毒舌ころも

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麻耶 妹の一年祭を「済ませました」で済ます一行の心理とは!?

 

 

ころもです。

 

世界平和を考えている人なら、米朝会談が行われる歴史的なこの日に感慨深い想いを抱いていることでしょう。

「世界の平和を目指してくださいネ」と数秘占いの最後で口にするほどに世界平和を望む麻耶さんにとっては、この会談の行く末は非常に気になることと推察しますが、そういったことに関する記載は今の所一切ないようですね。

 

投げやりな誕生日数秘であることがさらにわかるような、今日の「・6/9・6/10」というタイトル。

 

もはや義務となっている誕生日数秘は「記号扱い」と成り下がっている。

まるで自分の誕生日が見下されたような感じすらして気分が悪い人もいるでしょう。

 

しかしブログの柱となっている今、これをやめるわけにはどうしてもいかないのでしょうね。

 

週刊誌記事が揶揄するところの「ブログが生活の生命線」という表現は、今に思えば、だいぶ踏み込んだ発言だったように思います。

それは、あまりに直球すぎる表現という意味で。

しかし、個人的に驚いたのはやはり先日の「あの一行」でしょうか。

まるで敬意の感じられない「済ませた」発言 

ここ一か月ほどで2,000人を超える読者が麻耶さんのブログ読者の「解除手続き」をしています。

実態不明である現在の数字としての「読者登録数」は、ブログ更新すれば多少は挽回できたこれまでと違って、更新するほどにジリジリと減っていくという不思議な減少が起きている。

美辞麗句に名前のわからない花たちの画像UP。

一見なんの遜色もないブログ体裁であるにもかかわらず、敢えて読者登録を手間をかけてまで解除する読者の方々の気持ちというのは、麻耶さんブログを多少なりとも読んできた人達には容易に推察することができるのじゃないでしょうか。

 

真実から程遠いような「見せたい現実」だけに彩られた虚飾の匂いのするブログに嫌気がさしたのかもしれません。

 

自分の人生の断片というよりは、亡くなった妹家族との「不可思議な生活の断片」ばかりを匂わせるブログに嫌悪感を持つのはごくごく自然な感情です。

 

人間の感情というものは一筋縄ではいかないし、刻一刻と変容していくものだということを大前提にしたとき、余命を知ったあとの、期限ある命を知らされたときの麻央さんの絶望や無念というものは測り知れないものがある。

 

その無念の想いをもっとも身近で見てきた人間がいるとするなら、おそらくそれは姉の麻耶さんや夫の海老蔵さんであったのじゃないかと推察するとき、現在の深入りしすぎではないかと世間が物申したくなるほどの様相というものは、やはり注目すべき点が多々あるわけです。

 

それをあなたがする?
それをあなたが言う?

 

そういうことの連続だった、この約1年という期間の言動のすべて。

 

そんな中、6月10日には麻央さんの「一年祭」が執り行われたようですね。

麻耶さんも「2018/06/10」というタイトルでこの日ブログ更新してますが、それにしても考えさせられる内容でした。

不思議過ぎる、という意味で。

 

東京は雨です。
 
頭が痛くなったり、
体調や心が ダウンしてしまう方
大丈夫ですか??
 
 
ほんの少しでも 不調が...
楽になりますように 

(引用元:小林麻耶オフィシャルブログより)

そんな言葉で始まったブログ冒頭。

画面には淡い紫とピンク色の紫陽花の花が寄り添うようにして並んで映っている画像がUPされています。

 

あえて、寄り添う紫陽花を撮影したのにはもちろん麻耶さんなりの意味があったことでしょう。

擬人化して紫陽花を捉え、撮影し、UPしたのだと推察できるわけですが、もしここに、妹と義理の弟、というような記述があれば素敵でしたね。

でも、何もない。

連想してくださいと、そういうことでしょう。

 

そして極めつけの言葉、

 

本日、一年祭を済ませました。

(引用元:小林麻耶オフィシャルブログより)

 

そうですか、

済ませましたか。

 

