毒舌ころも

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麻耶 味しめた!?3回連続「読者限定」ブログ更新の弱気と強気

 

 

 

ころもです。

 

自分を俯瞰して見ることは大事です。

 

なぜ自分は誤解されるのかを”怒りの視点”で見るのじゃなく、”反省の視点”で捉える。

それができれば、おそらくここまでの批判、批難を浴びることはないでしょう。

 

麻耶さんが、本日2度めのブログを更新。またまた「読者限定」です。

すっかり味をしめたようですね。

 

日に100名近い読者が登録解除していたのですが、3月13日以降に更新された、3回のブログ内容がすべて「読者限定」記事となっているので、致し方なく「登録し直した」という読者も多いことでしょう。

 

読者登録している人は何をしても賛同し、共鳴し、励ましてくれる存在という思い込みで「限定」に次ぐ「限定」という形にし、耳障りの良い、決して「麻耶さんは悪くない」という思いにさせてくれる場所は確かに居心地がいいでしょう。

 

でも残念ながら、それは現実世界の中のワンオブゼム(たくさんの中のひとつ)でしかありません。

 

「なんでもおっけー」という考えを、全力で受け止めてくれる人たちだけで未来永劫やっていけるのなら、それもまたひとつの選択だし生き方なのかもしれない。

 

でも…

 

それが許されるのは「他人に迷惑をかけない」という大前提があればこそだということを、未だ麻耶さんは理解していないということが今回の開き直りのブログから改めて理解できました。

麻耶さんのブログの特徴は、反省に見せかけた「怒り」、謝罪にみせかけた「不満」しか感じられないということ。

自分がどうしたいかだけを主張し、その正当性だけを声高に叫び、耳に痛い言葉に対し自省どころか突き進む発想しかない。

 

なのに、「世界に優しい光を放つ存在でありたいから。」という、取ってつけたような借り物にしか思えない言葉を平然と口にする。

 

『置かれた場所で咲きなさい』という本を贈りたいですね。

 前を向く前に「反省」がなぜないのか

 

ヤフーニュースで「おもしろおかしく」取り上げられてしまった麻耶さん。亡くなった妹の旦那さんとの相性を占った云々の記事以前に、その何倍もの非常識を自身がブログでさんざん公表してきた事実を忘れてませんか。

 

今さら、麗禾ちゃんの卒園式に週刊誌の記者が大勢いたところで、伯母でしかない自分、海老蔵さんの義理の姉でしかない自分ということを誰よりもしっかり自覚しているなら、何を恐れることがあるのか。

 

やましいことがないならば、正々堂々としていればいいのです。なのに面白おかしく書かれたくないと「限定」で話したということは、面白おかしく書かれるような日々や出来事を自分自身が実践しているという後ろ暗さがどこかにあるからだと解釈されてしまいますが、それでいいのでしょうか。

 

今回 21:19に更新された「ありがとうございます」タイトルの限定ブログの中には、「転載転用禁ず」の文言はありませんでした。

 

要約すれば今回の「ありがとうございます」というタイトルの内容は、今朝は落ち込んだけれども、人生一度きりだから、ダイナミックに人生をいきるもん!といったところでしょうか。

 

冒頭では、「激励のお言葉、お気持ちありがとうございました」ということで、みんなの存在が有り難い、というコメントから始まっています。

 

そして、

今朝のように
時に、落ち込んだり、弱ったり...
 
人生の主導権を
人に渡してしまいそうになる時もあるけれど..
 
そんな時は、一度 立ち止まって
また、持ち直せばいいですね。

(引用元:小林麻耶オフィシャルブログ「ありがとうございます」より引用)

 

と語り、「今回のことをきっかけに」と前置きすると、

潔く! ダイナミック!! に
人生を歩んでいこうと
決意出来ました。
 
この人生、一度きりですもんね
 
感謝。
(引用元:小林麻耶オフィシャルブログ「ありがとうございます。」より)
 
というセリフで終わり。
 
一度立ち止まって持ち直せばいい、と言いますが、一度立ち止まって、まずはいったん我が身を振り返り、反省という時間、視点を持ってはどうでしょう。
 
それがないから、堂々巡りで進歩がないのですよ。
 
立ち止まって持ち直す前に、反省しましょう。
持ち直すのは「それから」です。
 
人生の主導権を人に渡してしまいそうになる時もあるけれど…
 
というわりには、人生の主導権を自ら手放し、妹家族の人生に委ねているように見えて仕方ないのですが、それとこれとは話は別ということでしょうか。
 
思うに、海老蔵さん一家というのは麻耶さんにとっては「宝の山」という存在なのでしょう。自らは決して登れない山に麻央さんが9合目まで運んでくれた、おいそれと下山するなんて勿体無い、冗談じゃないという気分なのかもしれない。
 
ひとつ前の限定ブログの中で、姪甥のことが可愛すぎて、大好きすぎて、自分に出来ることは最大限したいと思っています、と発言していましたが、それは麻耶さんの「欲望」ですよね。
 
望まれてそうしているのじゃなく、
望んで自らそうしているのですよね。
 
恩を着せる言い方は間違っているし、恩を着せる生き方はもっと間違っている。
なぜ海老蔵さんがあえて「母親の無償の愛」が子供達には必要だとブログで語ったのか。
 
これは読者に語りかけているというより、何をするにも見返りを求める「もっと身近な誰か」を遠回しに皮肉っていると解釈したほうが納得がいくし、二人のブログを読み進めている読者ならすぐにも理解できること。
 
数秘術が悪い、占いが悪いという単純な話じゃなく、まずは、自ら始めたバースデー数秘であるのに、理由も謝罪もなく「完全にスルーしてしまった」誕生日の人たちへの詫びの心のひとつも語ったらどうでしょう。
 
自らが一度きりの人生を楽しみ尽くし、味わい尽くしていきたいという気持ちはよ〜くわかりました。
 
ついでに言うなら、誰にとっても「人生は一度きり」です。
麻耶さんだけじゃありません。
 
 
せめて、忠告されても突っぱねて続けた「バースデー数秘」を、終わらせるなら終わらせるなりの言葉をしっかりブログで書いたほうがいいのじゃないでしょうか。
 
自分の傷だけを癒やして貰うだけではなく、自分が傷つけた人々を癒やすことにも時間と労力を割いて欲しいもの。
 
あまりに身勝手な言い分が続いてますから。
 
 
ではまた。
(引用元:小林麻耶オフィシャルブログより)