毒舌ころも

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麻耶いつまで悲劇のヒロイン!?「私を召せばよかった」に反響続々

 

 

 

ころもです。

 

慎重に取り扱わなければいけない時期にきたな、そう思います。

 

人間には”器”というものがあるのですね。

これはもう、どうあがいてもしょうがない、きっちり、物理的にこれ以上は入らないという器。

まさに麻耶さんは自身の器を超える「今」を迎えてしまったのでしょう。

 

人間のキャパというものは、本人の望む望まないに限らず決まっている。広げようと努力をしても、それはそもそも精神論の中の話であって器としては入り切らないものを詰め込んでいるわけだから、自然と亀裂が入ってきてしまう。そんな状態。

 

”ごっこ”は”ごっこ”でしかないのです。

麻央さんが天に召され、麻央さんが歩いてきた轍(わだち)をそっくりそのまま歩いて同じ景色を見て、味わったつもりになっても、所詮それは似非ワールド。

進めど進めど、何も変わりはしないんです。

なぜって…

 

それは麻央さんという唯一無二の個人が築いてきた「轍(わだち)」だから。

誰が歩こうが、何人歩こうが、築いてきた本人の世界を超えることは無理なんです。

現実がひたひたと麻耶さんを覆い尽くしはじめましたか。

楽しいことばかりじゃない現実が、麻耶さんの「目標達成率」の障壁になってきたかもしれないですね。

 言葉は嘘つき、そして、正直!?

昨日、「今を生きる4月10日」タイトルブログで麻耶さんが語った一言が波紋を広げましたね。

 

不安な夜を過ごされた方、
大丈夫ですか??

一日も早く日常が戻ってくることを
祈っています。

(引用元:小林麻耶オフィシャルブログ「今を生きる4月10日」より) 

これは前日最後に投稿した、島根の震度5強の地震を心配した内容の続きと思われます。

そして太陽の陽に照らされた花の画像がアップされ、その下には、

昨日、NHKのニュースで

19歳で癌のため余命半年を宣告された
山下弘子さんのVTRが放送されていました。

弘子さんが伝え続けたメッセージ
『今を生きる』

結婚して幼い子供が2人もいる妹と
独身の私。

神様がいるならば、妹ではなく、
私を召せばよかったと思うのです。

生かされているこの命を
最大限 輝かすためには
『今を生きる』
しかないですね。

 という問題のコメントが続きました。

 

(引用元:小林麻耶オフィシャルブログ「今を生きる4月10日」より)

 

神様がいるならば、妹ではなく、
私を召せばよかったと思うのです。

 

これですね。

 

頼りにしていた妹がこの世のどこにもいない。

その悲しみは確かにあったでしょう。

あって欲しいし、あるのが当然とも思います。

 

麻央さんの闘病、家族一体となって看病していたと信じていた読者にしてみても、その後の麻耶さんの精神状態を危惧する声がほとんどでした。

ころもも含め、多くの読者たちは麻耶さんを誤解していたなと思う部分もあって麻央さん亡き後の麻耶さん、海老蔵さん一家を注視していたと想像しています。

 

しかし……

 

危惧の意味が全く違うものになってしまった。

妹を失った悲しみから何も手につかなくなるのじゃないか。また倒れてしまうのじゃないか。

そういった意味での危惧だったのに、これでもかというほどの「我が世の春を謳歌する言動」ばかりが披露されていく日々。

そんな破天荒な弾け方に「この人は大丈夫なのか」という危惧へと180度状況が変わってしまった…

 

なぜ?

 

心身が分裂したものでないなら、とてもじゃないけれど悲しみの中で海外旅行への搭乗手続きやハワイでのおちゃらけた加工アプリ画像など嬉々として世界発信できるわけがない。

何が楽しいの?
どうしてそんなに笑えるの?

