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麻耶 悲劇のヒロイン気取り!?卒園式出席もこっそり限定報告

 

 

 

ころもです。

 

やはり「限定」でした。

「tsubuyaki」というタイトルで、19:45に久々のブログ更新です。

 

最後に更新したのが3月13日の12:36でしたから、約3日と7時間ぶりということになりますね。

 

そこに何が書いてあったかといえば、予想に違わず姪っ子である麗禾ちゃんの卒園式に行ったという報告です。

 

晴れの麗禾ちゃんの卒園式があったにもかかわらず、なんだか「腫れ物にさわるような」空気感がこの数日流れていましたが、それは、おめでたいはずの卒園式が「アンタッチャブルな何か」によって目立たなく日常の一環のように流されていたことに、不自然さと不可解さを拭えなかったからだと気づきました。

麻耶さん、卒園式にやはり行ったのですね。

 自分の感情が常に主流、すべては自分のため!?

予想どおり、久々のブログ更新をAmeba限定で読者を「選別」した形となったわけですが、ひとことでいうなら、「なにかやましいことがあるんですか」と、そう言いたいですね。

 

今回は内容の途中に思い出したように、「◆無断転載転用、禁じます」という文言を入れていました。

 

「行」で言えば23行。
絵文字はなく、全体として非常にしんみりとした、とても可愛い姪っ子の卒園式の報告内容とは思えないほどに神妙な内容という読後の印象です。

 

転載転用はできないのでかいつまむと、

 

定例の挨拶の言葉はなく、ドタバタしていたためブログを更新できなかったということを最初に語り、体調は大丈夫だということを心配した人へ「すみません」とコメント。

この時点で毎日のバースデー数秘が途絶えて傷ついている人がいることには一切触れず、謝罪の言葉も一切ないことに素直にびっくりです

 

そして、

麗禾ちゃんという言葉は出さず、「姪っ子ちゃん」という言い方にして卒園したことを「本当に良かった」と報告。さらに、

卒園式に着物で行きたいなぁと、
目を輝かせて目標を話していた妹。

(引用元:小林麻耶オフィシャルブログ「tsubuyaki」より) 

とコメントし、さまざまな感情から涙が止まらなくなったことを吐露。
 
その妹の「無念」さが本当にわかる人だったらどんなに良かっただろうと総ツッコミが入りそう。ゆえに「限定」ということなのでしょうが、平均して100名近い読者が毎日「読者登録を解除」しているので、そちらへのアプローチの意味合いも少しはあるのかもしれません。

 

さらに続く麻耶さんの言葉によって、疑問だった「あること」が氷解した想いがしたものです。何が書かれていたかというと、

 

記者たちが幼稚園の周囲に来ていたことを麻耶さんは伝え、

おもしろおかしく、書かれたくないな、
と、心の底から思ってしまいました。

(引用元:小林麻耶オフィシャルブログ「tsubuyaki」より)

とコメント。

 

最後の4行は、気持ちを聞いてくれたことへの感謝の言葉を述べ、今回のような形にしたことに対してなのか「嫌な気持ちにさせてしまったらごめんなさい」と詫びの言葉で締めて終わり。

 

 

なるほど、だからそういう言い方になったのか

腑に落ちないことがあったのです。

それは、麗禾ちゃんの卒園式当日の海老蔵さんのブログでの、この内容でした。

 

今日は実は麗禾の卒園式でもあり
出席したかったのですが、
諦めました、

 

任せられたお仕事を努めたいと思います。 

(引用元:市川海老蔵オフィシャルブログ「朝トレ」より)

 

出席したかったのですが、諦めました、 

 

という部分です。

今回の麻耶さんの「限定」を読むまでは、腑に落ちない部分はあったものの結果としてスルーしていたのですが、そういうことだったのかもしれません。

 

そういうことというのは……

 

諦めざるをえなかったという、海老蔵さんの言い訳であり訴えです。

 

出席を諦めるこのコメントをする前に、海老蔵さんはオリンピック・パラリンピック組織委員会へ向かいますとコメントしており、その後に「今日は実は麗禾の卒園式でもあり出席したかったのですが、諦めました、」と言い訳しているわけです。

 

仕事のせいで出席できないことを伝えるなら、オリンピック・パラリンピック組織委員会の仕事が入っているため出席したかったけれども、行くことができず残念ですという感じになるかと思うのですが(もちろん「諦めました」という言い方をしてもいいけれども)、この「諦めました」という言葉からは、

