毒舌ころも

気になることは胸に秘めず口にするサイト

麻耶 加工アプリの画像をあげ可愛い私アピ!?も読者困惑

 

 

スポンサーリンク

 

ころもです。

 

あまりにも「得るもののない」ブログ内容にピタリ指が止まってしまう麻耶さんブログ。

ざっと見積もっても、ここ一週間程度で1000人以上の読者が「登録解除」しましたね。

当然です。

有限な時間を費やす価値が見いだせない。

読みたい本ですらなかなか読めないときに、「私可愛いでしょ」と生まれ持った顔をあの手この手で加工しまくり画像アップするアラフォーの姿に感銘するほど、みな暇じゃない。

それにしても本当に不気味です。

 一体どこで何をしているのか

 

昨夜あげた1記事は、「2018/02/06」というタイトルのみ。

スカッとジャパン
ご覧いただいた方
ありがとうございました

 

相変わらず、いやーな役ですが、
いろんな職業を楽しませて
いただいています!

数多い人材の仲から、「いやーな役」にわざわざ選出される麻耶さん。

よほど適任だと思われての白羽の矢ということでしょう。

 

残念ながら世間の認識は、演技力や人気という物差しじゃなく、演じる必要がない人物がいるよ、ということでのキャスティングなんだろうな、ということ。

 

「あの人は今」状態にかろうじてならずに済んでいるのは、今は亡き妹、麻央さんの「ココロ」ブログと、スカッとジャパンのおかげでしょう。

それですら「風前の灯」状態ですから、やはり東京五輪に向けてますます露出が激しくなっていくであろう海老蔵さん一家との懇意な生活というのは生命線そのものになっていくと思われます。

 

さて、それはまあいいとして、

 

麻耶さん、一体何がしたいのでしょうかという画像が、この「2018/02/06」にありました。

 

昨日、アプリで撮影した写真です。 

スカッとジャパンの下りから続く、その一行の下には、

 

実物とはまたもや別人としかいいようのない、白いハイネックセーター姿で髪を後ろで束ねている、麻耶さんの特徴的なゆるやかでたっぷりした顎のラインとは似ても似つかぬシャープな頬のライン、そして、これ以上あがらないほどの口角を上げきった笑顔の写真が、同じ髪型にした友人、koyumiさん とのツーショットという姿でアップされていました。

その眼はもはや異星人。

アプリで加工した瞳はまるでワニの目の色。

なのに、2人ともうさぎの耳と鼻とヒゲをつけて、こちらを向いて微笑んでいる。

 

悪趣味です

 

「アプリで撮影した写真です」と敢えてコメントを入れることによって、ちゃんとアプリ加工したときはこうやってコメントで教えるのですから、その言葉がないときはどんなに別人に見えようとも加工なんてしてませんからね、と言わんばかり。

でも、うさぎとワニの瞳カラー以外は自撮り写真と一緒なので、逆に普段からやはりアプリで加工していたのだなということが裏付けられ、補強されただけの結果となってしまったようです。

 

っていうか、

 

何がしたいの!?

だからなに!?

 

こういう自撮りの最終目標って、「可愛い〜〜」と、言って欲しいだけのことでしょう。くだらないにも程がある。

 

あまりにくだらなくて、しまいには、麻耶さんの「目」に対するコンプレックスがかなりのものなのだろうなという考えにまで至ったほど。

 

姉妹でありながら、確かに麻耶さんと麻央さんとは別人のように目の大きさが違うし、インパクトも違っていましたからね。

 

麻央さんのキリリとした目が、本当に羨ましかったのでしょう。

シャープな顎のラインも。

 

他人が撮影した麻耶さんの顔と、自分がどうにでも加工できる自撮り写真に映る麻耶さんの顔のどちらが本当の麻耶さんの顔かといえば、説明の必要もないわけですからね。

 

ありのままでいいじゃないですか。

 

麻耶さんには麻耶さんの良さがあるのですから、その緩やかでたっぷりとした顎のラインにつぶらな瞳で生きていきましょう。

 

見栄を張り続ける人生は虚しいだけ。

 

そして、誕生日を祝ってもらえなかった読者への相談がきっかけとなってしまったのか、ブログ最後にのせている、

2月6日生まれたの方!!

愛に溢れた一年になりますように♡

 という言葉。

 

これ、必要ですか。

おめでとうございます、が喪中の麻耶さんの言葉としてふさわしくないと読者に指摘され、アナウンサーらしい表現をといわれてここに落ち着いたのでしょうが、そもそも見当違いです。

 

この「愛に溢れた一年になりますように」という言葉は、あの「1秒でもhappyな時間がありますように」と同じ、上から目線じゃないですか。

 

なぜ自分以外の人間は、ハッピーでもなく、愛に溢れた生活を送ってもいないだろうと、そう決めつけているような発言を繰り返すのでしょう。

 

せめて、「さらに愛に溢れた一年になりますように」にしたらどうでしょう、

 

というのかこれまた、不要なんじゃないですか。

 

失礼過ぎるのですよ。
ひとつひとつの言葉のチョイスが。

 

愛に溢れていない人生が大前提になっているって、おかしいですから。
しかも、その人が「愛に溢れた人生」など一ミリも望んでいないとしたら、滑稽なやりとりになります。

 

そんな人いるわけない、愛に溢れた一年になりますように、は思い遣りのある言葉だと言う人がいたら、その方はあまりに画一的で偏狭な考えの持ち主といわざるをえません。

人の好みは人の数だけ。

 

相談者の悩みを世間一般の人々「共通の悩み」に押し上げる必要はないし、その悩みへの回答と同等の扱いをするのは明らかに行き過ぎ。

 

いい人で「あろう」と繕うより、

いい人で「ある」ことのほうが大事。

 

ではまた。

小林麻耶・海老蔵 最新・関連記事はこちら