毒舌ころも

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海老蔵「母親の温もりを沢山感じさせてあげたい」の意味は

 

 

 

 

ころもです。

 

海老蔵さん、伏線のつもりでしょうか。

本日、かなり意味深なブログを更新しています。

 

タイトルは「二人が」

 

これは読み手の数だけ解釈があるでしょう。

どの立場から読むかによって意見は異なる。

正しいも、正しくないもない。

意見は人の数だけある。

 

そして、それが健全な社会です。

 

ころも個人の推察では、これは大いなる「伏線」という解釈でいいのじゃないかと思っています。

問題は何の伏線かということですが、再婚の可能性です。

 その先に見える二文字、それは…再婚

昨晩の残りだという「すっぽん鍋」、からの「雑炊」で元気を取り戻そうとした堀越家の朝食。

雑炊が子供たちから好評であると海老蔵さんは言いますが、この持ち帰りからの雑炊ぐらいしか温かい食事が食べられないことが、好評である一番の理由でしょう。

なにせ、海老蔵さん以外に温かい食べ物を提供してくれる大人がこの子供たちには見当たらないですから。

気の毒なことこの上ないです。

それもこれも、ちやほやされる場所や癌の餌になるスイーツしか眼中にない大人が一番身近にいて、彼らの環境を整えるチャンスを奪っているからに他ならない。

 

後妻になっても何ら家事に期待できない。

後妻にならないとしても、潔くその「場所」を空けてくれるわけではない。

 

にっちもさっちもいかない状況が多くの読者のフラストレーションをマックスに押し上げ、結果、麻耶さんの読者登録数に加担する羽目になったり、アクセスアップにつながることになっているのだから、本当に思う壺です。

 

それはさておき、話を海老蔵さんの意味深ブログに戻すと、

 

雑炊の朝食を終えて次に更新した「二人が」というタイトルブログでは、

 

いま

ママがいない

事を悲しんで涙ながしていました。

 

勸玄が明確に認識して涙を流した事を始めて見ました。

 

というコメントがあり、その後に、

わかるよ。

としか言えない父親、

抱きしめるしかできない父親、

辛いです。

と。

 

麗禾ちゃんではなく、勸玄くんだけが涙していたということでしょうが、これを敢えて書くことで何が言いたいのか。

 

もちろん、日常的に一挙手一投足がリアルタイムといってもいいほど垂れ流されている勸玄くんの様子ですから、泣いている事実を公表してもおかしくないといえばおかしくないのですが、なんというのか、最後の言葉につなげるための「助走」としての意味合いが非常に強いように感じました。

 

その最後の言葉とは、

 

母親の温もりを沢山感じさせてあげたい思いが
私の中で大きなものとなっています。 

 

という発言です。

 

本来なら、自然で特段取り上げることもない、ただシングルファーザーとしての素直な想いを打ち明けただけのものとして流していいところです。

 

でも、海老蔵さんの大ファンである姉が妹が亡くなって後、姪っ子甥っ子の母親になったつもり、妻になったとでもいわんばかりの同居状態が続くなかでの、その延長線上にある真っ最中での発言であるということが重要だし注目に値するわけです。

 

一般論で語れるような生活じゃないことは、説明の必要もないほどですね。

 

では、続けます。

 

母親の温もり、といっても母親はもうこの世にはいない。

沢山感じさせてあげたい、といっても感じさせてあげられる母親がいない。

 

ということは……

 

新しい母親を迎えてあげたい。
見つけてあげたい。

 

という想いが、

 私の中で大きなものとなっています 

ということでしょう。

 

説明する必要もないほどに、この言葉には「再婚の必要性」を説く、海老蔵さんの気持ちが込められています。

 

肝心なのはタイトルにもしたように「二人が」、であり、自分自身は再婚など考えていないし、考えられないし、必要も感じていないが、

 

二人が

 

と、あくまで子供たちを前面に出さざるをえないし、出したい、出すほうが賢明だという判断でしょう。

 

そうとなれば、周囲の反対や「早すぎる」という声にも抗えますからね。世間の批判の声を子供への同情、哀れみの声へと変換させられる。

 

なるほど、そういうことなのかもしれない。

ころもの想像ですので許してください。

 

つながったかも…

 

ここ数日の、あまりにも孤独で切ない勸玄くんの表情の画像アップ。

一人きり侘しい蕎麦屋での姿。

温もりのない食卓の強調。

麗禾ちゃんの納豆のみの食事の画像。

 

どれもこれも、批判されるのになぜアップするのだろうと訝しく思っていましたが、その意図は今日の「再婚の必要性」の補強、材料にするためだったのではないでしょうか。

 

一人きりの侘しい食事、孤独な勸玄くん、みすぼらしい麗禾ちゃんの舞台前の食事風景、それらすべてを見て読者が抱く感想は「気の毒」「哀れ」「不憫」、どれをとっても、そんな感情でしょう。

 

そしてつぎに起こるのは、

 

麻央さんが亡くなってまだ日も浅いけれども、これは一日も早く再婚して新しい奥様をもらったほうがいいのじゃないでしょうか。という声、声、声。

 

やられた感、満載です。

 

だとすると……

 

 

粗末な食事を敢えて撮影し、海老蔵さんに送っていた麻耶さん。

麻耶さんが送ってきた粗末な食事画像を、アップしないことも可能なのにわざわざアップし続けた海老蔵さん。

 

その二人の不可解な行動の裏がこれで繋がったように思える。

 

 

そうか…、そういうことかも。

 

 

再婚なんてまだまだ早いという世間の論調を、一日でも早く子供たちに温かい家庭を、食事を、ママをに向けさせるには、確かにこの方法は最適ですね。

 

本当は画像に映らないところに、考えられないほどのご馳走があるのかもしれないけれど、ブログで切り取られた画像でしか知るよしのない読者にしてみれば、納豆しか与えてもらっていない姪っ子、一人きりで、鉄火巻のようなよくわからない冷たい食事をポンと与えられただけの勸玄くんの姿しかわからないのだから、それは同情したくもなる。

 

結果、海老蔵さんは再婚を考えていなくても、子供たちにはママを迎えてあげたほうがいいのかもしれないという世論になる。

 

なるほど、そういう可能性もありますね。

まったくの個人的な感想、意見、推察、推量ですが、このぐらいのことはブログを読んだ人はみな思うことでしょう。

 

そう思うに十分な材料を、海老蔵さん自らが更新し続けているわけですから仕方ないともいえます。

 

考え過ぎでしょうか。

 

でも、「二人が」というところに非常に重みを感じます。

海老蔵さんが本心から「誰か」と再婚をしたいと思っていても、今の状況でそれは時期尚早と批判されることは目に見えている。それが誰であれです。

 

でも、子供たちがそれを望むなら、子供たちのことを思ってしたことなら、ゼロではないにせよ、だいぶ批判は免れるのじゃないでしょうか。

 

わからないですが、そのぐらいにインパクトのある内容でした。

 

ではまた。

 

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