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海老蔵ブログから麗禾ちゃんが消えた!?子供ネタも限界か

 

 

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ころもです。

 

2月4日の「麗禾元気!」タイトルでテレビ画面を見ながら踊っている麗禾ちゃん。

このくねっとしたダンスをしている後ろ姿の画像4枚を最後に、麗禾ちゃんは今日10日まで一切姿を見せていません。

風邪が長引いている感じですが自宅療養なのか、入院なのか。

誰が看病しているのかも含め、常に足りないピースを補いながらブログを読むしかないというのは、本当に読者に対して不親切なブログですね。

こういう、人の心を弄ぶようなブログの書き方は大嫌いです。

ついでに言えば、自分が留守にしている間、誰がマンションで子供たちの世話をしているのかも「ヤブの中」という感じがいっそう気味悪い。

 勸玄くんにプライバシーは生涯ないのか

物心ついたときに、勸玄くんは一体何を思うのか。

寝起き姿にパジャマ姿、毎日何をして、何を食べ、どこに行っては何を買ってもらい、果ては海外に行ってまで喜怒哀楽の全てを激写されているこの現実。

自分が勸玄くんなら、間違いなく将来親を恨むでしょう。

そして、一日も早くこの親から離れなければと決意するでしょう。

 

そのぐらいのことを海老蔵さんは勸玄くんや麗禾ちゃんにしているのだということを、自覚して欲しいです。

 

自分のお風呂や化粧姿だけじゃブログアクセス数が増えないだろうと危惧するのもわかります。実際おもしろくもおかしくもない代わり映えのない画像を一言、二言コメントを入れるだけで盛り上げてみても、それ以上に刺激的で魅力的な日々を送っている読者からすれば、

 

何だこれ?

 

と一蹴されるのがオチ。

 

個人的に思っているのは、どうか勸玄くんが歌舞伎の世界じゃなく、全く違う世界で生きることを望んでくれないかなということです。

 

箱だけが立派な世界で中は空虚、何をやっても病気でも自分を被写体として嬉々としてカメラを向け続ける親族、家族がいる世界で生き続けるなんて恐怖以外の何ものでもない。

 

そんな人生なら、自分なら掛け持ちでバイトをしてでもお金を稼ぎ、住み込みでも四畳半のアパートでもいいから独立して、親から離れ、そんな親の敷いたレール上にある歌舞伎などという世界には背を向け、独立独歩、自分の思うままに生き、その過程で息絶えても、そこに誇りを持って朽ちていきたいと思ってしまう。

 

これはころもの場合だけれど、自分で住む場所も親も選べない状況にある幼い子供だからこそ、この不可抗力の時代を守ってやらねばいけないだろうに、子供のプライバシーをこれでもかと切り売りして、アクセス数の増減に一喜一憂する。

 

そんな人生、まっぴらごめんです

 

おそらく決して「それもあります」とは言わないでしょうが、麗禾ちゃんは風邪ということもあるでしょうが、ブログに登場しない理由が他にもあるのではないかと想像してしまいました。

 

勸玄くんよりも年上で、舞台も体験して、いろいろと自覚する部分も増えてきて、何かに気づいたのじゃないでしょうか。

 

自分たちに向けられるカメラの頻度、その不快感も込めて何か抵抗するものが出てきたのじゃないかと思ってしまうし、そうなってむしろ当然だと思っています。

 

もう、私を許可なく撮影しないで下さい!

 

麗禾ちゃん、そう言ってもいいのですよ。
勸玄くん、そう抵抗したっていいのですよ。

 

そっと耳打ちしたくなります。

 

自己愛が強いということを何の補足もなく完全否定することは危険ですが、ことブログに関する限りは、海老蔵さんにしても伯母さんにしても、あまりにも危機意識が低すぎるし、子供の人権を無視しすぎているように感じます。

 

一瞬は永遠

 

である写真の特性をうまく利用して、子供と仲睦まじくチューをしている瞬間の写真や抱擁している写真をブログにUPしていますね。

 

たとえそれが一瞬であっても、その画像は半永久的に残るわけですから、それを目にした人たちはその画像を脳裏にやきつけて、優しいパパ、愛の深いパパという印象を刻印していくでしょう。

 

でも、それは果てしなくつながる「線」の上にある、見過ごしてしまうほどの「点」でしかないかもしれない。

 

画像の持つ力というのは絶大です。

 

使い方によっては、いかようにも印象操作ができてしまう。

だから気をつけなければいけないのです。

 

見えるものが全てじゃない。

語ることが全てじゃないということを。

 

常々、言っていることは、わからなくなったら言葉じゃなく「行動」を見ること。

行動こそが「その人」そのものといってもいいからです。

 

人生を作るのは、言葉じゃなく「行動」。

 

何を叫ぼうが、どんな甘い、耳障りのいい言葉が聞こえてこようが、重要なのは「行動」のみ。

 

独身の義理の姉と一緒に暮らしているのではないか。

一緒に暮らしてないまでも、半同居状態なんじゃないのか。

同居解消したといいながら、再開したのではないか。

 

そんな噂がいつまでもくすぶっているのは、噂するほうが悪いのか、噂されるほうに落ち度があるのか。

 

答えはいうまでもないですね。

 

ではまた。

 

 

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