まるで掃除が終わったような言い方ですね。


面倒なことをやり終えたときによく「済ませた」という表現を使いますが、それを最愛の妹と豪語していた麻央さんの「一年祭」のときに使うとは、ここまで感情を表に出していいのだろうかとこちらが心配になったほど。

 

露骨過ぎますね、投げやりな感情がダイレクトに表現されすぎていると思われても仕方ないのじゃないかと思うほどに。

この乾ききった何の装飾もない言葉に、非常に多くの感情が読み取れるようでした。

 

終わったのだから「済ませました」でいいでしょう、間違ってないでしょうと言われたなら、それは確かに間違ってはいないと答えるしかありません。

 

実際、終わったのだから「食事を済ませた」「用事を済ませた」というときと同じ使い方をしたまでのことでしょう。

 

日本語があまり得意ではないことも麻耶さんのブログでの言葉遣いやチョイスから理解はしているつもりなので、悪気なく、それこそ「済ました」という事実を正直に書いただけといえば、本当にそうなのだと思います。

 

思いますが…

 

 

他に言いようはなかったですか?

 

麻央さんが亡くなって1年、あまりにも感慨深いこのときを迎えたことを、もう少しだけ表現を尽くすことはできなかったのでしょうか。

 

せめて、最悪でも「妹の一年祭」、あるいは「麻央ちゃんの一年祭」と、誰の一年祭であったかがわかるような言葉を入れる気遣い、配慮があればと思います。

 

消したいのかな、みんなの記憶から麻央さんの存在や名前すら。
そう疑いたくなるほどの扱いに感じたものです。

 

それぐらい「済ませました」発言は、あまりに配慮に欠ける言葉。 

 

済ませるの意味には「代わりのもので問題が解決したことにする。その場はそれでよいことにする。間に合わせる」といった意味もあるわけで、非常に片付けた感が強い。

 

正解不正解でいえば、不正解ではないけれども、麻央さんの1年祭に対して「済ませました」という表現を使うのは、その前に「さっさと、とっとと、早々と」といった言葉がうっすら見えてくるぐらいの軽さ、そして礼を逸した感じをどうしても受けてしまうのです。

 

でも、一事が万事こういう感じなので、それを指摘する気力も次第に失せてきました。

 

 打てば響くからこそ、です。

 

さて、そんな「一年際」のことよりと言わんばかりの次のブログは、ニコ生での生中継が決定しましたという自身の告知です。

 

タイトルは「6/12 火曜日 ニコ生決定」

 

 

【ニコ生での生中継が決定!】

 

日本赤十字社主催 

LOVE in ActionMeeting(LIVE)

 

日時:2018.6.12(火) 

18:30~21:25

(引用元:小林麻耶オフィシャルブログより)

 

リアルタイムのみの配信だということで、生中継で楽しんで欲しいというような記述も添えてありました。

 

告知が悪いというのではありません。
ただ、麻央さんの名前どころか「妹」という言葉一字すら出し惜しんだ感のある、直前の、「一年祭を済ませました」のあとに、この意気揚々たる番組告知というのは非常にえげつない。

 

器用なのか不器用なのか、わからなくなる時があるのはこういう時です。

残された者は生きていくしかないわけですが、自分の人生を大事に思うあまりあまりに故人をないがしろにしている、それが際立ちすぎたこの一年だったことを誰も教えてくれなかったのでしょうか。

 

突き詰めれば、麻耶さんも一度きりの人生を謳歌したい、味わい尽くしたい、後悔のないように楽しみ尽くしたいという思いで一生懸命生きているということなのでしょう。

 

それは悪いことじゃないし、多かれ少なかれ皆思うところでもあります。

ただ、そこにも最低限のルールがある。

 

だのにルールなんてない、そんなの関係ないと言わんばかりの「なんでも◎」状態をブログ上で宣言しすぎたために、これほど世間からバッシングをされてしまうのでしょう。

 

優しい読者は貴重ですが、重要なのは「世の中それだけじゃやっていけないよ」と助言してくれる、現実をきちんと見せてくれる読者です。

 

