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海老蔵「今までは全裸でした」突然の告白は麻耶離れ強調か!?

 

 

ころもです。

 

心で想うだけにすることも可能なのに、敢えて口にする。

それも半永久的に残るブログという形で世界へ発信する。

 

その行為に、何のメッセージもないと判断するほうが無理です。

 

何の話かといえば、海老蔵さんです。

 

なんと、これまで全裸で寝ていたことをブログで告白。

昨夜、21:58に更新された「今日からパジャマ」タイトルです。

 

全裸の何が悪い!?

 

いえいえ、全裸自体は問題じゃない。

 

問題は、なぜ今それを告白するのか。
その「時期」の選定と「意味」です。

 麻耶さんの”全裸発言”で業界が騒然としている中の告白

 

重複するので簡潔に書きますが、麻耶さんの久々テレビ出演での「全裸日光浴・月光浴」発言は物議を醸しだしています。

 

全裸自体は個人の自由であるし、健康法として実施している人もいるのでそれ自体に何ら罪があるわけではないことは前置きする必要もありません。

ただ、昨年6月に妹を亡くしてメンタルが不安視されている麻耶さんの口から「全裸」生活が語られた、そのことが、なんでもない「全裸」という言葉と「日光浴・月光浴」というワードの合体に特別な意味を持たせ、視聴者や業界関係者らに不安の種を撒いてしまったということがいえるでしょう。

 

番組に爪痕を残すためのリップサービスというには、あまりに下品。まがりなりにもアナウンサーの端くれに属している女性が恥ずかしげもなく、嬉々として口にすることに楽しさや面白さを凌駕する「なにか」を視聴者の多くが感じ取ってしまった。

 

それが今後の麻耶さんの、風前の灯となっている芸能生活の起爆剤となるのか、踏んではいけない地雷となってしまうのかはわかりません。

 

ただ、腫れ物を触るような、慎重に取り扱わなくてはいけない人物なのかもしれないという烙印を押されたのかな…?

 

と思われる報道が、この発言以降次々に記事にされている事実というのは見逃すわけにはいかないでしょう。

 

事実、今年の後半をどう過ごすかをブログで読者に語りかける麻耶さん。
それは言葉を変えれば、自分にはやるべきこと、なすべきこと、つまりは復帰するつもりだったテレビ関連も含めた仕事が空白状態であることの告白とも取れるわけです。

 

独身、アラフォー、妹の早すぎる死、大ファンである海老蔵さんとの同居かもしれない生活、休業前のように戻らない芸能での仕事、恋人すらいないシングルライフ…。

 

不確定要素があれもこれもありすぎて、将来に対する不安も消えることはないかもしれません。もちろん、これら条件がすべてある人々でも幸福な人々はいくらでも存在しますが、あくまでも麻耶さんというパーソナリティに視点を当てた場合です。

 

 

前置きが長くなってしまいましたが、これら前置きを念頭におくことがこれから海老蔵さんの全裸生活の告白の意味を探る中では重要なので、割愛しませんでした。

 

 

なぜ、全裸という言葉を今この時期に使ったのか

 

無意味な言葉はあっても、言葉そのものに意味がないわけではありません。

禅問答のようですが、必然性のない状況のなかで分別ある大人が発信する言葉には何がしかのメッセージが込められている、秘められていると読むのが常識です。

 

昨夜の10時近くに更新された海老蔵さんの「今日からパジャマ」タイトルでは、

 

きて寝ようかなと

 

という、つぶやきのような言葉があったかと思うと、屋上の夜景画像が一枚。

 

そして、

 

走ってシャワー浴びて

夜風に

 

とあり、今度は薄暗い中で、白い、コットンなのかシルクなのかわからない素材のパジャマを着て自撮りしている海老蔵さんの写真が1枚掲載されたかと思うと、唐突に、

 

今までは
全裸でしたが、
今日からパジャマを試みようかなと

 

笑笑。

と意味深な告白が…。

 

なぜ、今こんな発言をするのでしょうかね。

 

全裸月光浴で麻耶さんの日々の奇行が話題となり、芸能界にも波紋を広げている中なのに、なぜ!?

