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海老蔵 ブログで「大好きです。綺麗なもの」発言の罪深さ

 

 

 

ころもです。

 

口癖というものは怖いもの。

本人は何の気無く語っているつもりでも、近くでいつも聞かされている人間には「その言葉」がいつしか自分に向けてのメッセージのように聞こえてくることもある。

 

たとえば、

 

今日の17:33に更新された海老蔵さんの「みずあげ」というタイトルで、海老蔵さんが、沈みゆく太陽に照らされたマンション屋上で植木に水やりをしている麗禾ちゃんの画像をUPし、「なんか いい」とつぶやき、さらに色濃くなる夕陽画像をまたUPすと今度は「綺麗なものは 揺るがないですね」とコメント、さらに完全に沈んだ空を最後にUPしたかと思うと、

大好きです。
綺麗なもの

(引用元:市川海老蔵オフィシャルブログより)

と極めつけの言葉を吐露。

 

残酷ですね、普通に。

綺麗じゃなくなったら大嫌い!?

 

そんなつもりはない。悪気なんてこれっぽっちもない。
深読みしすぎだ。考え過ぎだ。意地の悪いひねくれ者だ。

 

たしかに「大好きです。綺麗なもの」という言葉そのものに悪意はないでしょう。綺麗なものが好き、いや、大好き。

 

なんて率直な言葉だろうと思う方が大部分でしょう。

 

でも…

それが誰の言葉であるか。
どんな境遇の人の口癖であるか。

 

そこに思いが至れば、また見え方は変わってくる。

 

なにせこの発言は、9ヶ月前にガンで妻を亡くしたばかりの市川海老蔵さんの言葉であり、その妻、麻央さんは自宅で最期を迎え、闘病中は変わりゆく自分の姿に涙したこともあったのだから、独身男性がただ夕陽をながめて「大好きです。綺麗なもの」と発言するのと海老蔵さんの「それ」とは全く重みも意味合いも変わってくるわけです。

 

もちろん、本人はそんなこと微塵も考えてない可能性もあるし、全く気づいていない恐れもあるし、実際その時その時で感じた素直な言葉をただ口にしているだけなのかもしれない。

 

しかしそれが…浅はかだなと思わせるわけです。

 

難しい話でもひねくれた話でもなく、海老蔵さんが何気なく吐いているその言葉には「もうひとつの解釈」が許されてしまいかねないのですよ。

 

「大好きです。綺麗なもの」

 

ということは、「大嫌いです。綺麗じゃないもの」という意味にも読めてしまう。

 

たとえば「ゆっくり話す人が好き」と誰かが言ったとしたら、その人は「速く話す人は嫌い」と言ったも同然なのです。

 

言葉にしたものだけが「感情のすべて」じゃない。何かを口にすることで、何かを悟らせる、気づかせる、そういうことは本人の自覚とは別のところで起こってしまう。

言葉は発した人間だけがその意味を決めるのじゃなく、受け取る側の人間の解釈によっても意味が「付加される」ものなのです。

 

回りくどくなってしまいました。

 

つまり、

 

麻央さんの身近も身近、夫という立場にあった海老蔵さんが普段から「綺麗なものが好き」というのが口癖だったとしたら、妻であった麻央さんの心中はいかばかりだったろうかと。

 

綺麗だから愛された、じゃあ、綺麗じゃなくなったら愛されなくなってしまうかもと、そう強迫観念にかられても少しもおかしくない。

 

そんな不安と恐怖に判断が鈍ってしまうということも「まったくゼロ」ではなかっただろうなと、そう想像してしまうわけです。

 

先月の2月9日のブログの中でも、夕陽画像をUPし、

綺麗です。
綺麗なもの見るの好きです。

 と語っていました。

 

これも同じですね。

「綺麗なもの見るの好きです」ということは同時に「綺麗じゃないもの見るの嫌いです」と発言したも同じ。

 

無神経だと感じてしまう。

 

今日は麗禾ちゃんの卒園式だったわけですが、出席できなかった海老蔵さんの代わりは誰だったのでしょう。

 

ゆめちゃんやラブちゃんは今どこにいるのでしょう。


大きな水槽が次の被写体ということなのでしょうが、変化そのもの以上に、「その変化の理由」を語らず、何ごともなかったように日常をやり過ごしている海老蔵さんという人が不思議でなりません。

 

ではまた。

(引用元:市川海老蔵オフィシャルブログより)

 

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