毒舌ころも

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麻耶いのちの授業で「癒やされました」発言なぜ!?素朴に疑問

 

 

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ころもです。

 

久々に、麻耶さんのブログを読みました。

あの生気を失った、何かが憑依したかのような、まるで粘土細工のような不思議な公園での写真。

ヨガ施術中をあんな人目のある公園でやるだろうかという素朴な疑問も放り出したくなるほどに、なにか「見てはいけないもの」を見てしまったような後味の悪さ。

以来、ブログを読もうという気持ちが失せていたのですが、先日の『週刊女性』の記事を機にまた覗いてみようかと、そんな気持ちになったわけです。

 

しかし……

 

あの公園でkoyumiさんだと思われる女性から施術らしきものを受けている麻耶さんの表情は何だったのでしょう。顔の造作とかそんな表層的なものじゃなく、まるで訪れてはいけない廃墟に足を踏み入れたかのような胸騒ぎ、怖さのようなものを感じてしまいました。

 

刻まれてしまった画像を上書きするように、これ以上できますかというほどの露出で自撮り画像をUPされても、一度刻まれてしまった本当の姿はなかなか瞼の上に刻まれたまま離れようとしない。

言えることは、加工アプリを上手に使いこなしてキレイな自分を画像UPしブログに掲載したいと思っている麻耶さんがいながら、なぜ、あれほどに脱力した、股開きのヨガ写真を記者に売り込むかのごとくたやすく撮影させてしまうような軽率な行為をとったのかということ。

 

不思議です。
油断していたというような稚拙な理由では納得できないほどイメージダウンになるあの写真。

海老蔵さんの「ない、ない」発言に説得力を持たせたことだけは確かですが。

 なぜ”癒やされ”続けなければいけないのか

 

生前も死後も比較され続ける運命にある麻耶さん。

しかしこれは何も麻耶さんに限ったことではありません。

 

多かれ少なかれ、大なり小なり、兄弟、姉妹がいる場合は比較される運命は免れない。

仕事として関わっている「いのちの授業」の中で麻耶さんが奇しくも語った、

 

私は妹が、もう生まれた瞬間からほんとに大好きで、何をするにも妹を優先にしてずっと育ってきました。

(引用元:「いのちの授業」動画より)

という言葉。

 

何をするにも妹を優先にして……

 

気がつけば優先していたという自然発生的な想いというよりは、そうせざるをえない状況でそうしてきた、本当はそうしたくなかったのにそうしてきたという恨み節が感じられる、本当に今の麻耶さんの言動を裏付ける決定的で印象的なフレーズ、言葉。

 

6月16日のブログでは前日に出演した「NEWS ZERO」について触れていますね。

視聴せず眠っていましたが、来週も「妹が関わった植樹」ということで何かしら出演場面があるのでしょうか。

今度は視聴してみようかと思っています。

 

この日は当日16日の誕生日の方の数秘と、4日前の12日誕生日の方の数秘の2つが掲載されていましたが、相変わらず数秘に追われる毎日を送っているようですね。

 

 

そしてこの日の夜に更新されたブログ「大分県へgogo!」では、

 

番組を見ていても
自分では分からなかったのですが
 
『麻央ちゃんと似ていました』
『妹さんとシンクロしているよう』
 
などのコメントを多く拝読し、
妹も一緒に活動しているのだと思えました。
ありがとうございます。

 と記載してますが、そういう感想しかなかったのでしょうか。

おそらくそういうコメントばかりがひっかかるのでしょうね。本来の麻耶さんの輪郭とはまるで違う、麻央さんの輪郭に加工で近づけた自撮り画像をUPしては喜んでいたような時期がありましたから。

麻央さんと似ているかどうか、似ていると言われるかどうか、ということが未だに麻耶さんにとっては関心の大きいところなのでしょう。

 

 

人生後半に「世界中を羽ばたいてください」はきつい

 
麻耶さんの誕生日数秘がいわゆる「数秘」に基づいて行われているのか疑念を持たれてしまったのは、麻耶さん本人が吐露した「考えるのが大変」発言が示していたわけですが…
 
それにしても、あまりにも数秘が重荷になってきているのでしょう。もはや同じ単語の使い回し、配列の組み換えでしかないような似たような内容のものばかり。
 
6月17日に更新された「おはようございます☀・6/17」タイトルでは、大分県のイオンモールでの宣伝のあとに誕生日数秘を記述。
 
17日誕生日の方の人生後半は、

とらわれることなく自由に大きく!

