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麻耶と海老蔵の不思議な連動!?「新しい1日が始まりました」

 

 

 

ころもです。

 

夫婦は似てくるといいますが、妹の旦那さんと挨拶が「シンクロ」してくるというのは違和感しかないですね。

 

送迎のための早起きなのか、今朝は08:08にブログを更新した麻耶さん。

 

おはようございます☀

新しい1日が始まりましたね♡

 

と冒頭で挨拶をしたのはいいのですが、なぜかひっかかる。

なんだろうと思っていたら、

 

「新しい1日が始まりましたね」に対するデジャヴ感であることに気づくわけです。

 

珍しい言葉でも言い回しでもない凡庸な言葉ではあるけれども、この言葉には聞き覚えがある。それも頻繁に、

そうか…

 

海老蔵さんが時々使っている朝の挨拶の言葉だからか。

 

たまたま、偶然、ありふれてる……などなど、いろいろな言い訳はたつ。

けれども、麻耶さんがこれを使っているのだとしたら、これは意図して使っていると思うのが麻耶さんのブログを少しの間でも読んできた読者の「気づき」というもの。

 

ブログ内を検索するところに「新しい1日」というワードを入れれば、いかに海老蔵さんが朝の「おはようございます」のあとに、「今日も新しい1日の始まりです」という言葉を昔から頻繁に使っているかが一目瞭然です。

 

挨拶の仕方を真似して、足並みを揃えたつもりでしょうか。

でも、だとしたら何のために「妹の旦那さん」と足並みを揃えるような挨拶を敢えてするのか。

 

これはもう「蛇に睨まれた蛙状態」かも。

 減り続ける「読者登録数」

1週間の「沈黙」のあとに怒涛のブログ更新をし、昨日、今日と順調にブログ更新しているにもかかわらず、麻耶さんの読者登録数は緩やかだけれど確実に減っています。

 

1週間ほどで800人以上の読者が「登録解除」をしているので、平均すれば1日に100名近い読者があえて登録解除の手数をかけてまで読者であることに「嫌気」がさし行動したということでしょう。

 

自明の理(じめいのり:証明するまでもなく明らかな道理のこと)ですね。

考えない読者ならいざ知らず、少しでも現実世界に生きて社会人として責任ある生活を送っている人々からしてみれば、自己中心的なことがこの世で一番尊ばれることだと言わんばかりの生き方をしている人間を見続けることに苦痛を感じないはずがない。

 

自由であることの尊さと、わがままに生きることの違いもわからないのでは、さじを投げられても致し方ない。

 

残っている読者の多くも、商用のための参考資料としての登録、あるいは麻央さん繋がりでシフトしてきたまま、放置状態で数ヶ月、登録していることすら忘れているという人々が大半なのでは?

 

拡散された都合の悪いイベント参加のことには「貝のように」口を閉ざし、求めてもいない花の画像や、体裁のいい言葉だけを並べるブログでは、応援してきたファンにしても、もはや麻耶さんという人物に対する興味というよりは、掲示板機能としてブログを活用しているだけに過ぎないのではないかとすら思えてきました。

 

ファンは盲目的に応援していますが、洞察力のある冷静なファンならば応援している対象者の「言動の不一致」に気づいてしまう。

 

何より、だましだましファンを続けていられるほど人生は長くない。

ただ、騙し騙されということを「楽しんでいる」ケースもあるとは思うので、一刀両断に個人的な好みやジャッジを押し付けることはできないのも事実ですが。

 

 

楽しむばかりが人生なのだろうか

麻耶さんのブログや思想を読んでいると、人生を「楽しむ」ことに何とも言えない罪悪感を感じてしまう瞬間があります。

自由、幸福、面白い、楽しい、幸せ、Happy……、それらワードを見ると「ゾッと」してしまう瞬間というのか。

 

本来はどのワードも素晴らしいものであるのに、それらワードの後ろに「他人のことなど顧みず、とにかく自分がよければすべて◎」というあまりに身勝手過ぎる想いが潜んでいるようでとても居心地が悪い、綺麗ごとじゃなく本当にそういう瞬間があるわけです。

 

楽あれば苦あり。
苦あれば楽あり。

 

これが実はとても大事なことなんだと改めて気付かされる。

楽だけの人生って何かが欠落している。
だからといって、苦労だけの人生でもそれはそれで何かが違う。

 

苦労のあとには楽しみが。
楽しみのあとには苦労もある。

 

そういう人生のバランス、波というものがあってこそ人は喜びの振り幅を大きく持つこともできるし、幸せを感じる感度というものが鋭くなっていく。

そう実感するわけです。

 

しかしながら、麻耶さんの発する言葉からはそのバランスを読み取ることができない。それが非常にストレスを感じさせる。

 

今日はよく働いた、さ、美味しいものでも食べようか、ということなら共感もひとしおなのですが、例えば、今日は朝から楽しい、ずっと楽しい、さ、もっともっと楽しいことをしていこう!嫌なら逃げよう、何でもOK!と笑顔で言われ続けるとしたら、もはや恐怖しか感じないし、そういう人のそばに居続けたくはない。

 