優しさばかりを求めるハンターのようになっては、結局は何の責任もとることもない見えない人々に成長の芽を摘み取られることになってしまう。

 

それでも麻耶さんは翌日のブログ記事で、

 

昨日は、

温かいメッセージ
ありがとうございます。

 

優しい気持ちに包まれました。

を繰り返すばかり。
(引用元:小林麻耶オフィシャルブログより)
 
そして、この日(6/11)のブログタイトル、
「感謝の気持ちです ★6/11★6/9 10お待ちください」の中で、
 
また、一周忌の近くは
いろいろ感じることができると思いますよ、
という読者の方の言葉に救われ...
日々過ごして参りましたが
 
本当に、感じられるようになりました。
 
 
ありがとうございます。
(引用元:小林麻耶オフィシャルブログより)
と、奇妙な発言をしています。
 
このコメントのあとに深い紫の紫陽花の画像を2枚UPし、これまた悪いクセで飛ばした人の誕生日数秘じゃなく、直近のところから占いがスタート。
 
6月11日生まれの方からです。
 
人生の後半は、
精神的、物質的な豊かさの
バランスを取り、
豊かさを周りの方々に
分け与えていくでしょう。
 
自分の存在の大きさに気づくと思います♡
(引用元:小林麻耶オフィシャルブログより)
 

ポジティブな人生後半しか待ち受けていない感じなので、皆さん心配ないでしょう。麻耶さんの占う人生後半では、みんなが豊かな老後を送れる感じですね。

 

そして昨日最後の更新タイトルは、「・6/9 ・6/10」となります。

占い結果は、

 

6月9日生まれの方は、

ロックぅー生まれー!いいですねー♫
 
大きな愛を持ち、賢者。
あらゆる人を受け入れます。
 
人を想う気持ちが強く、
人の喜びが自分の喜びです!
 
世のため、人のために無理なく尽くせます。
 
 
人生の後半は、
愛を持って、さらに広い世界に目に向けていくでしょう。
あなたの愛が光となって人々を包みます

 (引用元:小林麻耶オフィシャルブログより)

 

という内容です。

 

人生後半はマザーテレサになって、という感じでしょうか。

 

そして6月10日の方は、

 
人に頼らず自分を信じて
前に進むことができる人です!
 
自分の道を自然に開拓できます。
 
あなたと一緒にいると
力や刺激、元気をもらえるので
いつのまにか人が集まってくる
魅力的な人です。
 
 
人生の後半は、
自分の感性を磨いて
洗練されていくことでしょう。
直感を大切にすることで
高い精神性を手に入れることが出来ます
(引用元:小林麻耶オフィシャルブログより)
 
という内容でした。
 
どうやら新しくまた記事が更新されたようですが、そのなかで麻耶さん、
 
6月12日生まれの方
お誕生日おめでとうございます
 
数秘メッセージ
考えるのに時間がとっても必要で.....
ごめんなさい!
後ほど、送ります
(引用元:小林麻耶オフィシャルブログより)
 
とコメントしていますね。
 
数秘、時間かかるのですね。
そうまでしてやって欲しいということではないし、義務でも仕事でもないのだから今日にもやめる宣言できることなのに、それは選択肢にないということでしょうか。
 
でも……
 
書けないときは書けないときで、こういうコメントをするのがいいと思います。
こういうわずかの言葉であっても、事情が伝われば待っている読者にしても穏やかな気持で待ち続けることが可能でしょう。
 
心配する声を一切無視して、8日間も行方不明状態のような「なしのつぶて」の沈黙ブログというのは、こういうことができることを思うとやはり不可思議な沈黙でしたね。
 
書けないなら、書けない理由を言って休めばいいのです。
なので、時間がかかるからごめんなさい、という今日の更新の言葉は非常に健全な感じに聞こえました。
 
こういう正直な今、気持ち、そういうことを書ける生活を送るためにも、伯母としての距離を忘れずに海老蔵さん一家と接していくのが、結果的には麻耶さんの立場を守ることになるのじゃないでしょうか。
 
余計なお世話ですが、目に余ることが多いのでついつい口出ししてしまいます。
 
ではまた。