 

見るもの、聞くもの、すべてに「あざむかれた」感が満載だったわけです。

 

そして、去るものは日々に疎しなのかと、自らの死後にも遺族がこんなふうな日々を送るとしたら悲しみに明け暮れるよりはいいかと言い聞かせるも、次の瞬間には、それにしてもはしゃぎすぎじゃないか、そこまで楽しげにされても複雑だなと、毎日のハッピーライフに不快感と不信感を抱き始めてしまう。

 

それこそ悲しみを乗り越えるどころの騒ぎじゃない、ハワイに誕生会に温泉にって、日常を通り越した”享楽に次ぐ享楽の日々”ばかりがブログにアップされる。

 

もちろん、どんなに悲しみが深くても生きていかなくてはいけない現実がある。それは麻耶さんに限らず、生きとし生けるものすべてに共通する命題として、それはある。

 

けれど、だからと言って世間が驚くほど「ハッピーライフ」を誇張する必要もないし、ましてや世界に知らしめる下品さは頂けない。

 

世の中には、悲しみが過去のものじゃなく、連綿と続いている人々が大勢いるわけです。

 

乗り越えられるような悲しみばかりじゃない、とてもじゃないけれど、死ぬよりも苦しい現実を生きている人々だっている。

 

だから、悲しみを乗り越えるにしても、そこには節度が求められるわけです。自分だけがいつまでも悲劇のヒロインを気取り、世界の中心で悲しみを叫んでみても少しも響かないのは、そこに行動が伴っていないから。

 

麻央さん亡き後に麻耶さんはどうなってしまうのだろうという世間の認識は、この10ヶ月あまりの間に、麻耶さんは幸せの絶頂を迎えた、この世の春を謳歌している、大丈夫だろうかどころの話じゃないというレベルにまで激変してしまった。

 

みんなが意地悪だから?

そうじゃない。

 

麻耶さんが、そう思わせるに不足のない言動を自身のブログでアップし続けたから。
どんなにhappyか、そのありあまる感情を伝達し続けたから。

 

正しく読者はそれに反応しただけ。
それだけの結果なのです。

 

なのに、昨日の問題発言。

神様がいるならば、妹ではなく、
私を召せばよかったと思うのです。 

ですから、それは驚くなというほうが無理です。

 

口先だけならなんとでも言える。多くの人がそんな気分になったはず。なのに、ブログで日々のハッピーライフを知らない、ヤフーニュースしか読まない一般読者には何と妹想いの姉かと映る。

 

しかしそれを一概に責めることもできない。
表に出るニュースはいつも「妹想いの姉、小林麻耶さん」ですから、その情報しか知らない一般人が誤解してしまうのも、無理からぬところなのです。

 

でも、感情の起伏の激しいもう一人の麻耶さんをブログでわかっている読者たちからすれば、「本気で言ってるのですか?」になる。

 

それほどに妹を思っていたあなたが、妹が存在していた場所、存在していたかったポジションに土足で踏み込み、その軌跡のすべてを消してしまうような毎日を送っているのは何故ですかと問い詰めたくもなる。

 

いろいろ考えました。
麻耶さんにとっての真実は何なのだろうかと。

 

自分が考える「〜のために」という信念で生きるからおかしなことになる。

相手の立場じゃなく、自分の立場で相手のことを考えるから周りが翻弄されるのでしょう。

 

思い遣りの本質は、

自分の立場で相手を考えるのじゃなく、相手の立場になって相手のことを考えること。

 

麻耶さんにはそれが不足している。

私が、自分が、が常に主体。

独りよがりの正義なのです。

 

引き際の美学なんてものは麻耶さんの辞書にはない。
世話を焼く、それも自分の考える世話を押し付ける。

 

これでは周囲は戸惑うし、振り回されて疲弊してしまう。

麻耶さんのブログでの発言やヤフーニュースでの取り上げられ方、その反響も含め海老蔵さんは周知していることと思います。

 

五輪にふさわしいかどうかは置いといて、海老蔵さんは五輪に並々ならぬ意欲を抱いているのは伝わってきます。

 

そんな自分が世間からどう見られているかを正しく把握しているようには思えないけれども、どうにかしなくてはいけないという漠然とした意識は持っているでしょう。

 

