毒舌ころも

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りゅうちぇる タトゥーインスタ掲載は賛否両論が正常では!?

 

 

ころもです。

 

りゅうちぇるさんやぺこちゃんは嫌いじゃないんです。
動物好きだし、感じもいい。

 

ただ、その人を嫌いじゃないからといって、その人の発する「すべてを肯定」しなくてはいけないという強迫観念は必要ないと思っています。

 

対象がなんであれ、盲目的、妄信的になることは非常に危険。


そういう意味で、ぺこちゃんや子供の名前を入れたタトゥーの画像をりゅうちぇるさんがインスタアップし、それについて賛否両論があった状態をみて「まだまだ健全な社会だな」と認識を新たにしたものです。

 インスタにアップするという行為は…

 

そもそも論になりますが、非難、批判、中傷なるものを受けたくないのなら、その材料を提供しなければいいだけのこと。

 

逆を言えば、

 

材料を自ら提供したのなら、それは批判も非難も受け入れる覚悟をしておくのは当然であるし、そうでなければ考えが浅薄すぎるということになります。

 

インスタにしてもブログにしても、一人よがりの自分だけの楽しみにしたいのならコッソリ日記やアルバムに綴ればいいだけ。

 

それを誰もが目にすることのできる場所に、頼まれもしないのに「敢えて」発信するのだから、それを見て「何らかのリアクション」が欲しい、「何らかの、何らかの」という欲求、渇望が込められていると受け手に解釈されても致し方ない。

 

そんなつもりじゃない。
もっと軽い感じでやってるだけ。

 

というのなら、それは認識違いということなのだから今からでも遅くないのでSNS というものから撤退するのがまっとうな判断でしょう。

 

何が言いたいかと言えば、

 

今回のりゅうちぇるさんの「タトゥー事件」に焦点を絞った場合、否定、非難、批判はもちろん覚悟の上だったろうということ。

 

そして否定や非難に対して「自分の考え」をさらに展開してわかってもらうための反論の言葉も当然用意していたはず。

 

「賛否両論があって当然」という冷静な認識からというよりは、きっと「批判する人間は出てくるだろうな」という意味合いで。

 

タトゥーを入れることがいい悪いという議論の前に十分に理解しておかなくてはいけない「そもそもSNSで発信するということはどういうことなのか」についてしっかり議論されていなかったり、自覚されていなかったりするから問題がややこしくなる。

 

まずしっかり認識しておかなくてはいけないのは、「発信すればリアクションがあるし、リアクションが欲しいから発信していると世間は認識している」ということ。

 

リアクションにはもちろん、肯定する意見も批判する意見もある。

どちらかいっぽうが100になることはない。

でも、それでいいわけです。

 

価値観は人それぞれ。

与えられた材料を見て「自分の意見」を言う。

 

それがある意味一番の「答え」とも言えるわけです。

 

 

なので、今回の「タトゥー」に対しての偏見ということについても、偏見を持たないほうがいいという意見があると同様に、偏見を持たずにはいられないという意見があっても当然いいわけです。

 

どちらがより高尚で、より正解に近いということは、それぞれの思想や価値観、立場や経験が違う以上、断定的な答えなど言えないし、したところで意味がないのです。

 

みな立場、体験、価値観が違う


同じ意見が同じような熱量で受け取られることを求めても虚しいだけ。

 

それをなぜ批判するんだ、なぜ偏見を持つんだ!?

と食ってかかるからおかしなことになる。

 

批判しないで欲しい、偏見を持たないで欲しいというのが「意見」のひとつであるように、

 

批判したくなる、偏見を持たずにはいられないというのもまたひとつの「意見」であるわけだから、どちらかに統一するという考えこそが一番の「偏見」。

 

禅問答のようだけれど、

 

それゆえに、たとえばタレントの眞鍋かおりさんが、

 

「なんでタトゥーで賛否両論…? それぞれの価値観なのに、他人のタトゥーにどうこう言う意味がわからない」

 とコメントした言葉がなんというのか、違うなと。

 

この言い方をしてしまうと解釈次第では、

 

なんでタトゥーに反対意見が存在するわけ? ということになりかねない。

 

だって、

なんでタトゥーで賛否両論…?

 

と、賛否両論がある事自体に疑問を持っているような言い方ですから。

 

 

しかも、彼女は

 

それぞれの価値観なのに…

 

と言って、自分自身のクビを締めるような発言も付け加えている。

 

そうですよ、それぞれの価値観です。だからこそ、みな自分の価値観を土台にした意見を、それぞれの立場で述べているのじゃないですか。

 

極めつけは、

 

他人のタトゥーにどうこう言う意味がわからない

 

という言葉。

 

他人のタトゥーにどうこういう意味がわからない?

