毒舌ころも

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麻耶「2人の可愛い天使ちゃん」発言でいつまで関わるのか!?

 

 

ころもです。

 

何も難しいことはない。

2人が単純なことをあえて「複雑」にして集客に励んでいる。

世間にはそうとしか映っていない。

 

常識ある多くの読者は、伯母とは「ないない」と発言した海老蔵さんの言葉を記憶に持ちながら、巡業のたびに見せられるピンクプードルに「無言のメッセージ」を読み取ってしまい、明らかな矛盾を感じ不愉快に。

 

すべては「言動不一致」のなせる技。

 

麻耶さんにしてもそう。

義理の弟は、義理の弟  
姪甥は、姪甥
 
私は、義理の姉で、オバです。

(小林麻耶オフィシャルブログ「素直な気持ち」より一部引用)

そう断言したからには、潔く海老蔵さん一家から「常識ある距離」を取ればいいだけのこと。
同居しているのかしていないのか、そんなことを推測させ、週刊誌に追い掛け回されるような真似を現に慎み、匂わせるようなことを金輪際しなければいいだけのこと。
 
誤解をさせながら否定するから、世間からいつまでも批判を浴びてしまう。
そんな世間の当然な反応を「うるさい小姑」のように咎め、逆ギレするから、つまらない幼稚な「アメーバ限定」への逃避という馬鹿げた行動を「家出」と恥ずかしげもなく口にする羽目になるわけです。

 絶対愛とは、そんなものじゃない

 

この世で一番厄介なものは何だろうと考える。

 

人によって立場によって、また状況によってそれは変わるし正解というものは求める必要もないのかもしれない。

 

でも、広い意味での「一番厄介なもの」について語ることはできなくても、海老蔵さん一家にとって厄介なものが何だろうと考えるとき、ハッキリと見えるものがある。

 

それは、麻耶さんの「独りよがりな正義」。

 

いわゆる「善意の押し売り」というもの。

これほど厄介なものはない。

 

さらに言えば、自分の正義が一番、自分の正義が世界基準と思っている人間を正すことほど難しく厄介なことはないのかもしれない。

 

世界のあらゆる紛争の根源にあるのは、まさに「人の数だけある正義」。

 

そんな大きなスケールで語らなくても、目の前でその正義のナタは振り下ろされている。それも美辞麗句の影に潜んで、さり気なく、そして執拗に。

 

自分をののしる人間を遠ざけることに人は何の罪悪感も覚えないけれども、自分を称える人間を遠ざけることは至難の業。

 

だから、麻耶さんは海老蔵さんの子供たち、つまりは自分の妹が産んだ、自分にとっては姪っ子甥っ子でしかない子供たちを「天使ちゃん」と呼び、癒やしてくれる最大の存在として賛辞を送り、だからこそ自分は関わるし、関わっていいのだという大義名分を世間に振りかざす。

 

それがどんな世論を巻き起こそうと、長い目で見て、そして広い眼で見て成田屋、さらには歌舞伎、日本の伝統芸能の未来に悪影響を及ぼす可能性を秘めていようと、そんなことはおかまいなし。

 

だって自分は、

 

2人の天使ちゃんたちを「絶対愛で包む」優しい、献身的な伯母なのだから。

 

称賛されることはあっても、批判なんてとんでもない。
そんなもの誰が受け付けるものか、ということなのでしょう。

 

これは想像でも憶測でもなく、麻耶さん自身が批判を受け付ける許容が現在ないというような発言をしてきたことからも、容易に推察できる心境です。

 

昨日の「4月7日生まれのかた」というタイトルブログ(22:22更新)では、

 

あっという間に夜という感じですが、
2人の可愛い天使ちゃんたちと過ごせて
笑顔多き一日となりました!!

(引用元:小林麻耶オフィシャルブログより)

とコメント。

 

遊び担当の伯母として、姪っ子甥っ子たちと過ごしている日常を記す。

 

なんでもないことです、本来なら

 

これが一般家庭の、シングルファーザーが出張中で子供たちだけになってしまうのを回避するための留守番伯母さんとしてのブログなら、それはそれで丸く収まるのでしょう。

 

ただ、相手は人気商売を生業(なりわい)としている歌舞伎役者であり、その人を「雲の上の人」「大ファン」と麻耶さんは公言し続けてきた経緯がある。

 

しかも海老蔵さんは実の妹の旦那さんだった人で、今は義理の弟という立場。そして自分は世間に「最愛の妹」と語ってきた過去があり、その妹が無念にも若くしてこの世を去ったという現実まである。

 

母親を亡くした姪っ子甥っ子の寂しさや面倒を見るまではわからないではない。それは必要な範囲内でお世話をしたり、気にかけたりするのは人道上も十分に理解はできる。

 

問題は、その「程度」なのです。

 

ただでさえ自分は海老蔵さんの大ファンであるという大前提があり、それが世間に良くも悪くも知れ渡っている。

 

下心があるのじゃないか。
後妻になるき満々なのじゃないか。

 

再婚願望があるのじゃないか。

妻の座を狙ってお世話しているのじゃないか。

 

下世話であっても、そう噂されることは想定しておかなくてはいけないし、想定していなかったとしても、世間の空気を読めるようになったなら、そういう意見や見方もあるのだなという現実に少しは眼を向けなくてはいけないわけです。

 

