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海老蔵が麗禾ちゃんの3回連続納豆飯を掲載する意図は!?

 

 

 

ころもです。

 

本人でない以上、どんな近しい人間であっても何かを本人に代わって語ることは不可能だし、「推測の域」を出ないのは致し方のないこと。

そんなことは百も承知で、見ようと思えば世界中の人がすぐに見ることのできるブログで自身の「言葉」「生活画像」を日々何度も掲載しているのだから、これは「推測で語られることも想定内」という解釈も成り立つのではないでしょうか。

 

となれば、いくつも推測できる、言い換えれば、ブログでしか吐露できない海老蔵さんの本音、メッセージというものも「多少なりとも」そこに散りばめられているのでは?

 

今回は、近々に海老蔵さんが発した言葉と画像の奥に秘められた、深層心理について考えてみることにしました。

 退院後、3回連続の納豆ご飯を画像UPする意図は

 

麻耶さんとの同居疑惑の批判も耳に入っているだろうに、昨日の麗禾ちゃんの退院発表に際し海老蔵さんは”嬉しい知らせ”と言ったことが”いつの間にやら誰かさんが重大発表に変換してる”と指摘。でも、おかしいですね。

 

世の中のニュース、声にそんなに敏感なら麻耶さんとの噂もどれだけ耳に届いていることやら。

都合が悪いことは耳に入りすぐ反論するのに、こと麻耶さんがらみになると貝になる。それは噂も消えないわけです。

 

さてそれは置いといて、

 

昨日、インフルエンザで入院していたという麗禾ちゃんが退院したという発表があり、初めての画像が、薬味も何もない、白いご飯にただ納豆がのっているだけのご飯だったことに衝撃を受けた読者も多いことでしょう。

病み上がりの子供が温かいのか冷たいのかも画像からはわからない白飯に、薬味も何もない納豆をかけただけのご飯。味噌汁もなく、他におかずらしきものもなく、マグカップに入った麦茶なのかウーロン茶なのか茶色い液体のものがあるだけ。

 

その画像を見た後に、ころもはブログで

せめて薬味ぐらいは入っていればいいものを、ネギやオクラも入っていない

と批難したのですが、まさかブログで指摘されたからではないのでしょうが、信じられないような絶妙なタイミングで、その後夕方に再び納豆ご飯を食べている麗禾ちゃんの画像がUPされていました。なんと、オクラ入りです。

増えたのはそれだけですが、まさかブログ読みましたか!?

 

それにしても、仮にも新橋演舞場で「かぐや姫」を一ヶ月公演した麗禾ちゃんがインフルエンザから復活、退院した日の食事が納豆だけとは、いくら本人がそれを望んでも他に栄養のあるものを付け足してバランスを考えるのが「愛情」というもの。

そういう意味では、麗禾ちゃんは大変気の毒な環境に今生きているのだなと感じました。お金があるから欲しいものは買ってもらえるけれども、病気になっても本当の意味で身体のことを思い、動いてくれる大人が一人もいない。

ブログで心配しているような言葉を羅列する熱意はあっても、命を支える食事をどうにか豊かにして健康に導いていこう、そういう気概を持つ大人が誰一人いない。

これが偽らざる、麗禾ちゃんと勸玄くんが置かれている現状だと推察してます。

 

麻耶さんにとっての姪甥とは洞察鋭い読者なら周知のように、自身の生活生命線であるブログ収入のために必要な存在以上でも以下でもなく、命を賭してまで愛する対象じゃないということはブログからよく伝わってきます。

愛するということは、その人の命を我がごとのように大事に思うこと。

命を大事に思う人間が、その命を形成する食事に無頓着でいられるはずがない。無頓着でいるということは、命へも無頓着。

 

すなわち、愛情なんてものはこれっぽっちも感じられない、ただの自己愛を満たすための数ある◯◯のひとつとしてしか見ていないということになるでしょうか。

だからこそ「任務完了」なのだし、ちょっとした手伝いをしただけで「見返り」を期待するのです。心の発露としての愛なら見返りなんて要らない。報酬を求めるということは、そもそもの動機が不純なことの証明です。それを嬉々としてブログで語り、画像で掲載するから麻耶さんは同性から嫌われてしまうのでしょう。あざといと。

 

賢明で洞察鋭い百戦錬磨の常識ある読者たちは、もうとうの昔にそんな心理に気づいています。いい人を演じるのは疲れることでしょう、いい姉、いい娘、いい義理の姉、いい伯母。

どれひとつ貫徹することは無理です、それに気づいて、演じることをやめたから今の麻耶さんはhappy三昧の日々なのですよね。演じていた自分、期待されている自分から全力で逃げ出したからこその、今、ようやく本当の自分で生きているから解放感たっぷりで、毎日が楽しく、考えられることは南の島と温泉だけ、そいういうことなのだと思ってしまいます。

 

納豆ご飯が悪いのじゃなく、配慮がないことへの疑念

誤解がないように前置きすれば、納豆自体は大変美味しく、栄養もあって素晴らしい食物です。

 

問題は、だからそこじゃない。

 

なぜ、納豆だけなのか。
いや、違うな。百歩譲りましょう。

 

それですら、本来なら余計なお世話です。

 

問題は、なのでそこでもない。

 

自分たちは自由に使えるお金で食べたいものを食べたいときに食べたいだけ食べる贅沢をしているのに、なぜ子供たちには栄養のある食事をさせないのか。

 

そこに大人のエゴと子供の悲劇を感じてならないわけです。

 

それでも、そうだな、千歩譲りましょう。

 

なぜ、納豆ご飯だけの、決して褒められることはないだろう、批難しか来ないだろう画像を敢えてブログにUPして世間に公表するのか。

 

その海老蔵さんの心理、それが不可解でたまらないのです。

 

一体、どんな意図、メリットがあればそんな配慮のないことができるのか。しようと思うのか。

 

なので考えました。

 

これを画像UPして一体誰の得になるのだろうと。

 

見えてきたものがあります。

 

ひとつ、ひどい画像がUPされているという評判でアクセス数が増大する期待。

ひとつ、母親がいない生活実態を見せることで同情を抱かせたいという期待。

ひとつ、自分がいないときに子供たちが小林さん親子からどんな処遇を受けているかを見てもらい、そこに批難が集まり、自ら「暇を告げず」とも世論を巻き込んで再びの半同居状態に終止符を打ちたいという期待。

ひとつ、これほど料理が致命的にできない麻耶さんとの再婚があるわけない、ということを語らずしてアピールしたいという狙いであり、期待。

すべて推測ですが、後半の2つが”隠された意図”なのじゃないかと見ています。

 

さすがに海老蔵さんも、ここまで致命的に貧弱な食事風景に疑問を持っていることでしょう。それをブログにUPすることで何か訴えたいんですよね。

 

もちろん、伯母さんたちにそれを期待する海老蔵さんの姿勢こそが問われるべきですが、自分の食事にあれだけストイックでこだわりを持っている海老蔵さんが、自分たちの子供の食事にだけは無頓着、無神経、無配慮であるということはなかなか考えにくいもの。

 

今の子供たちの置かれている貧しい食卓風景を世間、世界にさらすことによって、何を期待しているのですか。

 

どんな批判を集めようとしているのですか。

その批判によって何が変わると期待しているのでしょう。

 

何を起こそうとしているのでしょうか。

 

そんなことを考えた、納豆ご飯、3回連続の話でした。

 

 

ではまた。

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