毒舌ころも

気になることは胸に秘めず口にするサイト

麻耶バースデー数秘が早くも破綻!?姪の卒園式に伯母奮闘か

 

 

ころもです。

 

今日は麗禾ちゃんの卒園式だったようですね。

本日09:28に更新された海老蔵さんのブログ「朝トレ」タイトルの中に、

トレーニングして
オリンピックパラリンピック組織委員会へ
向かいます。
 
今日は実は麗禾の卒園式でもあり
出席したかったのですが、
諦めました、
任せられたお仕事を務めたいと思います。

(引用元:市川海老蔵オフィシャルブログより)

とありました。

なるほど……

 

そういうことか。

だから、一昨日の3月13日の12:36更新のブログを最後に麻耶さんはブログを更新していないのかもですね。

 ”その日だから意味がある”こともある

 

読者からの「控えたほうが」の忠告を世界にさらし、反省もなく意地を張っているかのごとく強行突破してまで続けていたバースデー数秘。

麻耶さんにとっては姪っ子甥っ子の話題を出せなくなった後の、ブログ継続のための「苦肉の策」だったわけでしょうから、遠回しに不謹慎だから控えたほうが…といわれてもそれはおいそれとやめるわけにはいかない。

そんな意気込みすら感じられた「自分応援歌のようなバースデー数秘」でしたが、たびたび「寝落ち」によって「Happy Birthday」というお祝いの言葉を貰えない読者も出てきて、さらに雲行きが怪しくなっていますね。

365日のうち数回抜けたからって別に大したことないわ!

まさかそんなことは思ってないでしょうが、海老蔵さん一家に関することには時間が割けても、もうひとつの生命線であるブログ読者にはちょっと不誠実。

所詮、相手のためのバースデー数秘というよりは、ブログ更新のための「バースデー数秘」という位置づけだからこういう「抜け」が起きてしまうのでしょう。

 

そもそも、麻耶さんがこのバースデー数秘につながる、その日誕生日の人に「Happy Birthday」と声をかけることになったきっかけは、2/2のブログの中でピックアップした「春休みさん」という読者の方の、

 

誰にも祝われることなく40才です。
母も他界し、生きる意味は私にとって何なのか。
答えは出ません。 

1978年生まれってそういう星なのかな。

昔、占いで周りに星がない孤独な星の元に産まれた
と言われ、あたってるのかな?

何だかなぁ

(引用元:小林麻耶オフィシャルブログ 2/2付より) 

という内容に端を発していたと思うのですが、違うのでしょうか。

 

その日誕生日だった「春休み」さんが誰にも祝われることなく誕生日を迎え、孤独な星の下に産まれたと言われた経緯があり、それを麻耶さんが受けて、毎日のお祝いの「声がけ」をしたと解釈していたわけですが…。

 

お祝いするといっても、毎日となればそう簡単なことじゃない。
誕生も人生なら、他界もまた人生。

そのどちらもが混在している毎日のなかで、それは一人ぐらい毎日Happy Birthdayを口にする人がいるのも不思議ではないですが、始めた「動機」を考えたら、それは毎日抜けることなくそれを言い続けなければ、麻耶さんにどんな事情があれ、自分の誕生日のときだけ更新がなく、お祝いの言葉がなかったと感じる読者にしてみれば単純にいい気持ちはしないもの。

 

生きていればいろいろな事情があって、毎日継続することは難しいだろうということは頭で理解していても「昨日の人はお祝いしてもらえたのに自分にはお祝いの言葉がなかった」ということになれば、それこそ、このバースデー数秘が無かったとき以上に傷つくし、孤独を感じるかもしれない。そうなれば、バースデー数秘などなかったほうがよほどその人は傷つかずにすんだとも言えそうです。

 

麻耶さんが先々のことを想像せず、継続する自信も情熱もなく、ただその時のノリで始めたバースデー数秘・Happy Birthdayというものは、思わぬところで「新しい悲しみと不公平」を生んでしまっている可能性もあるのじゃないでしょうか。

麻耶さんにしてみれば、当日じゃなくても翌日にまとめてHappy Birthdayを言えばいいや、数秘占いをすればいいやと安易に思っているかもしれないですが、当日にお祝いをしてもらえない読者を想って始めたのなら、その日に祝ってあげることが一番だし、その時間も作ることのできない自分の都合があるのなら、やはり今さらですが「毎日のバースデー数秘」という性格のものは、やらないほうが身のためです。

 

トータルして「抜け」がなければいい。

365回「Happy Birthday」を伝えられれば、何回か抜けた日があっても「プラマイゼロ!」なんて思ってませんよね?