でも、第三者から見れば何も解決していないようにみえるし、何も改善されていないように見えて仕方ない。

 

そこでまたひとつのことに思いが至るのです。

 

どうにもできない状況にあるのかもしれないなと。

一日に何度か更新されるブログでも多くの情報を読取ることはできるけれども、その何倍も何十倍も多くの麻耶さんの現実を見ているだろう海老蔵さん。

 

だからこそ、読者以上に懸念していること、危惧していることがあるのじゃないでしょうか。であれば、どんな結論を出すにしても慎重になるかもしれません。

 

わずかなブログの一節にも麻耶さんの心はどうなっているのだろうと読者が危ぶむのです。相当多くの時間を共有している海老蔵さんが、海老蔵さん一家だけが知っている麻耶さんの姿というものがどういうものなのか。

 

世間が伯母としての距離を保つよう進言しても事態が変わらないように見えるのは、海老蔵さんにそのことが伝わっていないからと読むより、海老蔵さんもどうしていいものかわからなくなっているのじゃないか、と読んだほうが実は正しいのかもしれない。

 

そうも思わったりするわけです。

 

「いのちの授業」というタイトルの講演を引き受けている以上、麻耶さんはその宣伝と同じ場所で昨日のようなコメントを語るべきではなかった。

 

それこそ日記にでもkoyumiさんにでも吐露すればいいのです。それを、そんなことを言ったら世間がどう反応するか、自分が世間からどう見られるかが容易に想像できる状況で発信するから厄介なことになる。

 

人騒がせなんです、やることが。

 

ちなみに、10日の誕生日数秘は、

決めたことを自分で実現できる
意志力、行動力があります。

オリジナリティーで利益を
生み出すことも出来ます

人生後半は、
ルールに縛られず自由に
そして多くの人をつなぐことを
意識してくださいね!

コバマヤ数秘より 

(引用元:小林麻耶オフィシャルブログ「今を生きる4月10日」より)

でした。

ルールに縛られず自由に、ですか。

 

無責任発言、ここに極まれりですね。

無法地帯ですね、麻耶さんは。

 

つい先日まで自分の発する誕生日数秘は「転載転用引用禁ず、内容も話さないで」のルールにつぐルールの連投。

 

これを矛盾と言わずして、何を矛盾というのでしょうね。

 

世界の中心で癒してもらう!?

 

妹ではなく、私を召せばよかった…

 

の反響が大きかったのでしょう。それを受けて麻耶さんは昨日、20:22にブログを更新。

タイトルは「今日一日ありがとうございました!!!!」です。

 

たくさんの優しさを
ありがとうございました。

悲しませてしまった読者の方
悲しい気持ちにさせてしまったこと
反省しています。ごめんなさい。

 (引用元:小林麻耶オフィシャルブログ「今日一日ありがとうございました!!!!」より)

そんな言葉が冒頭を飾りました。

 

そして、

 

今回、
卒園式、誕生日、入学式と
大きな節目が重なり
思いが溢れてしまいました

 

自分がどんな感情を抱こうと
否定せず、

自分の気持に
ちゃんと 耳を傾けていきたい

それが、
自分を大切にすること

今を生きること
につながるのではないかと
現在、私は思っています。

 と続きます。

(引用元:小林麻耶オフィシャルブログ「今日一日ありがとうございました!!!!」より)

 

「卒園式、誕生日、入学式と大きな節目が重なり思いが溢れてしまいました」と。

麻央さんの無念を想っての「思い」ということですよね。

 

そうですよ、どんなにか無念だったろうと他人ですらわかります。だから、その人の大切にしてきたモノ、事、人物を汚さないようにしようと決意するのです。

 

麻耶さんは妹の無念さにどう向き合ってきましたか。
まさか、妹が愛してやまなかった男性と旅行などに行ってないですよね。

 

愛する旦那さんと温泉になど間違っても行ってないですよね。
子供なんて関係ない。姪っ子甥っ子なんて関係ない。

 

海老蔵さんほどの人物なら、2人の子供たちを温泉や海外へ連れて行くためのサポートなんていくらでも声をあげれば得られるでしょう。

 

