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麻央へは愛 麻耶には情!? 海老蔵が麻央愛を叫び続ける理由は

 

 

 

ころもです。

 

他人の家のことです。

それは誰もが認めることです。

ただ、ただの「他人の家」とはまったく違うということもまた然り。

 

人気を得てお客様を集め、それによって支払われる対価。

客商売というものは、「客の相手やもてなしが中心となる商売」である以上、注目されることは一般人の「比」ではありません。

 

ましてや日本の伝統芸能の後継者で多くの脚光を浴びている市川海老蔵さんですから、自身が発する「謎解き」要素の多いブログの反響は、ないよりはあったほうが良いに決まっている。

でなければ、読者へ度々問いかけはしないでしょう。

読んでいる人、読ませたい内容があるからこそ、ブログ発信をし続けているのでしょうし、それによって得られる決して少なくないブログ収入も、直接、あるいは間接的にこの歌舞伎界に貢献しているものと思います。

 麻央さんへの愛を語り続ける、イコール…

これはあくまでも個人的な見解であり、統計をとったわけでも、断定した意見というものでもありません。

 

本人が世界へ発信するブログでの言動の数々から「推量できる」、その「範囲内」において感じる見解であり、推測の域を出ていないことを前置きしておきます。

 

未だに謎の多い、海老蔵さんと、その妻の姉である麻耶さんとの関係ですが、なぜにこうも釈然としないのかを考えるときに大事なことは、冷静に、とにかくフラットな眼差しで繰り広げられている茶番を分析するということでしょう。

 

海老蔵さんは最愛の妻、麻央さんを昨年6月に亡くしている。

二人の間に生まれた幼子が二人。

うち一人は未来の海老蔵、團十郎となる運命にある(少なくとも現段階では)。

 

2020年の東京五輪に合わせて十三代目の市川團十郎の襲名が既定路線となっている海老蔵さんにおいては、望む望まざるとにかかわらず、梨園の妻を望む声が日々増大していくでしょう。

 

「女性自身」が昨年10月に報じた新恋人報道については、

「私は私に彼女がいるらしい事を週刊誌を通して知りました」と驚きの声をあげ、

「そんな気持ちになれないよ、酷いと思いました」とも発言。

 

その後も何かにつけ、麻央さんへの「愛」を語り、叫び、つぶやくことが多いのですが、その後の義姉である麻耶さんとの再婚説などが報道されていくなかで、この麻央さんへの「愛」の叫び方の方向性が変わっていったように思えるのです。

 

それは、世間へ対する「麻央さんへのラブコール」から、

麻耶さんが自分を諦めるよう言い聞かせるための「麻央さんラブコール」に変化していったのではないかと。

 

嫌いで別れたわけじゃなく、死別という形で引き裂かれたことを思えば、まだ半年前に亡くなった妻への愛が消えるわけがない、消えるはずがないと誰もが思うわけです。

 

それゆえ、それを敢えて、いくら自分のブログだからといって何度も執拗に叫ぶ必要もアピールする必要もない。

 

では何故にこうもしつこく麻央さん愛を口にするのか、語るのか。

 

ふと考えたときに、それをする、意味、必要が、海老蔵さんの中ではあるからということになるかと思うわけです。

 

テリー伊藤さんとの対談の中で再婚について言及され海老蔵さんは、顔もよくて性格もよくてすべてが…と言って、不可能ですよね、と再婚の可能性がないことを改めて強調しました。

 

いわば、機会あるごとに再婚は考えられない、麻央さんが心のなかにいる、ということを言い続けているわけです。

 

わかった、わかった、世間はそう思うのですが、それでも海老蔵さんは事あるごとに、随所にその想い、言葉をブログを使って未だ言い続けている。

 

なぜか。

 

自分の気持ちを常に明らかにしなくてはいけない「誰か」がいるからじゃないかと思ったわけです。

 

誤解されても仕方のないような生活を、その本人にさせてしまっている。たとえ本人が嬉々としてやっていることだとしても、それを否定することもできるのに受け入れてしまっている現実がある。

 

現実問題、事実婚といわれても否定しきれないほどに入り込んでいる独身の麻耶さんという義理の姉の存在があるわけです。

 

家を留守にすることの多い海老蔵さんにしてみれば、下手をしたら歌舞伎以上に収入の多いブログが途絶えることは大きな脅威でしょう。

 

1日に何十回も更新すれば膨大なブログ収入が入るということは、裏を返せば、それが途絶えたら収入はわかりやすく激減してしまうということも同時に意味するわけです。

 

だからといって、ブログの柱となっている子供たちの生活を赤の他人に頼んで激写してもらいブログにUPしてもらうなどというのはハードルが高い。

 

そんなときに……

 

麻耶さんの存在というのは大いに助かる存在なのじゃないでしょうか。

 

素直に、ありがたい、
悪く言えば、非常に都合のいい、

 

そんな存在だったと思うわけです。

 

何しろ、歌舞伎が好き。そして、自分の大ファンであるわけであり、妻の姉でもあるため子供たちとの接触には何の躊躇もない。

 

加えて仕事もほぼなく、夫も恋人もない独身貴族で、母親は娘の闘病以降同じ屋根の下で孫たちの世話をしている。

 

子供たちの世話、質を考えなければ、その一点においてはこれほど便利、都合のいい人は他にいないかもしれないと思っても不思議ではない。

 

しかし世間の見え方はシビアですから、いびつな関係は「いびつな関係」のまま素直に映ってしまう。

 

麻耶さんの思わせぶり、匂わせ感満載の読者へ対する半ば挑戦的な口調もあいまって批判も増大していくばかり。

 

冷静になれば、歌舞伎を鑑賞するお客様の半分は女性なわけです。

 

今回のことがなくても同性に人気があったとは到底いえない麻耶さんが、伯母という立場をフルに活用して、通いでまかなえる世話を同居までして「送迎」と「遊び」担当を主張し、過剰で挑発的な言動を繰り返していれば、さらに同性からの反感を買うのは目に見えている。

 

麻耶さんがそこに気づかなくても、人気稼業を生業としている海老蔵さんはその空気を少しは感じていることでしょう。

 

だからこそ、麻耶さんを「優しい伯母さん」として読者をなだめ、諌めるような論調に一時なったのだと思います。

 

海老蔵さん…

 

麻央さんへの「愛」を語ることによって、読者というよりは常に麻耶さんを牽制しているのではないでしょうか。

 

麻央さんへは愛。

麻耶さんへは情。

子供たちへは愛情。

 

「愛」と「情(なさけ)」の違い、それが事をややこしくしているように思えます。

 

麻耶さんへの気持ちは「愛」じゃなく「情」。

愛も情も切ることは難しいので、いつまでも不可解なブログは成立するわけです。

 

「女性セブン」の記事で歌舞伎関係者が

「海老蔵さんは、麻耶さんと子供たちとの”距離の取り方”を決めあぐねているようなんです」

と語った部分がありますが、それはそのまま、海老蔵さんが麻耶さんとの距離の取り方を決めあぐねているとも読めますね。

 

実際、そこがはっきりすれば自ずと子供たちとの距離の取り方というものは確定していくわけですから、順序が逆のように思います。

 

ではまた。

 

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