世界中を羽ばたいてください。

たくさんの方と会話をして、

刺激を受け、楽しく過ごしてくださいね

ということで、壮大ですね。
 
世界中を羽ばたいてくださいって……、何をして?
一体幾つからの人生後半なら、世界中を羽ばたきたいと思うのか謎。
 
大分のイオンモールでのファーストステージ後のブログでは、
まおちゃんが繋いでくれたご縁...
大切にしていきたいです。
ということで、イオンに来てくれたブログ読者と会えたことや声がけに感謝の気持ちを述べ、頑張ろうって思えましたとも書いていますが、
 
麻央さんが繋いだ、麻央さんだから繋げた歌舞伎役者、市川海老蔵さんとの縁のことも「まおちゃんが繋いでくれたご縁」なのだから、絶対手放すわけにはいかないと思い込んでいるのじゃないかと危惧してしまいます。
 
どんなに仲良しの姉妹であったとしても自分の旦那を共有しようとは当然思わないわけだし、そこに説明も不要なわけですが、これまでの麻耶さんの海老蔵さん一家への度を超えた執着ぶりを見ていると、麻央さんが手に入れたものは物質だけじゃなく「縁」までも自分のものと勘違いしているような感じがして仕方ありません。
 
もちろん麻央さんの結婚によって赤の他人以上にはつながった縁でしょうが、麻耶さんとお母様の「闘病以後」も同居をしていた経緯や旅行同伴の密着ぶりを見ていると、麻央さんが繋いだ縁は何がなんでも手放すものかという執念の強さに、結婚がもたらす「選ばない不可抗力の縁」についても考える必要が大いにあることに思いが至るわけです。
 
ただでさえ結婚をしない若者が増えていることに加え、これだけの深入りしてくる親戚を持つ可能性が出てくるのが結婚だと、結婚そのものに対する見えない恐怖が助長されれば、さらに少子化も進みそう。
 
6月17日の夜に更新された「ありがとうございました!」というタイトルでは、大分での「LOVE in Action」が無事に終わった報告と御礼を述べ、白いモヤがかかっているのかと見間違えるほどに光で飛ばした自撮り画像をUP。
 
公園で見た表情とは打って変わったいつものあの笑顔ですが、もうあの「魂が抜けたような」表情が消えることはないです。
 
会場のあたたかい空気感に癒やされた
ご当地大作戦in大分でした!

 とコメントを入れたあとは、白いレースのカーテンにスパンコールをつけたような、これまた手作り感ただようワンピース姿の、ほぼ等身大の自撮り画像を左手にスマホが映る感じでUP。

 

満足げな表情。

 

大分から帰宅したあとは「いのちの授業」の感想があるわけでもなく、

「大分名物!」というタイトルで、

 

まずは

とり天!

と入れ「とり天」だと思われる画像をUP。次に、
関サバ!
と入れ、尾頭付きの「関サバ」の画像をUPし、

シメは、鯖寿司にしました!

ということで、鯖寿司の画像を懲りずにUP。

 

美味でした
大分、最高!!
 
 
大満足で
日曜劇場観てます!

 というコメントで終了。

 

ビジネスとしてやっているだけの「いのちの授業」の講演ですから、こんなものです。
信条や、信念によって始めたものじゃないから、こういうご褒美に心が奪われるのでしょうね。

 

地元の名産を食べるなというわけじゃない。

美味しいものを食べるなといってるわけでもない。

 

何度いっても麻耶さんには理解できないかもしれないですが、

 

そこへ赴いた目的、講演の内容をちょっとでも考えれば、これを日記に書くことはあっても世界に向けて発信することのはしたなさや勘違いに気が付かなければおかしい。

 
誠心誠意「いのちの授業」に向き合っているなら、こんなグルメリポートでしかないブログを書いて、大満足で日曜劇場を観るという感覚にはなれないはず。
 
現地、現場に行った人間にしかわからない手応えや、感想のようなものでブログが埋め尽くされてもおかしくないのに、いつもいつも「何を食べた」「これを食べた」「美味しかった」では、小学生の絵日記にも劣る。
 
