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麻耶「話したいなぁ。会いたいなぁ。」恒例の限定で月命日語る

 

 

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ころもです。

 

予想通り、麻央さんの月命日への言葉をAmeba限定でブログ更新した麻耶さん。

毎回ですが、麻央さんの月命日に向けた言葉をなぜ限定にするのか、まったくもって理解できません。

 

麻央さんを偲ぶ心は、なるだけ多くの人と共有したくない、知られたくない、ということなのでしょうか。

 

だとしたら、それは何故ですか。
どんな都合の悪いことがあるというのでしょう。

 

生前、たくさんの方々が麻央さんのブログを読んで応援してくれていたのですよね。その人たちの存在が、今の麻耶さんのブログの柱になっているといっても過言じゃないのに、まさか自分一人の力で今の読者数を獲得、保持しているとでも勘違いしているのでしょうか。

 

そんなことを思わせるのは、他でもない麻耶さん自身のこれまでの言動です。
個人的にやればいい「誰にでも当てはまり、同時に、誰にも当てはまらない」ようなHappy Birthday占いこそ「限定」に値する内容だろうに、それは公に発信し、麻央さんファンあっての今のブログであることも忘れ、読者登録をしていない読者には「関係ないですから読まないで」状態のAmeba限定という態度では、芸能の仕事もさらに先細りしていくことでしょう。

 

読者登録数とアクセスアップを測るための秘策とわかっていても、やはりこのお門違いの限定というのは感じが悪いです。

 どこをどう読んでも、何一つ心に響かない

 

今日は2記事更新したようですが、最初の1記事についてはもはや語る時間ももったいないほどの内容なので、興味のある方はこちらをどうぞ。

      ↓↓↓

麻耶 妹の月命日に「にゃんにゃんにゃん」悪ふざけ全開!

 

予想通り、麻央さんへの月命日の下りについてはAmeba限定にして23:35にブログ更新した麻耶さん。

 

Ameba限定ですが、今回も「転載転用禁ず」の文言を入れてはいません。入れるときもあるので、本当はこれを読者限定にする意味がないことは、重々承知しているという解釈ができそうです。

 

とはいえ、最小限の引用にて内容を要約させて頂きます。

 

まず、

 

今日が麻央さんの月命日であることを1行。

 

そして、

美容院に行ったこと、麗禾ちゃんのことを「姪っ子」と記し、麗禾ちゃんが仕上げに髪の毛を巻いてもらったことを書き、

 

まおちゃん、
髪の毛、よく巻いていたなぁ。

(引用元:小林麻耶オフィシャルブログ「おやすみなさい」より)

とコメント。

 

さらに、勸玄くんのことを「甥っ子くん」と記し、来月が誕生日であることを告げています。

 

また、

ケーキを作って
お祝いしたかっただろうなぁ。

 

話したいなぁ。
会いたいなぁ。 

(引用元:小林麻耶オフィシャルブログ「おやすみなさい」より)

とコメント。

 

これにて内容は終わりです。

合計11行。

 

 

正直、他人の気持ち、考えなどわかるわけがありません。

だから、本当のところ麻耶さんが今現在どんな気持ちで日々を生きているかを知ることは、誰にもわかりようがないというのが正しいでしょう。

 

悲しんでない、それも不明。

悲しんでる、それもまた不明。

 

正解など誰にもわかりようがないわけです、本来は。

 

 

しかし、忘れてはならない重大なことが実は抜け落ちています。

それは「相手が何も語っていないのなら」という大前提があれば…ということです。

 

残念なことにというのか、不幸なことに、

 

麻耶さんはブログというツールを使って、日々の出来事や想いを語っています。ゴーストライターが書いているのじゃないのなら、まず間違いなく麻耶さん自身が自分のブログに自分の想いを自分の言葉で書き連ねていると、そう判断していいわけです。

 

そう考えたときに、麻耶さん自身が発するメッセージが嘘八百でないのなら、虚飾にまみれた細工だらけのものじゃないのなら、発せられるメッセージや見える映像が麻耶さんがブログ読者へ知らせたい「想い」であると受け止めることはあまりにも自然なこと。

 

むしろ、その言動から全く違う麻耶さんの「姿」を引き出すことのほうが間違っているとすら言えるわけです。

 

そして、麻耶さんが発する、読者に伝えたい、見せたい、聞かせたいと思っている想いをまっすぐに受け止めれば受け止めるほど、そこに信じがたいものを感じ、見てしまうというのが多くの読者の正直な感想なのじゃないでしょうか。

 

批判や批難というものは言い方の問題で、要は、受けての「素朴な疑問、疑念」なのです。

 

特別な話でも、難しい話でもなく、

 

自分の愛する人が別の女性と、自分が生きた場所で自分以上の時間を楽しく過ごすことを好む女性というのはまずいないでしょう。

 

麻耶さんが、麻央さんがという固有名詞、特定の人物をいちいちピックアップするまでもなく、単純に、普通に、一般的に、そして普遍的に、そんな状況を何の感情もなく「大好きな姉だから」「家族だから」という都合のいい言葉で無理やり納得しよう、させようとするのなら、それはあまりに人間心理というものを甘く見すぎていると思うわけです。

 

人間は行きずりの人間を憎むことは難しいもの。

人間関係の密度こそが、人間に「愛憎」という相反する複雑な感情を生み出すわけです。

 

幼い頃から仲の良かった姉妹なのだから、最後の最後まで仲がいい。それを疑う人間のほうがどうかしている。

 

まさか、この時代にそんなことを本気で信じている人はいないと信じたいですが、ニュースを賑わせている内容の多くは、「家族間」です。

 

家族なのに…

ということではないのです。

 

家族だから…
なのです。

 

関係のない他人には、「愛憎」というほどの強い感情は持ちにくい。可愛さ余って憎さ百倍という言葉がこれほど長く語られるのは、一筋縄ではいかない人間感情をよく表現していると思います。

 

麻耶さんと麻央さんがそうだったと言っているのじゃありません。

人間を理解するのに、最初が最後という考えはあまりに短絡的に過ぎるということを言いたいだけです。

 

麻耶さんが限定で呟いた、月命日の麻央さんへの想いは、残念ながらまったく心に届きませんでした。

 

だから、どうしたということじゃありません。

 

それがすべてです。

ハートも絵文字もない文章だったからじゃなく、とにかく一切の言葉に「心」が入っていないと感じる一人の読者がいるという、ただそれだけの話です。

 

でもそれが、一番不思議でならないのです。

最愛の妹のことをせっかく麻耶さんが語っているのに……

 

まったくもって響かない。

 

申し訳ないほどに。

 

 

ではまた。

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