 

その日だから意味がある、その最たるものに思えます。

だからこそ自分がその「せめてもの一人」になってあげようという動機だったと思うのですが、どうやら勘違いだったみたい。

 

やはり、あくまでも商業的な意味での「Happy Birthday」であり、「バースデー数秘」だったいうことなのか。

 

一日遅れのHappy Birthdayでも嬉しい人もいるでしょうが、一日遅れになったことを残念に思う読者も当然いることでしょう。

 

完璧にできないなら始めるなと言っているのじゃなく、始めるなら誠実にやるのがいいし、誠実になれそうもないなら、強行突破してまでやる必要はなかったということです。

 

 

もはや事実婚状態の日々か

 

今日の麗禾ちゃんの卒園式、冒頭で述べたように海老蔵さんは「出席したいのですが、諦めました」と朝のブログで書いています。

 

つまりおかしな話ですが、自分が行かなくても他の人が行ってくれるから大丈夫なんです、と読者へ説明しているも同然なのですよね。

 

海老蔵さんしか麗禾ちゃんの親はもういないのに、その海老蔵さんが「諦めました」と行かないことを表明しているわけですから、別の誰かが行くということを発表したようなもの。

 

じゃあ、それは誰?

 

素朴に読者は思うわけです。

 

親である海老蔵さんの「代わり」ができる人って一体「誰なの?」と。

 

でも、それは言わない。

愛犬の「ゆめちゃん」や「ラブちゃん」がブログに登場しなくなったことを怪訝に思う読者に対し、

寝る場所移動しましたが、
みんな元気です

 

と答えたように、すべてが必要最低限、そして最小限の説明しかしない。

これでは不親切きわまりないし、想像や疑念を抱かれても文句は言えないでしょう。

 

あえて想像させる仕組みを作っているわけですから、推察や想像を「さらに膨らませる」ことを目指しているようなブログ内容ですからね、これは仕方ない。

 

海老蔵さんにしてみれば東京五輪めがけて今は必死にイメージアップを図っている最中でしょう。

だからどれほど疑われようと、麻耶さんという「世間から叩かれている義姉」の名前など間違っても出したくない、世話にはなっているとしても、なるだけ出したくない、というか決して出すわけにはいかない。

出さざるを得ないときは「友だち」という言葉にしよう、それを想像して相手が楽しむ分にはしょうがない。そんな気持ちなのだと推察します。

 

しかし自分の代わりに誰が卒園式に行ったかは徹底して言わない。言わないことで想像してよと言わんばかりの状態が凄まじいですね。

 

ただ麻耶さんはどうでしょう。

 

海老蔵さん一家と密着するための姪っ子甥っ子の世話とはいえ、そのことを世間の海老蔵ファンに誇示したい麻耶さんにとっては、今の「抹殺状態」に置かれ続けることは納得いかないのじゃないでしょうか。

 

だからこそ、これまでも「匂わせ」ることに必死だったわけだし、おそらく今夜も遅い時間に卒園式に関する事柄及び感想をAmeba限定でUPするのじゃないでしょうか。

 

麻耶さんは自分が結婚生活に必要な素養や能力を持っていないことは、ある程度自覚しているものと推察しています。

 

今の関係がちょうど心地良いのでしょう。

 

いくら海老蔵さんの大ファンとはいえ、そしてこれからも半永久的に密着していくつもりであるとはいえ、責任や負担が何十倍にもはねあがり全人生が180度変わる可能性もある「梨園の妻」の地位など「とても無理!」という気持ちがあるはず。

 

責任を負わずにそばで笑い、食事もし、同じ屋根の下でときどきでも暮らせることができるなら、さらに年に数度の温泉や海外旅行へも同行できるなら、今のままが一番ラク、ずっとこのままがいい、それが本音のように思います。

 

責任は負わず、美味しいとこどり。

 

それが今の麻耶さんの立ち位置じゃないでしょうか。

 

 

卒園式、どんな感想をUPするのか。

疑似家族を堪能した麻耶さんがどんな言葉を発するのか。

いずれにしても、麻央さんより長い時間、より多くの体験を積んでいく麻耶さんという人の神経が怖いです。

 

伯母は最強…

 

であるはずがないのですが、すべては「生きてこそ」ということなのでしょうか。

麻央さん、亡くなって最初の「無念の春」を迎えます。

 

ではまた。

小林麻耶・海老蔵 最新・関連記事はこちら