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海老蔵 昨日の予告は娘の退院報告だった!限定にする謎

 

 

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ころもです。

 

いやらしいですね、やり方が何もかも。

昨日大げさに予告していたことの正体は、

麗禾ちゃんの退院報告、という結末でした。

 

麗禾ちゃんが入院していたことも明確にしていないのに、退院と言われても何だかご都合主義すぎてついていけない。

しかも……

目一杯気を持たせるような言い方をしておいて、それがヤフーニュースにまで掲載されていて、一体なんの発表だろうと思いきや、案の定というのか、しばらくブログで姿を見せていなかった娘の退院報告って、読者を翻弄するにも程がある。

 

海老蔵さん、なぜ嬉しい発表があると予告したものを、読者登録している人にしか見ることのできない、Ameba限定で教えるのですか。

やり方が姑息すぎやしませんか。
一人一人の読者によって多額の収入があることを思えば、その方たちに気を持たせるだけ持たせて、読者登録しなけりゃ教えてあげないよ〜〜〜だ!的な公表の仕方は卑怯です。

 連れ回して疲れさせたのは一体誰でしょうか

登場人物の居場所や状況をあやふやにして、そのあやふやを埋めようとする読者からのページ数を稼ぐことが、ブログアクセス数によって稼ぎが変わるブロガーの人たちにとっては最重要だということはわかります。

 

ただ、そのことへの感謝の気持ちがあるなら、わずかな、限られた登場人物、それも家族の誰かが姿を見せなくなったことへの説明責任というのはあって然るべきだし、その答えを見せるのだとしたら、しっかり関わっている読者すべてに公表すべきでしょう。

 

もちろん、ブログの集客のテクニックということで終始する話でしょうが、それを越えた人間の「心」としての、「優しさ」というものに欠けすぎる。

 

綺麗事で退院を喜んでみせても、その大切な娘の身体を心配していた読者達に対しては随分とクールで非情な対応じゃないですか。

 

ファンというのは最初が最後じゃないですよ。
オギャーと産まれた人間にファンがつくということは、ファンが離れるということもまた大いに今後ありうる未来なんです。

 

ゲーム性を持たせて楽しむ段階を過ぎたように感じるのは、ころもだけでしょうか。麻耶さんがらみの「匂わせ」がもっともひどいですが、これもいつまでもあやふやにしていたら、世間は海老蔵さんばかりか、歌舞伎そのものから離れていくことも必至でしょう。

安くないお金を頂いているわけですから、その方たちに恥ずかしくない日常を見せて、歌舞伎を一緒に盛り上げていって頂きたいという誠実を、言葉だけじゃなく行動で示さなくては本当に存続がきびしい世界に突入していくことも容易に想像できます。

 

ファンあっての、観客あっての歌舞伎、伝統だということを忘れないことです。

 

この内容のどこにAmeba限定にする意味があるのか

 

昨日、嬉しいことがあったとブログで発言した海老蔵さん、ヤフーニュースにまで取り上げられていましたが、その内容はAmeba限定。読者限定になっています。

 

言葉じゃなく行動が全て、と常日頃ころもが言っているのはこういうことです。言葉ではステキ、感謝、愛してるといっても、肝心なところで人間性というものは出てしまうもの。

大切な読者に対して、誠実さに欠く態度が多すぎる。

転載転用禁ず、とはなっていないので一部引用を交えながら要約します。

 

Ameba限定のタイトルは、「昨日の事。嬉しい知らせ!」です。

 

麗禾ちゃんが風邪をこじらせて入院していたということ、それがとても辛い日々だったということを前置きし、

皆で力を合わせて
乗り越え今日無事に退院です。

とコメント。

(引用元:市川海老蔵オフィシャルブログより)

皆?