 

真実は海老蔵さんだけが知っているでしょうが、そこまで大袈裟に考えなくとも、これまでの経緯を知っている読者なら幾つかの回答をそれぞれに見出しているのじゃないでしょうか。

 

また、読んだ人の数だけ憶測が生まれるということは百も千も承知のうえで、むしろそれを楽しむぐらいの境地でこの話題を海老蔵さんは展開しているのだと思います。

 

なので、正しい答えじゃなくて当たり前だし、真実を言い当てられないかもしれないからといって憶測に罪悪感を必要以上に持つこともないことを、最後の「笑笑」がうまく表現しているのじゃないでしょうか。

 

言葉の遊戯。
想像の遊戯の時間。

 

 

そんな余裕すら感じるブログ内容です。

 

言う必要のないことを自ら発信する。
言われたくない人、憶測を嫌う人の考えからはもっとも遠い「行為」ですから。

 

事実に照らし合わせて推測できることは幾つかあります。

 

海老蔵さんは『偲ぶ会』での麻耶さんの発言、そして「今夜くらべてみました」テレビ出演での発言を知っているだけでなく、それに対しての世間の反響、批判の内容にしても熟知していることと推察できます。

 

すべての記事を網羅していなくとも、極端にいえば一社だけの記事を眼にしただけでも麻耶さんの奇行が話題になっていることはすでに知っているはず。

 

そして、それが世間にどう映り、評されているのか。
そこまでわかっていると思います。

 

全裸で月光浴をしていることを自分は過去ブログで告白している、それと同じことを同居疑念が騒がれ続けている義理の姉、麻耶さんが海老蔵さんの名前こそ出さないまでも、同じ行為をしていると発言することによって世間にどう受け取られるか。

 

それによってどんな被害を被ることになるかも想像したかもしれません。

 

小学校と幼稚園に通う子供、東京五輪の際に行われる同時襲名にどんな影響を今後及ぼすことになるのか、漠然とかもしれないですが、いろいろと考えをめぐらしたことでしょう。

 

これまで全裸だろうとなんだろうと、それをやめてパジャマで眠ることにしたなら黙ってそうすればいいだけ。

 

ただそれだけのことを敢えてブログで世界発信する。

 

しかも、麻耶さんが全裸月光浴で悪い脚光を浴びているこの真っ只中に。

 

 

意味、ありありだと思います。

 

麻耶さんは全裸生活をしていたけど止めました!と告白したわけじゃなく、嬉々として、それが気持ちいいのですということで、全裸月光浴や日光浴を楽しんでいる様子を語っていたわけです。

 

でも、海老蔵さんは止める理由は語らず、これまで全裸で眠っていたというこれまで語らなかった事実を敢えて出して、

 

「今日からパジャマを試みようかなと」

 

そう発言した。

 

 

ころもにはそれが、

 

 

一緒にしないでね。
僕も困惑しているのです(笑)。

 

と聞こえたものです。

 

再び同居している疑念を抱かれている渦中の自分たちが、ともに違う場所、違う口とはいえ、「同じ内容の行為」をしている事実が露呈してしまったら、世間の想像はいかようにも膨らんでしまう。

 

それを自らが許してしまっているのだからどうしようもありません。

 

決して飛躍でも何でも無く、そう思うのがナチュラルなわけです。

 

おそらく、ここまで世間に奇異に移る行為とは思っていなかったかもしれないし、ここまで麻耶さんの評価が危ういものだという認識はなかった可能性もあるかもしれません。

 

でも、これは噂を消しに行かなくてはいけない段階と判断したのではないでしょうか。真実は知るよしもないけれど、知る由もない世間だからこそ、沸騰しているこの「全裸」問題から一抜けしなくてはいけないと自らが思ったのかもしれないし、友人、知人、関係者などからの忠告が入ったのかもしれないですね。

 

誰もが読むことのできるブログですから。

 

それは関係者も毎回ではないにせよ、大勢読んでいることでしょう。

客観的な眼を持つ関係者が、海老蔵さんに世間の声の一部を語ってきかせることがあっても何ら不思議じゃない。

 

実生活で麻耶さん親子に留守を預かってもらったり、何かとお手伝いをしてもらっている自覚は当然あるでしょうから、海老蔵さんにしても一刀両断という手法は慎重にならざるを得ないでしょうし、先日の『偲ぶ会』での小林さん親子へ「注いでいく」発言からも、物心両面にわたって切り離すというふうには読み取れないので、どれほどの繋がりかはわかりようもないですが、今後も陰に陽に(あるときはこっそりと、あるときは表立って、の意味)サポートし続けるのだろうとは推察しています。

 

さて、長くなりました。

あくまでも海老蔵さんのブログから感じた、個人的な見解、感想の範疇を出ません。ただ、遠からずの部分もあるかなとは思いますが真実はいかに…。

 

 

ではまた。

(引用元:市川海老蔵オフィシャルブログ「今日からパジャマ」より)

 

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