軽佻浮薄(軽はずみでうわついていること)なブログという印象が拭えないのは、麻耶さん自身がブログでそう自己アピールしているからに他ならないわけです。
 
曲がりなりにも「いのちの授業」という名目で仕事を受けたなら、最悪でもグルメリポートと同じ程度の熱量で講演の様子や中身についての「語り」や「感想」をブログで語ってもバチは当たらないでしょう。
 
そんな食べ物のレポートに夢中だった麻耶さんが、翌日の大阪で発生した震度6弱の地震に際し、
 
 
「大丈夫ですか?」というタイトルで、
 
おはようございます。
 
大阪で震度6弱
 
地震にあわれた方、
大丈夫でしょうか??
 
 
遅くなりましたが
いま、起き、
ニュースを知り、心配です。
と言ってみたところで、まるで心に響きません。
 
命の心配をする人は、「いのちの授業」の報告に対しても読者に対しもっと誠実であるはず。
 
それが何も伝わってこないのに、大丈夫でしょうか?と口先だけで言われても、何もピンとはこない。
 
一事が万事、借り物の言葉のように感じてしまいます。
 
その後「2018/06/18」というタイトルで更新し、
地震の後は
心が落ち着きませんよね
 
 
怖かったですよね。。。
今も怖いですよね。。。
 
 
余震がないこと、
これ以上被害が広がらないこと
祈っています。
とコメントを付け加えていますが、なんだかなです。
 
そして昨日、6/19に「昨夜東京に戻ってきました。」というタイトルでブログを更新すると、
 
震災に遭われた方々
心よりお見舞い申し上げます。
 
 
ゆっくり眠れる日が
一日も早く訪れること祈っています。
とコメント。
ことの重大さにようやく気づいたのか?という感じ。
 
 
 
 さらにこのブログでは、
 
 
昨日は、大分の高校で
いのちの授業をさせていただきました。
 と、講演を聞いている高校生の後ろ姿の画像をUP。
 
そして、
  
高校生のみんなの清らかな心に
癒されました。
 
あたたかく迎えてくれて
最後お見送りまで、ありがとう
 
コメント、ツイッターも
ありがとうーーー!!!
 
 
✴︎
 
自分のやりたいこと、好きなことを
自分にやらせてあげる
 
それが自分の命を大切にすることに
繋がっていく 
 
 
そんな話も
させていただきました。
 
 
自分に優しくなれたら
人にはもっと優しくなれるから
とコメントして終わり。
 
自分のやりたいことを好きなだけ自分にやらせてあげる、ということを麻耶さんは海老蔵さん一家に対しやっているということでしょうか。
 
自分が関わりたい、自分が絶対愛で見守り続けたい、そういう自分のやりたいこと、好きなことを自分にやらせてあげた結果が今の姿なら、そこに相手の「都合」や「迷惑」といったものがあったとしても関係ないということになってしまうわけですがどうでしょう。
 
 
自由に生きることと、好き勝手やるということを履き違えてなければ良いのですが、其の違いが分かっている人なら今のような生活形態にはなっていない、というのが結論かも。
 
 
自分に優しくなれたら人にはもっと優しくなれるから
 
実に聞こえのいい言葉ですね。
授業の一環として聞かされている、そこに「自分の意志も都合」も反映することのできない高校生たちにこの発言をしてしまうということの危険性は徐々に表れてくるのだと思います。
 
姪っ子甥っ子に癒やしを求め、出向いた講演先では高校生から癒やしを得る。
これほどまでに麻耶さんが「癒やされる自分」に固執するのはなぜなのか。
 
麻央さんと比較され続けた人生のツケで、被害者意識なるものが定着しているのだとしたら、それを払拭することから始めないといつまでも「他人は自分を癒やす存在」としてしか評価されないことになってしまいますね。
 
見返りを期待しない、自分がした相手への親切は忘れるようにしましょう。
それができたとき、麻耶さんだけの本当の家族ができるような気がします。
 
それもこれも余計なおせっかいでしょうが。
 
ではまた。
 
(引用元:小林麻耶オフィシャルブログより)