毒舌ころも

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麻耶 海老蔵ブログで自分の必要性アピールの画像掲載か!?

 

 

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ころもです。

 

意固地なブログはつまらないを越えて、哀れですね。

麻耶さん、限定に次ぐ限定で読者を囲い、何を、そして「どこを」目指しているのでしょう。

転載も転用も引用も禁じると言ってますが、誕生日を数秘で占っていることを公表したいし読んで欲しいからこそ、誰でもが見ようと思えば見ることのできる世界に大きく窓を開く「世界発信」ツールとも言うべきブログに、頼まれもしないのに(頼まれるどころか、自制を求められていたぐらいなのに)嬉々として「バースデー数秘 コバマヤ」
という署名ごときものをつけてまで発信していたのじゃないのですか。

自分で数秘占いをせっせとアピールしていたようにしか世間には映らなかったのに、占いをしていることを週刊誌が触れただけで過剰反応して、一方的に世間が誤解、曲解しているような言い回しで被害者ぶり、いきなり読者登録した人しか読むことのできない「限定」で取り扱うというのはあまりにご都合主義だなと思わざるをえません。

数秘占いに自信がないのですか。

それとも、数秘占いのついでに掲載している甥っ子の画像を批判されたくないのでしょうか。

今回も「そこまで大きく掲載しますか!?」と驚くほど大きな勸玄くんの笑顔がアップされていましたが。

 私見なら囲う必要があるのか

2日前、4月3日の火曜日には2記事更新した麻耶さん。

最初の「2018年オレンジのパワーを身に着けて」タイトルは誰でもが読める更新ですが、2記事目の「◆4月3日生まれの方」タイトルは、今さら言うまでもないですが「限定」です。

この使い分けが非常に姑息。
読者登録しない読者なんて「読者じゃない」と謳っているも同じ。

 

週刊誌の言葉を借りれば「生活の生命線」となるブログ、そのブログアクセスを支えていた様々な種類の読者を、肯定派と否定派と勝手に決めつけた感じで線引きし、自分の数秘占いに対する「気に食わない意見、感想、批判」を一切受け付けないという今のやり方はかなり異様です。

 

反対意見や感想をすべて「批判」と解釈してしまうから、こんなことになるのでしょう。

 

どんな名著でも全面的に賛同を得られることはないわけです。あのマザーテレサの行いにしても批判の声は皆無ではなかったことも考えれば、賛否両論という姿は望むべく健全な姿だし、むしろそうでなくては危険だとすら思ってしまうほど。

 

数秘占いに自信がないのなら、それをブログ掲載しない方法もあるのに続けている。続けているのであれば自信があるのかと考え新たにするが、限定から抜け出せてない現状からすると、やはり正々堂々と公表できるものではないのか?

 

そんな思考回路を読者に持たせて、一体誰のためのブログなのでしょう。特定の誰かのためならその方めがけて発信するのが適当であるし、不特定多数のブログ読者に発信するなら、発信に対しての意見や感想を受け付けないというのはあまりに偏屈すぎるし、身勝手に過ぎます。

 

・「2018年オレンジのパワーを身に着けて」タイトルでは、「椿山荘で結婚式された方、たくさんいらっしゃいましたね」とコメントし、「ステキなホテルですよね!!」と結婚願望があると受け取られる発言をしていましたね。

そして、新入社員や新入生の新生活スターに際し、

緊張することが多い1週間だとは
思いますが♡応援しています!!

(引用元:小林麻耶オフィシャルブログ「2018年オレンジのパワーを身につけて」より)

とコメント。

今年のラッキーカラー(数秘&カラー的に)と前置きし、それが「2つあるのですが、」と言って、

そのうちの一つ
オレンジのパワー送ります♡

(引用元:小林麻耶オフィシャルブログ「2018年オレンジのパワーを身につけて」より)

として、オレンジのそれぞれ違う花の画像を3枚アップし、その下に

協調性、調和、友好的がキーワード

(引用元:小林麻耶オフィシャルブログ「2018年オレンジのパワーを身につけて」より)

と入れています。

これ、ブログ読者に対しよく言いました。

協調性? 調和? 友好的?

 

それがわかっていて、限定につぐ限定。まるで読者に喧嘩を売っているように感じるのですが、考え過ぎでしょうか。

 

協調性や調和が大事だということなら、麻耶さんこそ意固地にならず、読者を選別などすることなく、友好的な態度で広く数秘占いを世間に堂々と公表したらどうでしょう。

 

占いじゃないのなら、なおのこと「私見」ということで世間に公表しても何も問題ないのじゃないでしょうか。

それとも査定をされるような内容なのでしょうか。正解、不正解が専門家によってジャッジされるような類のものを書いているのでしょうか。

ということは、それは私見(しけん:自分一人の考えや意見のこと)というより「占い」ということですか。


わからないですね、本当に「限定」で読者を囲う意味がわからないです。

 

・2記事目の「◆4月3日生まれの方」タイトルの限定ブログでは、バースデー数秘の最後に、ずいぶんと空白の行で間を置いてから、転載や転用や引用を禁じることを明記していました。

 

なので引用も転載もしません。

読後抱いた、個人的な解釈だけ言います。

 

人生後半の内容は、自分ひとりの世界も楽しめるような強さを持つようアドバイスしてくれてるのか…。これが「読者登録」しているころもが抱いた、今回の限定記事への解釈・感想です。

 

まさか、個人的な解釈や感想まで「禁じます」と制限しているわけじゃないですよね。だとしたら、それはもはや家の寝室にでも置いてある日記帳に書いたほうがいいと思います。

 

母親じゃないのに掲載していいの!?