疲れますよ、そんな浮かれすぎた人生。

「欲の天井」を知ることが大事です。

 

姪っ子甥っ子が本当に大事なら、彼らの将来に傷がつくかもしれないことには慎重にならなければ嘘。

 

 

麻耶さんの姪っ子甥っ子への関わり方を見ているといつも思い出すものがあります。

 

それは「大岡裁き」

 

どういうことかその内容を引用させて頂きます。

ある所に子供がいました。 
子供の母親は一人ですが、どういうわけか母親を主張する女性が二人いました。 
双方共に「私こそがこの子の母親だ」と、頑として引かない様子です。 

二人の争いはとうとう収まらず、ついに大岡越前の奉行所で白黒付ける事になりました。 
大岡越前は二人にこう提案しました 
『その子の腕を一本ずつ持ち、それを引っ張り合いなさい。 
 勝った方を母親と認めよう。』 
その言葉に従い、二人の母親は子供を引っ張り合いました。 
当然ながら引っ張られた子供はただではすみません。

 

たまらず「痛い、痛い!」と叫びました。 


すると、その声を聞いて哀れに思ったか、片方の母親が手を離してしまいます。 

引っ張り合いは終わり、引っ張りきった方の母親は嬉々として子供を連れて行こうとします。 
が、大岡越前はこれを制止します。 


『ちょっとまて、その子は手を離したこちらの母親のものだ』 


引っ張りきった方の母親は納得がいきません。なんせ、自分は引っ張り合いに勝っているのですから。 


当然、こちらの親は食い下がりました。しかし大岡越前は 


『私は「引き寄せた方が勝ち」などとは言っていない。  それに、本当の親なら、子が痛いと叫んでいる行為をどうして続けられようか』 


と言いました。 


大岡越前は、母の持つ愛情をしっかり見切ったのでした。 
これにて一件落着。 

(引用元:ピクシブ百科事典

 

という話です。

 

本当の愛情というものは、そういうものだと思います。
自分自分じゃない「子の気持ち、痛み」それがわかる人こそが親。

海老蔵さんのいうところの「無償の愛」というのは、まさにこういう母親のことをさしているのじゃないでしょうか。

 

自発的な愛ではなく任務としての愛、無償の愛ではなく報酬付きの愛、そういうものに実は辟易してブログで嫌味まじりに叫んでいるのかもしれません。

 

子供たちに必要「無償の愛」が、自分たちの周辺にはないということを読者たちにアピールして窮状を訴えているようにすら思えてきます。

 

無償の愛がそばにあるのに、それを口にする必要はないですから。それが厳に今自分たちのまわりには求めるべくもない、でも今こそ必要なものなのになという、何かにつけ報酬をねだる周囲の大人たちへのアイロニーに受け取れます。

 

さて、長くなりましたが、今日の麻耶さんのブログは、

 

「新しい1日が始まりましたね」のあとに、

 

大きく深呼吸して、
行ってらっしゃいませ〜

と続き、満開の紫陽花のアップ画像が掲載されています。

 

そして5月16日生まれの方に、

 

1人の時間も好き。
 
自分の世界観を大切にしながら、
直観、感性、探求心で
1つのことをじっくりと極めていく力が
あります!!!
 
 
専門家、芸術家、アーティスト
などに多いのも特徴です。
 
人生の後半は、
遊び心を大切に、
ピュアな気持ちを思い出すことで
新たな自分発見の旅が始まります

 

(引用元:小林麻耶オフィシャルブログより)
とメッセージ? 否、占い? を送っています。

 

抽象的な人生後半すぎて人類のほとんどの人に当てはまるし、占いなのかアドバイスなのかも判別がつかない、どういう了見(考え、気持ち)でわざわざ誕生日数秘をしているのか「そもそも」が不可解なものになってきましたね。

 

それでも楽しみにしている読者もいると思うので、せめてその方たちへは誠実にと思いますが、おそらく既存の読者の方々のほとんどは麻耶さんに誠実さは求めていないでしょう。

 

誠実という言葉だけは持ち出さないようにしている感じすらします。とにかく好きなように、自由にやらせてあげている。

 

まるで患者さんを見守るお医者様のように、なにも判断しない、なにも期待しない、とにかくあるがままに、自由に、のびのびと、という感じ。

 

そういう意味では面白いブログです。

 

紅色の花の画像がその後に1枚アップされ、

今日一日、
笑える時間が1秒でも長く
ありますように♡

(引用元:小林麻耶オフィシャルブログより)

というコメントで締めくくられ終わり。

 

それにしても、海老蔵さんはどうするつもりなのでしょう。
麗禾ちゃんや勸玄くんのことを思えば、普通に食育の知識と腕のある女性をそばにおくことは真剣に考えたほうがいいと他人事ながら思います。

 

そういう意見が生まれることは、頼んでもいない食事風景や内容を掲載するぐらいですから覚悟をしていることでしょう。

 

そうでなければ、掲載しなければいいだけのことですから。

 

正直、あまりにも貧相な食事で驚きの連続です。
いつぞやは東急東横のお惣菜売り場の紙袋がしっかり写り込んでいましたね。

 

さらに更新したようですが、それは次へ持ち越します。

 

ではまた。

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