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麻耶「たくさんたくさん妹を感じていきたい」限定で麻央を語る

 

 

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ころもです。

 

意固地になってますね。

限定に次ぐ限定。

 

なんだか勝手に世間を敵に回して、一人堅牢な屋敷に立てこもっている感じ。

そうまでして何を守りたいのか。

芸能の仕事さえコンスタンスに入ってくるならば本当はその世界に戻りたい気持ちが多分にあると思えるのですが、こればかりは相手あってのことなので難しい。

若く才能あるタレントが次々に輩出される芸能界にあって、またイメージが大事な芸能界においては活躍できる場所はそうそうないのが偽らざる現実でしょう。

自分が何者なのか、将来はどうなっていくのか。

募る不安や承認欲求を解消するのに最適な場所が、妹の麻央さんが残してくれた「海老蔵さんの義姉という立場であり、子供達にとっての伯母」という立ち位置、場所ということなのだと推察しています。

しかし…

よくわからないですね。

行事のたびに海老蔵さん一家と過ごしている麻耶さん、噂になれば「ないない」と言いながら、ピンクプードルのパーカーを着ない選択もできるのに着続けている海老蔵さん。

この二人の関係は客観的に見て、共依存(特定の人間関係に依存する状態)といっていいのじゃないでしょうか。

今回の限定で麻耶さんは「まおちゃん、ありがとう」とコメントしているのですが、今さら?という感じ。

今麻耶さんの人生を潤わせているすべては、麻央さんの置き土産ばかり。

限定で「まおちゃん、ありがとう。」

ちょっと見ない間に増えてますね、またも限定が。

 

昨日、3月23日(金)は合計2記事更新している麻耶さん。

タイトルは「アメーバ限定ばかりになってしまう笑。」と「◆3月23日」。

 

「アメーバ限定ばかりになってしまう笑。」タイトルですが、「転載転用禁ず」の文言は入っていません。

 

冒頭の言葉は要約すれば、前日22日の勸玄くん誕生日に麻耶さんが用意したケーキや風船や飾り付けなど全てを喜んでもらえたと伝えるものでした。

その後に、

妹がずっと一緒にいてくれたから
あたたかくて やわらかい
やさしさ包まれていた一日でした。

(引用元:小林麻耶オフィシャルブログより)

とあり、さらに、

目には見えないけれど
たくさんたくさん妹を感じていきたい。

(引用元:小林麻耶オフィシャルブログより)

とコメント。

 

これ、かなり意味深に思います。

妹を感じていきたい、そのためには関わり続けたい、この家族と。

そんな感じに聞こえます。

 

亡くなった妹と別人格、別人生であることを認識しているのかと心配になるほどの入れ込みようですが、どんなに愛しい妹だろうと何だろうと、その人の人生に必要以上に絡んでいこうとするのは完全に何かを読み違えていると通常は気づくもの。

 

でも麻耶さんの場合は「距離感」云々というレベルではもはやなく、「麻央さんとの同化」を目指しているのじゃないかと恐怖を抱くほどに入れ込んでいる。

 

嫁いだ妹をどこまでも追い続けただけじゃなく、その生命亡き後も関わり続けようとする。世間一般でいうところの結婚というものに罪はないのに、こんな遺族ばかりになってしまったら若者の「結婚離れ」はますます加速するでしょうね。

 

怖すぎます、結婚に付随するもの、足かせのことを考えれば「独身のままでいいか」と躊躇する人だって増えるでしょう。もれなくついてくるものが多すぎるし、大きすぎる。これは、決して他人事じゃないと二の足を踏むかも。

 

この限定内容の最後に、麻央さんが好きだったというユーミンの「やさしさに包まれたなら」の歌詞、

やさしさに包まれたなら きっと
目にうつる全てのことはメッセージ

(引用元:小林麻耶オフィシャルブログより)

を記し、

最後の一行には、

まおちゃん、ありがとう。

とコメントした麻耶さん。

 

姪っ子甥っ子への愛というより、海老蔵さんのそばで生き続けるために大事な「姪っ子甥っ子」ということじゃないのかと世間の多くが思うほど、麻耶さんの子供達へ向ける愛情というのは常に自分への「癒やし」「自己愛」と一体化していますね。

 

実際、これが海老蔵さんの子供じゃなかったらどうだったのだろうと一度は皆考えてしまうのじゃないでしょうか。

高級マンションで家事一切をまぬがれ、送迎と遊びを担当するだけで 「雲の上の存在の人」と同じ屋根の下で暮らす日々が増える。

 

大好きな海老蔵さんじゃなくても同じ結果だったろうかと、考えるなというほうが無理というもの。

 

この限定の最後「まおちゃん、ありがとう。」の意味はまさしくその美味しさを味わい尽くしている人だからこそ思わず出た言葉といっていいでしょう。

 

バースデー数秘は直近の想いを書いただけ!?