 

皆って誰ですか。小林さん親子と勸玄くんのことですか。勸玄くんと自分だけなら、「皆」という言葉は使わないですから、ここには小林さん親子、そして堀越家の皆さんも、もしかしたら入っているのかもしれないですね。

 

気を張っていたと、私働いてますアピールを昨日麻耶さんはしていましたから、麻耶さんはしっかり入っていたと推測できます。

すっかり家族の一員ですね、ただの伯母さんが。

 

だから
とてもとても嬉しいのです。
とてもとても嬉しいです。

海老蔵さんは続けます。

(引用元:市川海老蔵オフィシャルブログより)

そして、

 

今日からお家です。

本当に本当に本当に本当によかった、

それが、
私の嬉しい事でした。

 

すみません。
あはは

と、大騒ぎした自分へというよりは、大騒ぎした世間をあざ笑うかのような、最後の「あはは」。

まるで誰かの「キャハ」や「るるん」を彷彿とさせるような軽薄な言葉で終了。

 

 

しつこいようですが、これが普段からころもがいうところの、言葉じゃなく行動を見よ、行動がすべて、行動こそがその人の考えそのものだという意味です。

 

これ、読者登録していた人たちだけが知ればいい内容ですか。

読者登録していない人は、いくら心配していても、気になっていても、関係ないのですね。自分を応援しない人は、読者登録すらしてくれない人は、自分のブログを毎日読んでくれていたとしても、大切なことは聞き漏らしますよ、いいのですか?と、そういう態度なんでしょうか。

 

読者一人ひとりに「顔」があり、「心」があるということを忘れた行為に思えます。

読者は、日々を丁寧に大事に生きている人々です。

 

そういう人々を軽くあしらっているようにしか思えないブログは、たとえ集客数が異常に多くても、その内容の質とは全く別物であることを、世の多くの人々はさらに学習することでしょう。

 

麻耶さんの読者登録数は、麻央さんのファンがスライドしたことで数字だけは多いですが、中身は画像一枚に、尊敬している友人が送ってくれました、という程度のもの。

 

読者数は一晩で数十人、一日で百人を超えるスピードで激減していってます。

読者登録数がそのまま読者数ではありません。

 

麻央さんが亡くなったあとに、とりあえず麻耶さんしかいなくなったから、姉ということもあるし、読者登録しておくか程度にして、一度も読むことなくただ放置しているだけの人がほとんどでしょう。

 

中には、麻耶さんのブログに自分が読者登録していたことすら完全に忘れ、放置したままの人も大勢いるはず。

 

つまり読者登録していても読まなければいいのに、あえて読者登録を解除するという「一手間」を入れるということは、その方々たちこそが本当は唯一麻耶さんのブログを何とか読み進めてきた読者の方々だった、という解釈もできるわけです。

 

その人々が放置して読まなければいい状態にしておけるブログから、あえて「読者登録解除」という手間をかけてまで離脱しようとするのは、それが彼らができる目に見える麻耶さんへの「抗議」「離縁状」だからじゃないでしょうか。

 

無関心な人々なら、読者登録を解除することすら思いつかないし、読者登録していることなどすっかり忘れています。

 

麻耶さんの「匂わせるだけ」の軽佻浮薄なブログ内容に愛想をつかし、これは読者登録を解除する手間をかけてでも離脱しなければ「気が済まない」という想い、それが何を意味するかを理解するのはいつなのでしょう。

 

わからないですね。

 

病み上がりの子供たちは、つかの間の日常を過ごしてまたもバカンスに付き合わされるのでしょう。

 

そして水着姿や、食事風景、何を買ってもらい、どんなホテルに泊まっているかも赤裸々にされつつ、被写体としてブログアクセスに貢献し続ける運命。

 

気の毒としか言いようがないです。

高級マンションにも高級ホテルにも泊まったことがない子供であっても、誰からも被写体として狙われず、世界に発信されることもなくのびのびとキャッチボールをしている子供たちのほうが百倍も幸せそうに見えます。

 

実際、その子達のほうが表情が生き生きとしている。

幼い子供たちにとって、ブログアクセスのためならプライバシーの切り売りなど屁とも思っていない大人たちに囲まれて育つというのは大変嘆かわしい境遇です。

 

勸玄くん、麗禾ちゃんとそういう話ができるようになるといいですね、一日も早く。

 

ではまた。

 

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