そして昨日、4月4日には1記事のみ更新している麻耶さん。もちろん「限定」で、

タイトルは「◆4月4日&笑顔」です。

 

限定なのに、というのか、限定だからこそ「笑顔」というのがつけられたのだなと洞察鋭い読者は”そこに何があるのか”をすでに推量しているかもですね。

 

そうです、今回の数秘の中には甥っ子の勸玄くんの巨大な笑顔が数秘の最後の最後に画像アップされています。

 

読者登録をしているころもが読んだこの「限定」の感想としては、人生後半が相変わらず麻耶さん自身の考え、目標のようなものになっているなということ。

 

人生後半部分を読んだ感想としては、とにかく精神的にも物理的にも獲得できた豊かさを他人に与えることを意識するようにというアドバイスをされた感じ。

 

ということは、ブログアクセスで得た収入を将来的に麻耶さんは麻央さんのような病気で苦しんでいる方々のために寄付でもするのかな!?と勝手に期待してしまいました。

 

読者登録している、一読者としての感想を述べさせて頂きました。

 

それにしても、甥っ子の写真を我が子同然にブログに掲載するのですから、これは批判を恐れて「限定」にせざるを得ないという判断なのでしょうね。

個人情報が厳しい時代に、親ですら学校側に注意を受けるのに伯母がこういうことを平気でするのですから、海老蔵さんも考えたほうがいいですよ、本気で。

 

勸玄くんで思い出しましたが、昨日の海老蔵さんのブログ「帰らないでの顔」というタイトルで、不思議な下りがありましたね。

 

昨夜19:47に更新されたその「帰らないでの顔」タイトルでは、

 

帰らないでの顔らしいです笑笑

(引用元:市川海老蔵オフィシャルブログ「帰らないでの顔」より)

 

と冒頭でコメントがまずあり、

海老蔵さんマンションの玄関口なのかと思われる大理石の廊下に体育座りをして甘えているような微妙な表情の勸玄くんの画像が1枚アップされていました。

 

そしてその下に、

そんな顔されたら
帰りたくなくなるよー

(引用元:市川海老蔵オフィシャルブログ「帰らないでの顔」より)

 

 という海老蔵さんのさらなるコメントが。

 

これって……

 

海老蔵さんは現在福岡です。

 

ということは、この写真を撮影しているのはおそらく麻耶さんでしょう。

そしてその麻耶さんがこの画像を海老蔵さんに送信して、その感想を海老蔵さんがつけてブログにアップしているとなると、

 

まず大きく2つのメッセージが読み取れます。

これはあくまでも推察ですが、

 

ひとつは自分は「ちゃんと帰宅している」ということを主張したかった。

 

もうひとつとしては、

自分は「無くてはならない存在になっている」ことも同時に主張したかった。

 

違うでしょうか。

 

帰らないでの顔らしいです

 

という表現は、いうまでもなく人聞きの言葉。つまり、画像を送ってきた人物から言われたことをそのまま信じて書いているわけです。

 

自分が帰ろうとすると「帰らないで」という顔をすることを海老蔵さんに画像まで撮影してアピールする人は誰?

 

その意味、意図は!?

 

海老蔵さんの子供に必要とされている自分。

それをアピールしていると解釈されても何も反論できないようなこの下り。

 

送信した側もさることながら、それを世界発信して読者に知らしめようとする海老蔵さんの意図というものは何なのか。

 

こんなにアピールされて困っているんですよ、ということなのか、それとも、息子がこれほど「この人物」を必要としているのですよ、とそう言いたいのか。

 

いずれにしても、何アピールなのかを探るよう求められていると読者が解釈するのが自然な成り行きですね、この書き方では。

 

 

翻弄されるのが疲れすぎて離れる人も多いことでしょう。

それでも読んでしまうのは、やはり良くも悪くも「謎」というか、「不可解さ」が常にあるから。

 

不可解なものを解明したいという本能を掻き立てられるので、ついつい読んでしまうという方が多いかもしれませんね。

 

それにしても、ブログがこれほど人生の大部分を占めているとは……。

 

 

勸玄くん、ぶりっ子ポーズが抜けなくなったら大変ですね。
歌舞伎どころの話じゃなくなってしまう。

 

幼くして母を亡くせば、常にそばにいる誰かがいなくなるとなれば”それが誰であれ”寂しく思うのは自然なこと。

 

誰か、であるからということではないでしょう。
誰であっても、です。

 

海老蔵さん、そこを読み違えないで欲しいなと思いますが、実はちゃんと読み取っているようにも感じます。

 

余計なお世話ですね。

 

 

ではまた。

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