昨日、2記事目にして最後の記事となった「◆3月23日」タイトルの内容は、そのタイトルどおり”バースデー数秘”についてのみです。

 

週刊誌の記事で「占い師」と揶揄された感じがよほど気に入らなかったのか、その記事以降に発言している数秘の最後には、これまで必ず記述していた決めの「バースデー数秘 コバマヤ」の文言はありません。

 

今後はこの言葉を記さずにやっていくのでしょう。
それはそうとしても、なんていうのかバースデー数秘の内容が、数秘占いというよりはどう考えても、その前後の麻耶さんの行動を正当化する、あるいは賛辞するような内容に寄り添いすぎて笑ってしまいます。

 

たとえば前日は勸玄くんの誕生日を海老蔵さん一家と共に祝い、その準備に奮闘したことを思わせる記述を自ら限定で発表していた麻耶さんでしたが、その翌日のバースデー数秘(3月23日の人への内容が)内容は(これまた限定ですが「転載転用禁ず」にはなっていません)、

 

どんな状況でも生きていけるあなた
コミュニケーション能力が高く
人を喜ばせることに長けています!

 

好奇心旺盛の自由人。
すぐ飽きてしまっても◎

 

 

(引用元:小林麻耶オフィシャルブログより)

 

とあります。

 

これ、麻耶さん、自分のことですよね!?

最愛の妹が亡くなってしまうという悲しい現実の中でも、こうして遺された家族同士で交流しあい、誕生日を開いたりハワイへ行ったりとコミュニケーションを絶やさない、誕生日には甥っ子へのケーキや風船を膨らませる事も忘れない、そんな人を喜ばせることに長けている私、最高!と、そんな風に読めて読めてならないのです。

 

極めつけは「好奇心旺盛の自由人」と、これまた麻耶さんですよね?と思わせる言葉が続き、「すぐ飽きてしまっても◎」と言い切ってしまうところ。

 

怖い発言です。無責任すぎる言葉です。

 

すぐ飽きてしまっても◎!?

 

つまり最後はこう言いたいのですよね、

 

なんでもオッケー!と。

 

こんな考えの人が占い師まがいのことをやってブログアクセスを集め、本気でお悩み相談をしているかもしれない読者たちに「場当たり的な回答」をしているのだとしたら、これは本当に罪深きこと。

妹想いの姉というイメージが短期間で綺麗さっぱり消え去った以降の麻耶さんは、何かが吹っ切れたかのごとくやりたい放題、言いたい放題を楽しんでいる感じ。

 

これは大変ですね。

 

例のごとく、人生後半についても記してありますが、

物質的な豊かさだけではなく
精神的な豊かさも意識して♡

(引用元:小林麻耶オフィシャルブログより)

って、3月23日の人以外の誰にでも当てはまること。
こんなアドバイス、「わかってるよ」と一蹴されて終わりでしょう。

気楽なこと、この上ないです。

 

結局、昨日3月23日のブログ2記事とも「アメーバ限定」だったわけですが、このやり方というのはどう考えてもジリ貧になっていくばかりの「読者登録数」を食い止め、少しでも挽回して元の数字に近づけようとする秘策と思います。

 

現に、限定を続けているために減少していくばかりだった「読者登録数」がじわりじわりと回復していっている。

 

バースデー数秘を揶揄されたことが悔しく悲しくて「限定」にしたというのは表の理由であって、裏の理由として「読者登録数の回復」というのが至上命題としてあったのじゃないかと推察できそうです。

 

実際、海老蔵さん一家に依存することがなくなっていけば話題も事書くようになり、そうとなれば「生活の生命線となっているブログ」、以前週刊誌の記事にそう書かれたこのブログですから色々とアクセス稼ぎのための手練手管というものは考えていかなければならない。

 

それは麻耶さんにしてもアラフォーですから、自身の老後、もっと逼迫してくる親の老後のことも思えば必死になるでしょう。

 

伯母の老後まで海老蔵さんが見てくれるのならいいでしょうが、それがどうなるか不透明であることは実は麻耶さんが一番よくわかっているのかもわからないですね。

 

限定に次ぐ限定、その切実さは麻耶さんが一番感じていると思います。

 

ではまた。

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