毒舌ころも

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麻耶「いのちの授業」感想は貰ったスイーツと花束の感想のみ

 

 

 

ころもです。

 

「いのちの授業」が聞いて呆れます。

東日本大震災の被災地である石巻に麻耶さんが赴いたとき、ハッピーハッピーと浮き足立った日々を送っている麻耶さんにも、さすがに何がしかの「心境の変化」があるのじゃないかと思っていました。

 

「期待」というほどのものじゃなく、被災地の現状を現場で見聞したら、さすがにあの麻耶さんでも心境の変化が起きなければ「おかしい」という考えからです。

 

しかし、今回の米原市での「いのちの授業」で懸念は確信に変わりました。
あくまでも個人的な確信で、真実はわかりません。

 

でもブログという画像と言葉で伝える道具があって、そこに自らが進んで書き込んでいるのですから、そこから類推できる現実や感情に言及することは、火のないところに煙を立たせることとは一線を画す(境界線を引いてくぎりをつける。はっきり区別する)ものだと思っています。

麻耶さんにとっての「いのちの授業」は、単に原稿を読む時間であり、魂の声を届ける時間という意識レベルのものではないという事実。

そうでなければ、講演後に更新するブログがお菓子と花の感想で終わるわけがない。集まってくれた人々との触れ合いの感想、現地で感じた何がしかの手応え、そういうものをせっかくのブログというツールがあるのですから披露したらいいじゃないですか。

 

すくなくとも、バームクーヘンが美味しいか美味しくないかの感想よりは、ずっと人類に貢献するように思います。

それこそ、日本赤十字社にとっても有り難いことでしょう。現地での講演のみならず、自身のブログでも献血キャンペーンの内容に触れてくれたら、有り難いことこの上ないはず。

花束をアップしたことで、貰ってなかったことが浮き彫りに!? 

今日麻耶さんは2記事ブログ更新しています。

「2月20日」「FLOWERS」というタイトルです。

 

あまりに稚拙な内容で読んでいるこちらのほうが赤面してしまう感覚になりました。

「2月20日」タイトルでは、

クラブハリエの
バームクーヘン
お、お、おいしかったです♡

コメントで教えてもらったので
今日は、すこし、あたためて
食べてみようと思います!

全部、丸ごと、
パクっとしたくなりますね!!

と、たくさんのいいね!の礼をいつものごとく述べたあとにコメントしていました。

「いのちの授業」の「い」の字もありません。

バームクーヘンをゲットできたこと、それが全てに優先してしまったようですね。本人がそう読み取れる内容を書いているのですから、そういう評価をしても仕方ないです。

 

そして、毒にも薬にもならないそんなコメントのあとに、あのいつもの懲りないバースデーの下りにつながっていきます。

2月20日生まれの方
Happy Birthday!!!!
ステキな一年になりますように♡

争いごとが苦手で
人と人をつなぐことに長けているあなた♡
自分との調和も大切にしてくださいね!  

 誰へのメッセージでしょう。

どこの誰かもわからない相手に、これほどピンポイントなアドバイスや占いをすることが不安じゃないのでしょうか。

争いごとが苦手で?
人と人をつなぐことに長けているあなた?

それは、何万人もいる読者の数人には心当たりがあるわ、と思ってくれる人もいるでしょうが、何を聞いても自己弁護をしているようにしか聞こえないのは不思議です。

 

東京は、とてもいいお天気です。
今日は、新潟から大好きな方が
遊びにきてるので楽しみです!!!!

大好きだというその方に良心があるのなら、世間から麻耶さんが一体どう見られているのかを遠回しにでも教えてあげたほうがいいかもしれませんね。

このままでは、裸の王様すぎて哀れです。

 

勘違いはさらに増幅していきます。

2記事目の「FLOWERS」というタイトルブログでは、そのタイトルから連想できるとおり、今回の米原市で頂いた花束の全体を写した画像がアップされていました。

 

ここは、たぶん麻耶さんのマンション玄関ではないかと思われます。

花瓶に移す前の大きな花束

と冒頭1行、その後の花束の画像です。

その下には、

ほんとに美しい

お部屋が華やかになり
気分が上がります。

香りにも癒やされています。

ありがとうございます!