 

麻耶さんが卒園式に行くので、自分は行くことを諦めました、という未練がましさと恨み節すら読み取れてしまうのです。

 

なぜなら、沢山の週刊誌記者が幼稚園を包囲していることを事前に知っていたか、当日知ったから、スキャンダル回避したかったのだなと。

 

海老蔵さん自身はちょっと無理をすれば物理的には卒園式に行くことは可能だったかもしれないのに、麻耶さんとのツーショット、さらには麗禾ちゃんまで入り込んでのスリーショットを撮られたくないという思いが先走ったのでしょう。

 

であるからこそ「出席したかったのですが、諦めました」という表現を使ったのじゃないかと想像するわけです。

 

もちろん、ただ単に仕事が回避できずに麻耶さんに託したという解釈も可能なわけですが、麗禾ちゃんの卒園式のため幼稚園の周囲に記者たちがいたという状況があったのだとすれば、それは2年後の東京五輪に深く携わっている海老蔵さんにとってはスキャンダル回避という方に重きを置いたのだろう、という解釈も十分説得力があると思うわけです。

 

自分が多くを語らずとも、いずれ卒園式に麻耶さんが行ったということは本人の口から語られるであろうことは容易に想像できただろうし、娘の卒園式に出席しないなんてという批難以上に、そうか、麻耶さんと卒園式に行くわけにはいかない、そんな再婚話や後妻話が再燃するような場面に嬉々として出かけるわけにはいかないという判断が働いたのかと思ってもらえることに期待したのかもしれません。

 

それがいいか悪いかは、成長していく過程で麗禾ちゃんが何らかの形で教えてくれることになるでしょうが、少なくとも、麻耶さんと一緒の卒園式ということでの「スキャンダル回避」を、「父親として参加したい」という欲求以上に優先したのだと推察します。

 

任せられたお仕事を努めたいと思います。

 

と卒園式出席を断念した文章のあとに海老蔵さんはコメントしていますが、このいわゆる「任せられたお仕事」というところがまたポイントですね。

 

自分に任せられた仕事があるように、卒園式出席というのは、おそらく幼稚園送迎をしてきた麻耶さんの「任せられたお仕事」、それも「一番の見せ場」であるということも思い出したのかもしれません。

 

麻耶さんも、ずっと自分が幼稚園の送迎をしてきたのだから、最後だって絶対自分が出席したいという意地もあって食い下がったのかもしれない。

 

客観的な目線から言わせてもらえれば、伯母はやはり伯母なのです。サポートという意識が常にあったのなら、いったい「誰の」サポートをしていたかと思い出す必要があったということもひとつ言えるかもと思ってしまう。

 

本当に最愛の妹という麻央さんへの気持ちがあるのなら、その「最愛の妹」が愛してやまなかった夫であり、子供達の父親の卒園式への妨げになるような「サポート」は現に慎むという選択が望ましいと思うのですが、それを麻耶さんに期待できるかどうかは海老蔵さん自身が早めに気づいて、対処する必要があったということでしょう。

 

いずれにしても、子供達はこれからも大人たちの「自分至上主義」の考えに翻弄され、混乱の日々に巻き込まれていくのでしょうね。

 

海老蔵さんは「ないない」と一応否定してきた過去があるけれど、麻耶さんは再婚話や後妻話が週刊誌記事に掲載されても、自分自身の言葉できちんと否定して来なかった。

 

憶測を助長させるだけのブログを更新し続け、都合が悪くなったら「限定」で盲目的な読者だけを囲う。

 

そんなことの積み重ねの結果が、麗禾ちゃんの晴れの舞台そのものをこんな陽の目の当たらないような暗い雰囲気のイベントにしてしまったことに気がついているでしょうか。

 

大好きな海老蔵さんの子供たちじゃなくても、今のような状況を選んだかどうか。そこが多くの人の疑念をさらに強め、嫌悪感を誘うのです。

 

「なんでもおっけー」であるはずなのに、自分への記事や評価、意見に対しては異常なまでの警戒心と同情を買うような「限定」発信では、姑息すぎる、狡猾すぎるという評価がくだされても無理からぬ、という感じですね。

 

ではまた。

(一部引用元:小林麻耶オフィシャルブログ「tsubuyaki」より)

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