毒舌ころも

気になることは胸に秘めず口にするサイト

海老蔵 麻央と麻耶を「素晴らしい姉妹」子供にも願う

 

 

 

 

ころもです。

 

また代弁という感じでしょうか。

それとも、

再婚相手じゃないかとまで噂されている義理の姉との関係についての、自己弁護の言葉でしょうか。

今日の「On the way home」という麻央さんのリブログの中で海老蔵さんは開口一番に、

素晴らしい姉妹といつも思います。

 とコメント。

 

仮にそれが本心からの言葉だったとしても、その言葉どおりの意味に解釈する人は現在どのぐらいいるでしょう。

その言葉を何のフィルターも通さずに読み、納得する人は麻央さん他界後はかなり激減しているのではないかと思います。

 過ぎたるは及ばざるが如し、では?

「素晴らしい姉妹といつも思います。」の後には、

 

支え合うという

姿が本当に、、

 

麻央もどれだけお姉さんに救われたことが
それは麻耶さんも同じなのだと思います。

 

というコメントが続き、

麗禾と勸玄にもそうなって欲しいです。

の一行で締まっています。

 

何が言いたいのでしょう。

そんな「素晴らしい姉妹」なのだから、麻央さん亡き後、子供たちと暮らしても何の不思議もないのですよ、婉曲的にそう言っているように聞こえるのですが、それは穿(うが)ちすぎでしょうか。

つまりこれは、妹の家庭に踏み込み過ぎて世間に大バッシングを浴び続けている義姉の麻耶さんをかばっての発言にも取れてしまう。

 

もちろん、ブログのコチラ側とあちら側では、通常の洞察力があれば「違いがある、同じではない」ということぐらいはわかります。

 

しかし、どう贔屓目(ひいきめ)に見ても、麻央さんが他界してからの麻耶さんの不謹慎、非常識な言動の数々は、読者側の勝手な思い過ごしでも、勘違いでも、曲解でもないように思うのですが、いかがでしょう。

もしそのすべてが解釈違い、読解力不足のためだと反論されるならば、それは結果としてブログ発信者の「稚拙な動機」「不器用過ぎる表現」に端を発するものであり、解釈する側だけが咎められることではないでしょう。

 

誤解されるような言動を、誤解されることも大いにあり得る不特定多数、多種多様な価値観や思想を持った人々のいる世界へ堂々とブログ発信している事実があるわけですから、その「リアクション」としての意見、感想、考えといったものがワンセットになって返ってくるというのは、当然、想定内のことだと思います。

 

喪中である中での軽率、軽薄としか思えない言動は、特定の誰かの「考え過ぎ」や「思い過ごし」のレベルを遥かに越えた、一般的な常識から乖離するものだったからこそ、麻耶さんに関する記事がヤフーニュースにピックアップされるたび、多くの読者たちから「不謹慎、非常識」という批判的な言葉が噴出するのです。

 

世代も性別も環境も何もかもを越えて、誰もが麻耶さんについて誤解しているのでしょうか。

 

誤解の「ご」の字もなかった読者たちですら、麻央さん他界後の麻耶さんの理解しがたい言動に茫然自失状態なわけです。

 

素晴らしい姉妹!?

 

なのかもしれません。

 

でも、その「素晴らしい」の中身は立場によっていかようにも変わってくるでしょう。

 

大好き、大ファンの海老蔵さんに見せる顔と、読者へ見せる顔、麻央さんに見せていた顔、姪っ子甥っ子たちに見せる顔、母親に見せる顔、どれひとつとして同じ顔はないと思います。

 

ということは、素晴らしさというのは、徹頭徹尾、海老蔵さんの視点、立場からの「素晴らしさ」に終始するもの。

 

なので異論しかないですが、海老蔵さんが自分のブログで自分だけの立場からそう信じ発言するなら、それはそれでいいということで終わるしかない。

 

所詮、海老蔵さんのブログですから。

 

ただ、ころもは今の麻耶さんを見ていて、

「過ぎたるは及ばざるが如し」

という言葉しか浮かびません。

 

ではまた。

(引用元:市川海老蔵オフィシャルブログより)

 

小林麻耶・海老蔵 最新・関連記事はこちら