 というコメントがあり、

しつこく花束の中のカーネーションのアップの画像が一枚、さらに百合の花のアップ画像を別に一枚、最後に真紅の薔薇のアップ画像を一枚。計3枚をアップしていました。

締めの言葉は、

優しい夜を

で終わり。

 

このブログを読んで思ったことがあります。確信とは言いません、「なるほど」という感想です。

 

それは……

 

やはり、さだまさしさんからの花束を麻耶さんは貰っていなかったのだなということ。

 

海老蔵さんが昨年と今年、麻央さんに連続して花束を自宅マンションに送ってくれたさだまさしさんに御礼の言葉を告げたあと、麻耶さんも、あたかも自分もさだまさしさんから薔薇の花束をもらったかのようなコメントを自身のブログに追いかけるように掲載したことがありました。数日前のことです。

 

でも、さだまさしさんからバレンタインデーに花束をもらってブログにアップしないはずがない。これは便乗しただけで、やはりただ麻央さんに花束を贈ってくれたことの御礼を、麻央さんという言葉を使わず、花束をありがとうございましたと、まるで自分も貰ったかと間違った解釈をしてもらえるような表現にしたのだなとすぐに推察できました。

 

読者コメント欄には、完全にその言葉に翻弄され、おそらく未だに麻耶さんも麻央さん同様にさだまさしさんから花束をもらったと思っている発言をしている方もいて、これは大丈夫なんだろうか、なぜ、自分も貰ったという言い方をするか、貰った証拠画像でもアップすればいいのにと思っていたのですが、完全にその話題には触れずじまいだったわけです。

だのに、「いのちの授業」で出張した際に頂いたいう花束については、当日どころか翌日にも話題にし、話題にするだけじゃなく全体の画像、それぞれの花のアップ画像まで掲載する。

 

バレンタインデーにさだまさしさんから本当に花束を貰っていたなら、画像の一枚も撮影しますよね。そして、撮影したなら、チョコの入った無機質な紙袋すら画像アップする麻耶さんですから、みんなに披露しないはずがない。

披露しなかったということはすなわち、披露できなかったという解釈が許されてしまうだろうに、そうできなかった。

 

なぜなら、貰っていなかったからでしょう。

 

事実、貰ったものはこうして自分一人で愛でるだけでは飽き足らず、何枚もブログアップする。それが証拠です。

 

それとも、さだまさしさんから貰った花束はブログ掲載するほどの品ではなかったということでしょうか。貰ったけれど、公表してはいけないものだったということでしょうか。

 

だったら、言葉でお礼だけするのは矛盾してますね。

言葉ではなく「行動」がすべて、というのはここでも活きます。無い袖は、触れないのです。

 

花束を貰ってしまったことで、花束を貰っていないことが証明されてしまった形になったことは、いかにも皮肉ですね。

こうして、「綻び」というものはひとつ、またひとつと増えていくのでしょう。

 

与えられる喜びより、与えることに喜びを見出す人になっていくことを目指してみてはいかがでしょうか。

 

小さいことから少しずつ

 

ころもも大きなことは出来ないですが、動物が大好きなので冬には保護犬に毛布を寄贈することをしています。被災地にも僅かばかりですが支援物資を送ったりしていました。

 

沢山のお金を寄付することはできなくても、外食を一回やめるだけでも新品の毛布一枚ぐらいは寄付することができます。

 

気持ちがあれば、これから訪れる講演先の人々の負担を軽くする意味でも、嬉しさはブログアップで誇張し自慢などせず、現場で得た「何がしかの感情、手応え」のひとつでも記録として残す形にしてはいかがでしょうか。

 

仕事と割り切っているにしても、そのぐらいのことをブログにアップしてもバチは当たらないはず。

 

ではまた。

 

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