まさか、麻央さんの未来に自分を重ねてなどいないですよね。

自分の想いを優先するあまり、妹の想いをないがしろにしてはいないですよね。

 

麻央さんは子供たちを愛していたことは勿論でしょうが、それと同様に海老蔵さんという男性を愛していたわけです。

 

自分が麻耶さんなら、そんな相手と噂になってしまう自分の素行を反省し、恥ずかしく思って、近くにいたくても、心を鬼にして一定の距離を保つよう努力します。

 

もう十分じゃないですか。

 

麻耶さんは麻耶さんで頑張った。
まだ遅くないですから、その前向きな思考で自分を心底愛してくれる男性と幸せになって下さい。

 

それが結局はすべての解決の道だと思います。

麻耶さんの言葉や生き方に救われる方も居る以上、数秘も続ければいいと思います。

 

ただ、麻央さんの家族とは一定の距離を保ち、その領域にはもう踏み込まずに、再婚という道を阻害しないことです。

 

卒園式、誕生会、入学式に切なくなるのは麻央さんの無念を考えればこそということもいえますが、姪っ子甥っ子との別れが刻一刻と近づいてきていることを実感してきているという側面もあることでしょう。

 

実際、今のような家族ごっこがまかり通るのも時間の問題です。
世間との接触が最小だったこれまでと比較にならないほどに、麗禾ちゃんの世界も広がっていきます。

ごっこには、終わりがあるのです。
そういう現実と向き合うだけじゃ麻耶さんも辛いでしょうから、姪っ子甥っ子を「人生の癒やし」として捉えるのじゃなく、自分がいつでも「駆け込み寺」になれる大きな器の伯母として構えていればいいと思います。

 

頼られたら応える。
積極的に関わろうとする善は断りにくいですから。

 

ブログにはまだ続きがありました。

『そんなこと思っちゃダメだよ』

と、もちろん!!頭では分かっていても
心では思ってしまうことがあります。

 

心では思ってるのに、
頭で否定してたら
自分が、かわいそう!!

いつも、心がけている
すべての感情に◯にはならない。

 

ただ!!!!

 

心の底の  悲しい気持ちを
書くことではなかったと、 
反省中です。 
 
つい、ここでは、 
心がゆるんで、 
言っちゃうんですよね。 
 
一度もお会いしたことがない方が多いのに 
優しさやあたたかさが伝わってきて 
言っちゃうんですよね。 
 
わたしは 
ここのブログの場所が大好きです。
 
心と心の交流できる
この場所を愛おしく思います。 
 
弱音を吐く番もあれば
励ます番が来る日もある。 
 
今日はたーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーくさん励ましてくださり、勇気をくださり、ありがとうございました!!!!

(引用元:小林麻耶オフィシャルブログ「今日一日ありがとうございました!!!!」より)

 

ギブアップすることも大事ですよ。

 

もう自分には手に負えない段階になったのなら、正直に海老蔵さんにそういって送迎担当、遊び担当からですら退いていいと思います。

 

 

「つい、ここでは、心がゆるんで 言っちゃうんですよね」

と言ってしまえることがもう危険です。

 

ここって、近所のスタバじゃないんですよ。

麻耶さんのいうところのココは、多くの読者を抱える、世界に発信される特別な場所なんです。

 

その意識が欠落しているのなら、発言で成り立つブログなどそもそもするべきじゃないし、そこで癒やしをなどと間違っても考えてはいけないでしょう。

 

なぜなら、いうまでもなく世の中は賛辞だけじゃないですから。

むしろ否定するように聞こえる意見の中にこそ真剣に麻耶さんを思いやる意見があると思ったほうがいいのですけどね。

 

耳障りのいいものは、その場だけですよ。
きつい言葉や批判の言葉は辛いけれども、やはり未だに自分を鍛えていると感じます。

 

人それぞれでしょうが、麻耶さんに今必要なのは甘やかす言葉だけじゃなく、叱咤する愛情かもしれないと、そう思えます。

 

ではまた。

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