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海老蔵 勸玄くんの「行きたくない」登園拒否に苦戦の朝!?

 

 

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ころもです。

 

久々に市川海老蔵さんのブログをのぞいたら、先日『週刊女性』に掲載されていた記事そのままのような日常があったので興味深かったです。

 

勸玄くん、本当に幼稚園に行きたがらないのですね。

 

6月19日に更新された「ゆっくーーーり」というタイトルにUPされている、メロンとスイカを口にしている表情は、とても5歳の男の子のそれとは思えないほどに「憂い」と「虚無」をたたえていて、なかなかに大人びたものでした。

 

それって、つまりは「憂鬱」ということですよね。

更新時刻は07:58。

 

無になり

食べてます

海老蔵さんは続けて、

勸玄はすぐ無に入ります笑笑。

とコメント入れてますが、おそらくその理由にある程度の見当はついているのじゃないかなと思います。

 

5歳って、けっこう色々わかってますよね。

 おにぎりからサランラップが取れた!?

 

勸玄くんの朝食として頻繁に登場するおにぎり。

いつも皿に盛るでもなく、まるでこれからリュックの中に放り込む状態そのままのようなラップに包まれた状態でテーブルに置かれていたのが気になって仕方なかったですが、昨日海老蔵さんのブログ(07:45更新)に掲載された、

 

「お気に入りおにぎり」というタイトルの中に登場してきた”ゴマと梅にぎり”は、なんとラップに包まれていないではないですか!画像の見える範囲に剥がされたかもしれないラップの姿も見えない。

 

もしかして……

 

ようやく、家で食べるのならラップでテーブルの上にじかに置くのじゃなく、お皿にラップを外した状態で盛ればいいということに気づいたのかと、少しずつでも”何か”が改善されている様子が伝わってきましたね。

 

それにしても話は登園拒否に戻り、

 

「朝は常に大変です」という昨日朝の更新の、

突然

行きたくない、

という海老蔵さんのコメントの上下にある勸玄くんの画像。

上は眉間にシワを寄せ歯磨きする姿、 下は着替えもすませ帽子もかぶったお出かけ万全スタイルと思える状態なのに、クッションの上でうずくまっているようにしている姿。

 

何もなくて「行きたくない」ということも無いこともないですが、いつもではないにせよ送迎している伯母、麻耶さんの存在や何やら、大人が噂していることを見聞きしている子供が幼稚園でそのまま口にしている可能性というのは、むしろ「全く無い」と考えるほうが無理があるでしょう。

 

何らかの形でイヤな想いをしているのだと容易に想像がつきます。

 

悪い予感が的中しているというのか、読む読まないに関わらず、読もうと思えば誰でもが読むことのできる公的なブログというツールを使って四六時中プライベート写真をUPされ続けているわけですから、それを好意的に観る人ばかりじゃないことは想定内のこと。

 

要はその余波のすべてを弱者である子供、勸玄くんが外の世界で味わっているということでしょう。

 

そんな朝もありまする。。

海老蔵さんは、麦わら帽子をかぶってうずくまり登園拒否している勸玄くんの画像の下にそうコメントを入れていますが、麻耶さんのブログをもし隅々まで読んでいるとしたら、留守を預かってくれてきたこれまでの恩は感じているにせよ、「なんでも◎」を信条としている、いっときは一番身近で長く時を過ごしていたであろう大人の選択を間違えたのじゃないかと後悔の気持ちも少しはあるかもしれませんね。

 

なんでも◎ということは、究極「すべてが許される」という気持ちを相手に持たせることになるわけですから、その危険性をわかって受け取る分別ある大人じゃない子供が日々そんな言葉を近くで言われたり、聞いていたりしたら一体どういう思考になるか。

行動になるのか。

 

だいたい想像はつきます。

 

勸玄くんの登園拒否が必ずしもその思考が元になっていなかったにせよ、いずれその発想、信条の「ほころび」というものは随所に出てきて、生活のいたるところに支障をきたすはず。

 

自分は大事。
でも、その自分を大事にすることだけで成立するほど世の中は単純じゃない。

 

大阪の大地震にしても、あれほどの揺れを体験していながらも使命感をもって働いている人々がいかに多いかに気づくわけです。

 

通勤時間を襲ったあの地震で目的地へ到着できず途中下車を余儀なくされる乗客を誘導していたのは、まちがいなく自分も被災者であり、被災者を家族にもつ一個人の駅員さんであったわけですが、そういった場面で人々を誘導したりレスキューしたりする人々が「なんでも◎」で自分の休みたいように休むような考えで行動していたら、世の中はまわらない。

 

助かる命も助からない。

 

他人のために犠牲になれという単純で投げやりなことじゃなく、自分の幸福だけを追求して責任を果たさない人間だけが溢れかえってしまっては、この世はまわらないし、自由を謳歌し「なんでもかんでも◎にしたいと思う人々が楽しむため」の何も稼働しないということになってしまう。

そういうことにまで思いを馳せて、まだ思考の幼い子供や学生たちを巻き添えにしないように発言には最新の注意を払う必要がある。

 

勸玄くんの身近にいる大人が誰であるか。
それはただ「そばにいる」というだけの人物じゃなく、「多大なる影響を与える可能性がある」人物になりうるのだということを意識しなくては危険です。

 

ただ……

 

海老蔵さんの耳には当然ですが、いろいろ情報が入っていることでしょう。

 

先日公演でのヨガ姿を激写された麻耶さんの表情も見ていると思います。何かに取り憑かれたようなあの表情。

 

虚ろといえば虚ろ。

魂が抜けたようなあの表情を見れば、思うところも多いはず。

 

実際、世間に何といわれようとも気にせずいつでも遊びに来てといったような言葉を投げかけていることからも、麻耶さんの精神状態を慮っての発言であることは理解できるので、すぐに何かをどうするという決断というのは難しいでしょう。

 

クォリティを無関係にすれば、自分が地方公演で家を留守にする際に助かった部分も事実あるのでしょうから、そこは持ちつ持たれる、自らまいた種ということもあるでしょうし、すぐに「お暇願います」ということは言えるはずもない。

 

同居は麻央さんの母だけだとしても、母親のいる場所ならどんな口実を作っても出入りはしやすい環境であるわけですから、もしかしたら本当に問題なのは麻耶さん本人の云々というレベルを通り抜け、この麻央さんの母のサポートそのものなのかもしれませんね。

 

麗禾ちゃんや勸玄くんの祖母であり、麻央さんの母親であることに変わりはなくとも、同じ現実として麻央さんがもうこの世にいないという事実を正面から受け止めるなら、幼い子供たち、未来の成田屋のことを考えて海老蔵さんが再婚を視野に入れていく可能性が高いことぐらいはわかる。

 

となれば、

 

自分たちがいつまでも同居していたり、麻耶さんがいくら離れても自分がそこに住んでしまったら、それこそうまくいく話もうまくいかなくなると考えるのが本当だと思います。

 

他人の家です。

赤の他人です。

 

歌舞伎を観ることも、これまで同様ありません。

 

でも、ブログという場所でプライベート画像や心を吐露している人の深層心理には、自分が発したもの、ことについての何らかのリアクションや反響があって欲しいという部分もあるのじゃないでしょうか。

 

批判でも批難でもなく、同意や共感のはざまにある「意見」というものを尊重したとき、もっと快適で多くの読者を引き寄せる魅力的なブログになるのじゃないか。

 

そう思う梅雨のひとときです。

 

ではまた。

 

(参考・引用元:市川海老蔵オフィシャルブログ)

 

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