 

違うでしょ!?

少なくともりゅうちぇるさんは不特定多数の人々が観ることのできる、インスタを使って「自らのタトゥー」を披露したわけです。

 

披露するつもりもないものが流出したわけじゃない。

 

誤解を恐れずに言えば、「どうこう言われたかったわけだし、その言われる内容が100%賛成意見でなければいけない」とも思っていなかったはず。

 

もちろん、100%賛成意見だったら大満足だったかもしれないですが、そんなことはあり得ないわけで、あり得ないということを承知していた部分があるからこそ、偏見をなくしたいという彼なりの信念でもって、彼なりのやり方で世間に問題提起したも同然なのだから、伝達者に対し、それがたとえ異見や反論だったとしてもリアクションを返したことに対して、「どうこういう意味がわからない」と根本からくつがえすような反論をした眞鍋さんの異見が一番陳腐に感じたものです。

 

りゅうちぇるさんは若いのにしっかりしている。
ぺこちゃんも然り。

 

 

多くの芸能人たちのコメントを聞いても、タトゥーをするのは本人の自由だからいいという意見は多く、

 

ただ、

 

ここで「ただ」が入り、

 

 

それによって賛否両論があることぐらいは覚悟しておけと。

そして、その覚悟がないのなら始めからSNSなぞやるなという意見が多いわけです。

 

もっともです。

 

タトゥーを入れる入れないの判断は基本、個人の自由だと思います。

しかし、それに拒否反応を示す人々を変えることは簡単ではない。

 

なぜなら、そこにはそこに至るまでの「経緯」「理由」なるものがあるから。

 

その背景や葛藤や歴史を知らずして「偏見」という言葉でやっつけようとすると、問題はより複雑化する。

 

しかし、複雑ではあるけれども例えれば実は非常にシンプルなことで、

 

たとえば同じ能力の人が二人サービス業の面接に来たとします。

容姿も能力も本当に甲乙つけがたい。

 

でも、面接官が二人のうちの一人の肘下から手首にかけてタトゥーがあることを知ってしまう。あるいは見つけてしまったとする。

 

その場合、どちらを採用するかというと、もしかしたら「タトゥー」を入れている人のほうが不利かもしれない。

 

なぜなら、サービス業だから。

 

多様なお客様を受け入れる機関としては、その多様性に最大公約数的に受け入れられやすいモノや人を選択しようとするのは当然の配慮なわけです。

 

人間性云々の問題は残念ながらそれ以降のこと。
面接官の個人的な心情や共鳴も別次元となってしまう。

 

制服が完全に半袖で、どうしても肘から下が露出してしまう職場環境のなかで、条件としてはまったく甲乙つけがたい二人が面接にきた場合、タトゥーの入っている応募者が不合格とされてしまうということが「ありうる」という現実は知っておいて無駄じゃないと思います。

 

そんなの偏見だ!
許されて言い訳がない!

 

たしかに偏見かもしれないし、許されて言い訳がないという意見もわかります。

でも現実は理想を叶える場所ではなく、徹頭徹尾、現実なわけです。

 

そういう納得のいかない偏見うずまく社会であるからこそ、それを変えたいという人も出てくるだろうし、不利になるようなことに敢えて踏み込まない、選択肢や間口を自ら狭まるようなことはしたくないという人もいるし、いていいわけです。

 

要は、自己責任の一語に尽きる。

 

 

いつか社会から偏見がなくなる日もくるかもしれない。
でも、もしかしたら偏見が無くなる日は来ないかもしれない。

 

 

理想は持っていいけれど、現実を無視した理想は「覚悟」も添えなければいけないということ。

 

 

こういう意見にも、当然、反論や批判があるでしょう。

でも、それでいいのです。

 

意見をまとめる必要があるものと、そうじゃないものがある。

 

一つの会社で同じ製品を作るにしても意見は分かれるのだし、それによって思いがけないヒット商品が生まれることもあるのだから、全く違う人生の全く違う背景を生きている人々の意見が違うことは、あまりにも健全な姿じゃないですか。

 

自らが発信した言動に異論や反発があったことにギャーギャー騒ぎ立てるのなら、SNSから離れたほうがいいし、完全に閉じたほうがいいです、その世界を。

 

 

ではまた。