視して何事もなかったように連日嬉々として更新する。

 

このメンタル、どこで培われたのでしょうか。

 

麻央さん闘病中に集まった同情、そして身内なら当然のことをしていただけなのに、普段のキャラがキャラだけに「いいお姉さん」という表層上の褒め言葉をもらってしまい、一時的にせよ内情を知らない世間からの評価が上がった時期もありましたが、

 

それも今は昔。

 

奔放を絵に描いたような言動の連続は、芸能界のみならず一般社会の人々からも批判されることが多く、多種多様な世間の声を反映する「ヤフコメ」では、かつての評価のかけらすらなくなり、彼女へ対する憤り、嫌悪、不信…、そういった感情のオンパレードになっています。

 

24時間マラソンでトライアスロンに挑んだみやぞんさんなど本来は、番組の道連れになって非難対象になってもおかしくないのに、そのもともとの人間性からむしろ同情され、攻撃されることもほぼない状態です。

 

彼の日々の言動から、みんながその人間性を信頼しているのでしょう。番組をけなすことはあっても、彼のことは切り離して責めない。人徳というものですね。

 

しかし鋼の心臓を持つ麻耶さんは馬耳東風。
どこ吹く風で、今度は皮肉を極めるタイトル、

 

「しなくていいがまん」という本を書いたと、出版しますよという内容のブログを更新しました。

 

この世で誰よりも「我慢」や「忍耐」から遠いところにいるような言動を繰り返してきたと世間に思われている麻耶さんが、「しなくていいがまん」という本を出版したということは、ある意味最大のユーモアとも言えそう。

 

 

確実に減り続けている「読者登録数」、現在の名は「フォロワー」

 

一晩で100名以上の読者が減ってますね。

麻耶さん自身は自称一般人になってからほぼ連日ブログ更新しているわけですが、一時的なアクセスによるランキング上昇こそあれど、ブログそのものに対する興味関心は日々薄れていっているだけでなく、それを麻耶さん自身に思い知って欲しいという意志を反映させる手段として「読者登録」の解除という手順を敢えて踏んでいるのだと思います。

 

興味関心がなくなったならただブログにアクセスせず、読者登録していたとしても読まなければいいだけのことなのに、敢えてそこに「解除という一手間」をかける。

 

これは、興味関心がなくなったというレベルにとどまらず、麻耶さんブログに登録している事自体に耐えられない、屈辱、汚点ぐらいに捉え、憤慨している読者から麻耶さんへの抗議、呆れましたという意思表示と解釈していいのではないでしょうか。

 

そうでなければ「ただ放置」しておけばいいだけのことですから。
何かの手を休めても読者として組み込まれ、カウントされている自分の「数字」を無きものにしたい、そこから抜けたいという願望のなせるワザ、ひと手間に思います。

 

 

むしろ今こそが芸能活動をしているといっていいのでは!?

 

自己顕示欲や承認欲求の強い人々にとって芸能界ほど水の合う場所はないのでしょう。なんやかんやと理由をつけては舞い戻ってくる芸能人が大勢います。

 

昨日28日の22:29に麻耶さんが更新したブログタイトルは、

 

「2018年11月11日発売!」というもの。

 

読まなくともわかりますね。
本の出版のことは引退報告ブログのときに触れてましたから。

 

説明不要ですが、書くという作業は麻耶さんの決して得意ではない分野のことなので多くの人の協力を経ての出版かと思いますが、問題は、わかりきったそんな事より内容でしょう。

 

ブログの1行目は、

『しなくていいがまん』

 という本のタイトルで、すぐ下にはそのタイトルと署名が入っている原稿用紙が数枚重なっている画像が添付されてます。

 

そしてこの画像の下には、

我ながら...
 
いい本が出来ました。

 と自画自賛の言葉が入り、

 
この本を読んだ方が
 
生きるのが... 楽になるといいな
 
と、願いながら書きました。
これほど自分が「世間からどう見えているか、どう映っているか」を客観視できない人も珍しいですね。
 
麻耶さんは「しなくていいがまん」をしている人をなぐさめる、そんな力量のある人とはみなされていない。そのことを理解したら、「この本を読んだ方が生きるのが…楽になるといいな、と願いながら」といった余計なことをいってイイ人ぶらず、自分がラクになるために、自分がやってきたこと、自分が実践しているラクな生き方を書きました、のほうがよほど好感がもてるというものです。

 

続けて、

メディアから離れと言ってしまいましたが、
 
本を書かせていただきました。
 
よろしくお願い申し上げます。

 

メディアから離れと言ってしまいましたが、
 
この一行をピックアップしただけでも、麻耶さんの言葉の不自由さがわかるわけですが、もっとわかりやすく書かないと。
 
しかも、
 
言ってしまいましたが、
 
って……、
 
衝動でつい言ってしまったような、いつも1分後のことが想像できないような言い方をしていますが、そろそろ、何かを言う前に、書く前に、発表する前に、その後の反響、反応についてわずかな時間でも考える癖をつけたほうがいいですよ。
 
 
結婚してしまった、引退してしまった…
 
なにもかも、衝動に突き動かされてそうしてしまったように見られてしまうし、事実そういう部分があるのだろうなと、要らぬ詮索をさせる材料を自らばら撒いていることに気が付かないと。
 
 
今麻耶さんがやっていることは、走りながらハンカチを落とし、そのハンカチを拾った人に「なんで拾うんですか」と逆ギレしているようなものです。
 
ハンカチを落としたのだから、それに気付いた人は声をかけるでしょう。
場合によっては声もかけるかもしれない。
 
そのことにキレるよりも、ハンカチを落とさないようにしっかりポケットに落とし込み、走ることをやめて静かに前を向いて歩けばいいだけのことです。
 
きれいなハンカチを落としたときには、拾ってくれた方に礼を言い、そうじゃないハンカチを拾った人間には楯突く。
 
そんな矛盾を許すほど世の中は寛容じゃありません。
 
引退したのならそれらしくしましょう。
引退したくないのなら、記者に追われることも仕方ない。
 
美味しいとこ取りをして、自分勝手にふるまうから世間から叩かれるのです。
「しなくていいがまん」を出版したいのは、むしろ選択もしていないのにヤフーニュースで麻耶さんの記事を目にせざるをえない読者のほうです。
 
 
ではまた。
 
(引用元:「小林麻耶オフィシャルブログ」より)