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麻耶 麻央の名を口にしたくない!?命日に完全黙殺の理由は!?

 

 

 

ころもです。

 

昨日は麻央さんの命日でした。
色々ありましたが、今は心からご冥福をお祈りしますm(_ _)m。

 

それにしても…

 

麻耶さんと海老蔵さん、昨日は麻央さんに何を伝えたのでしょう。

 

麻央さんは母であると同時に、女性として海老蔵さんに見て欲しい気持ちが強くあった方と思います。

その麻央さんが、自分亡き後にもっとも傷つき恐れるのは、おそらくは自分のいた場所に別の女性が座り、自分の生きてきた軌跡、痕跡、轍のすべてがひとつまたひとつと消し去られていくことじゃないでしょうか。

そう思ってしまうし、そう思うのがとても自然な感情に思えます。

 

1年経った今わかったことは、その麻央さんを傷つけ惨めにさせている人物が赤の他人の誰でもなく、最愛の妹と豪語していた実の姉、麻耶さんであるという事実を世間の多くの人が知ってしまったということ。

 

あれほどに「かわいそうと思われなくない」願望が強かった人だったのに。

 

いつ傷つけ、どう惨めにしたのかを問うのはもはや愚問というもの。

麻央さんの居場所に座り、麻央さんの築いた家庭に入り込み、麻央さんの愛した男性と想い出を次々と築き上げていく行為。

ホラー以外の何ものでもない現実が、事実は小説よりも奇なりという様相のままに今も進行している事実は何を物語っているのか。

命日に「最愛の妹」であったはずの麻央さんの「ま」の字も記さない麻耶さんの闇。

 

 

この世には誰に読まれることもなく、また批判を浴びることもなく自身の想いを吐露できる「日記」という素晴らしいツールがあるのだから、まっとうな意見を聞く耳も、つもりもないのであれば、世界中の人々がその気になれば読むことのできるブログなど今すぐにやめればいいだけのこと。

なのにそれはせず、推測と誤解を生み出すばかりのブログを更新し続けるのはなぜ!?

 

疑惑を投げかけておきながら疑惑について推察することを許さないのだとしたら、こんな手前勝手な話はない。

「 私にできること最大限にやります」って…

 

昨日の麻央さんの命日に麻耶さんが何を書いたかを話す前に、その二日前に更新された2つの記事の話を少し。

 

6月22日の前に更新されたのは2日前の6月20日。

「雨の1日」「感謝」というタイトルの記事です。

 

「雨の一日」というタイトルでは震災の見舞いの言葉を最初に述べ、サムライブルーカラーになっている東京タワーが映る夜景を掲載。

 

次の「感謝」タイトルでは、 

皆様
 
コメントありがとうございます。
 
皆様の優しさ、あたたかさを
とてもとても感じました。
 
ありがとうございます。
本当にありがとうございます。
 
 
私に出来ること
最大限にやります。
 
力をありがとうございます。

 (引用元:小林麻耶オフィシャルブログより)

と、”ありがとうございます”を連発し、伯母の「絶対愛」を彷彿とさせるような「私に出来ること最大限にやります」発言。

 

最大限だったり、絶対だったり、一事が万事こういうふうだから誕生日数秘のように大風呂敷を広げただけの結果になってしまうのでしょう。

口先ばかりで実現しない。
誕生日数秘など、もはや辿るのも馬鹿らしいほどに「なきもの」にされている感じです。

 

悲しいからというより、悔しいからと思えてしまう

そして一日更新のない日があっての昨日の更新。

まさに妹、麻央さんの「命日」であったわけですが、21:47に更新されたブログの中のどこにも麻央さんの文字は見当たらない。

 

流れや経緯を知らない人なら、一体どうしたの?と首を傾げたくなるほどに漠然とした、抽象的な内容の羅列。

無機質で温度のまるで感じられない文章が綴られていました。

 
皆様 
 
ブログの更新が遅くなってしまいました。
 
 
あたたかいコメント
心から感謝致します。
 
そして、
ご心配をおかけしてしまい
申し訳ありません。
 
 
 
今日まで、どれほど皆様に励まされ
救われてきたでしょうか...
 
コメントや心を寄せていただき
本当にありがとうございます。
 
 
 
2018年6月22日
小林麻耶

 (引用元:小林麻耶オフィシャルブログより)

 

それこそ「絶対に」「1文字さえも」妹の名前を出すものか、といった強い意志を行間に感じます。

同情されるべきは亡くなっても称賛され続ける妹ではなく、今ここにいる私、この私こそが癒やされるべき人間なのです、ありがとうみなさん、わかって下さってるようで嬉しいですと言っているように読めました。

あくまでも、徹頭徹尾、個人としてそう感じてしまったのでお許し下さい。

 

劣等意識うずまく世界から抜け出る方法があるなら、海老蔵さん一家と距離を置くことです。そこにあるのは比較され続けてきたであろう麻央さんの世界ばかりですから。

 

もっと丁寧に言えば、その家に住み着いての世話を母親ともどもやめること。双方とも通いでいいじゃないですか。

今のままでは再婚するしない以前に、恋人を作る余白すらない。

 

大切な命を形成する、とても大事な食事はプロに依頼することもできるし、そのほうがいいのじゃないでしょうか。

麻央さんの無念の若すぎる死は、そういう食育に関しても大いに訴えかけるものがあると思うだけに勿体ないです。

 

そもそもが麻央さんのために考案された同居なら、麻央さん亡き後に解散するのが自然であったろうに、未だに小林さん親子と付かず離れずなのか、まるっきりの同居なのか張り付いている記者たちですら掴みきれないような生活を続けていたのでは、人気稼業を続けていく海老蔵さんにしても失うものが多すぎると感じます。

 

今日は麻央のお仕事の方と
お友達とのお別れ会です。
 
 
 
麻央が所属していたセント・フォースさん
に大きなお力をお借りしてのお別れ会です

 (引用元:市川海老蔵オフィシャルブログ「準備」より)

海老蔵さんの今日のブログにそんなコメントがありましたが、何もかもが遅すぎると感じます。

 

ブログで見せられる言葉も映像もすべてじゃない。


でも、

 

であればこそ…

 

読者が知り得るわずかなブログという「窓」には真実の景色が映っていて欲しいもの。

 

要らぬ詮索を排除するのはそう難しくないです。
同居していると報道する雑誌もあれば、車で10分ほど離れた場所に麻耶さんは引越したと報道する雑誌もある。

 

そんな張り込んでいる記者たちが居場所すら特定できないような、不可思議な生活が健全であるはずがないのです。

 

そういう相反する記事にこそ、きっぱりと「事実はこうです」とたった一言、たった一行、たった数秒の労を惜しまず主張すればいいのにそれをしない。

 

ただの優しい伯母、麻耶さんの存在をなぜ隠すのか。
なぜ、伯母でしかない麻耶さんの存在が隠されてしまうのか。

 

今の姿が麻央さんの望む姿であったとは、とうてい思えないです。

 

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