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海老蔵 ネットで「幼児虐待」批判続出!?その理由とは

 

 

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ころもです。

 

良きパパとして報道されることもあるいっぽうで、「幼児虐待ではないか」という批判がネット上で巻き起こっている市川海老蔵さん。

 

ブログの中では欲しいものを買い与え、カレーを作って良きパパの姿も見受けられるのに「幼児虐待ではないか」と批判が巻きおこっているとしたら、それはなぜ?

 

そう疑問に思う方もいることでしょう。
実際、与えられる、あるいは見せられた中での情報から「事の深刻さ」や「問題となるなにか」を発見する洞察というものは人それぞれなので意見が分かれるところではあります。

 

しかし今回のこの話題は、現実として見える問題として叫ばれているわかりやすい例といっていいのかもしれません。

 

7月にまだ5歳の勸玄くんが、昼夜舞台に立つ。

そのことが事の発端のようです。

子供に拒否権はない!?

 

海老蔵さんのブログを読んでいる読者なら、息子である勸玄くんが『七月大歌舞伎』で昼夜の両演目に出演する事実はすでにわかっていることですが、おそらくこれを記事として知った方は素直に驚くかもしれません。

 

5歳の子が、昼夜出演…。

 

6月6日付の『まいじつ』の記事では、

 

長男の勸玄くんはまだ5歳なのに、舞台に出演させすぎだという投稿がネット上で散見されるようになっています。勸玄くんがやりたいかどうかはともかく、幼い子供は親に言われたら、嫌でもそれに従うはず。一部の目からは虐待に見えるのでしょう」

(ネットライター)

(引用元:『まいじつ』6月6日付)

 

と、幼児虐待ではといわれる根拠を示しています。

 

現実の真偽のほどはともかくとして、普通に考えた場合、生まれてまだ5年しかこの世に生きていない子供が大人ですら大変な舞台に昼も夜も立つというのはさすがに「そういう世界なのかな」という驚きとともに納得していくだけのことですが、巷ではさまざまな幼児虐待のニュースがあるため、なおのこと敏感になっている部分もあるでしょう。

個人的には親の所有物ではない子供という存在を、ブログアクセスのためとはいえプライバシーなど皆無な状態で四六時中撮影し、世界に垂れ流すブログの存在そのもののほうが悪質で危機感を覚えるのですが、あまりにそれが日常すぎて議論すらされていない現状のほうが怖いです。

 

 

つい最近では、両親からの虐待で亡くなってしまった、やはり5歳の女の子の悲惨すぎる事件が忘れられません。

 

毎朝午前4時に起床し、ひらがなの練習をさせられていたその子が手書きのノートに書き綴った、

「きのう ぜんぜんできてなかったこと これまでまいにちやってきたことをなおす これまでどんだけあほみたいにあそんだか。あそぶって あほみたいだからやめる もう ぜったいぜったいやらないからね ぜったいやくそくします もう あしたは ぜったいやるんだとおもって いっしょうけんめいやる やるぞ」

(引用元:FNN PRIMEより) 

 

という言葉。

 

たった5歳、わずか5歳、まだ5歳の子供がこんな感情で、親の顔色を伺うことでしか生きることのできなかった状況を思うとき、同じ5歳の勸玄くんがどういう心理状態で『歌舞伎の道に進みたい』と言ったのかを、言葉そのままに受け止めることの怖さを感じることがあります。

 

記事では、

 

「……中略、『やっぱり歌舞伎は嫌だ』と言い出したらそうすのでしょうか。絶対にそうはさせないと思います」

 

(引用元:『まいじつ』6月6日付)

 

と、4月に大衆の前で宣言した勸玄くんの言葉を素直に受け入れることに懐疑的なスポーツ紙記者の話も掲載されていました。

 

実際、親の庇護のもとに暮らしている生活能力もない子供にどれほどの権限があるかといえば、それは「皆無」といっていいでしょう。

 

与えられた衣食住がすべてであり、選り好みをすることなど不可能。だからこそ深刻なのだし、問題なわけです。

 

前述したスポーツ紙記者は、

 

「勸玄くんには舞台出演という名目があるので、顔出しがエスカレートするばかり。さらには昼夜労働ですから、まともな親のやることではないと思われても仕方がありません」

 

(引用元:『まいじつ』6月6日付)

 ともコメントを寄せています。

 

プライバシーなどなく世界発進され続ける勸玄くんを、勸玄くんの立場から心配する想像力や思いやりがあれば、こういう見解になるでしょう。

 

子供には生きるすべがない。


養ってくれる親の言いなりになることでしか行きていく道がないのだから、それに背くことはもちろん、いかにして親の機嫌をとり嫌われまいと、それこそ自覚なく本能のとして親の喜ぶ言動を繰り返す日々になってしまう。

 

結果、本当に本心から勸玄くんが自らの意志で歌舞伎の道を志し、舞台に立つことがあったとしても、今現在の年齢ではそれが自発的なものなのかどうかを見極めるにはあまりに幼すぎると言わざるを得ない。

 

だからこそ、客観的に誰もが他人の家のことと前置きしながらも口を挟まずにいられないのだと思います。

 

下着姿に水着姿、熟睡している姿にセリフかと思えるような動画撮影にいたるまで、大人の思うようにブログのなかで露出し続ける日々がストレスにならないはずがない。

 

見えないからこそ怖いものであるということを、親や側近の大人たちが気づかなければいけないのだけれど、気づくどころか、その行為そのものを抑止するどころか促進する側になっていることが一番の悩みどころでしょうか。

 

勸玄くんも麗禾ちゃんも日に日に大きくなっているので、そろそろ見極めなくちゃいけないですね。

危険すぎます。

 

ではまた。

 

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