やましいことがないから、何も言う必要もないという立場ではないのですよ、2人とも。

もちろん、だからこそ海老蔵さんもブログで麻耶さんとのことを「ないない」とハッキリ言ったわけだし、麻耶さんも遅ればせながら先だって「義理の弟は、義理の弟」と口にしたのだと承知しているつもりです。

 

ただ、その言葉が行動と一致していない。
少なくとも、誤解を招く域から脱していないことに無頓着すぎると感じるわけです。

 

これが麻耶さんと海老蔵さん大人たちだけの問題なら、そういうウヤムヤさも一興として楽しむ余裕が世間的にもあるかもわからないですが、ブログを始めたことで麻央さんには多くのファンもでき、その麻央さんを慕うファンの人たちの子供たちへの熱い想いというものもある。

 

そんなことは想像しなくても、たやすくわかること。

 

だとすれば、その子供たちの健やかなる成長というものを、いくら他人といえどもブログから知ることができれば気になるのは致し方ないわけです。

 

他人が口を挟まなくていいと、そう本気で思っているなら、ブログなどという世間が口を出すためにアップするような手段を選ばなければいい。

 

簡単なこと、単純なことです。

 

でも、それを嬉々として続ける。

 

むしろ、ゲームを楽しむように質問や謎掛けをして読者を巻き込んでいる。それが一概に悪いということではなく、その内容は精査すべきでしょう。

 

今日の朝ごはんは何でしょう? という謎掛けじゃないわけですからね。

 

麻耶さんはまがりなりにもフリーアナウンサーという肩書をまだ持っているわけだし、海老蔵さんは歌舞伎界を背負っていく一人でもある。

 

それぞれに、ファンがいるわけです。

そして、ファンあってこその世界で2人は生きているし、生きていこうとしているわけです。たとえそれがブログだけだったとしても。

 

だとすれば、その人たちが不快、不愉快、疑念、疑惑を抱くような言動を見せ続けるのは賢明じゃないです。

 

麻耶さんは「2人の可愛い天使ちゃん」によく癒やされているようですが、そんな2人のために何をしてあげてますか。

 

乱れたパジャマ姿や髪、寂しげな表情や、おかしな加工アプリで世間の種種雑多な声を呼び寄せ、ブログ集客にいそしんでいるだけのようにしかこちらには見えません。

 

ブログを好ましく思っていない学校側の意向は、どんな場面でも子供たちを被写体として撮り続け、世界発信してさらす親や伯母よりずっと親身で、親切で、親の心を持っているように感じますがどうでしょうか。

 

絶対愛というのは、押し付けることとは真逆の愛ですよ。

 

必要とあれば、自分がどんなにその人物たちに癒やされようと、楽しい時間を過ごすことができようと、時として身を引く、遠くからその様を見守る、そういう俯瞰した、本当の意味での心眼でサポートすることです。

 

朝はお花に癒やされて
一日がスタートしました。

(引用元:小林麻耶オフィシャルブログより)

 

綺麗な花の画像がアップされていました。

確かに綺麗です。

 

癒される読者も沢山いるでしょう。

でも、癒やされて、癒やされてが多すぎやしませんか。

 

一般の人々は、理不尽な日々のなか満員電車に揺られ、劣悪な環境の中で働かざるを得なかったりするわけです。

 

麻耶さんが苦しんだことがないと、そう言いたいわけじゃありません。

長い人生において刹那な時間であっても、麻央さんの闘病生活を見てきた姉なら、その闘病をまちがいなく支えてきたであろう多くのブログ読者への「謙虚な心」「感謝の心」を示してもバチは当たらないのじゃないでしょうか。

 

挑発的なブログや麻央さんが望んだとは思えないような言動の繰り返しを、なぜこれみよがしにブログに掲載するのか。

 

苦しいときに看病をしてくれたからといって、自分の愛する男性と好きなときに好きなところ、好きなだけ旅行を満喫してきてね!なんて思う患者がどこにいますか。

 

こんな簡単なこと、説明させないで欲しい。

 

麻央さんがいくら麻耶さんに感謝していた事実があったとしても、それがイコール、海老蔵さんと自分以上に多くの時間、想い出を量産していくことを許すことにはつながらないことがなぜわからないのか、それが他人であっても許せないのですよ。心ある読者たちは。

 

ありがとう、感謝しているから自分の旦那と楽しんでね。
そんな奥さんの姿が当然だとしたら、なぜ週刊誌はあれほど多種多様な愛の在り方を許容できないのか。

 

麻耶さんは麻耶さんなりに頑張っていると思います。

自分の信念で、自分の考える正義、思い遣りの範疇で頑張っているのでしょう。

 

ただ、それは独りよがりになっていないか。


あるいは、それが世間に誤解されて映っていることが偶然にしろわかったのなら、何がこれほど批判を浴びてしまうのか、同居しているかしていないかが不透明で疑惑を呼んでいるのだとわかったのなら、そこだけでもハッキリさせようとなぜ思わないのかが不思議です。

 

個人の勝手という領域をもう越えているのじゃないでしょうか。

子供たちは、自立することが成長のゴールだと思います。

 

その自立のために必要なことは、ときに寂しさや孤独と向きあうこと。

 

その場しのぎの、対処療法的な「お楽しみ」でごまかすことじゃなく、もっと本質的な「母親はもうこの世にはいない」のだという現実と向き合う時間をもたせることこそが、本当の勇気ある愛情の注ぎ方です。

 

絶対愛とは、都合のいい「自己愛」の変容した言葉です。

違うでしょうか。

 

ではまた。

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