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「いのちの授業」で麻耶が発した”あの言葉”の意味とは

 

 

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ころもです。

 

昨日は日本赤十字社の「はたちの献血」キャンペーン記者発表会で司会を努めた麻耶さんですが、いつもながらブログの自撮りとはだいぶ印象が違いますね。

掲載されていた、時事通信社(掲載画像はこちら→JIJI.COM)の画像では、馴染みのあるつぶらな瞳に鋭角な麻央さんの顎とは違った、頬から顎にかけて丸みのあるラインが二重あごになって年齢相応の貫禄が感じられました。

同じく「はたちの献血」を報じたmodelpressでの麻耶さん画像も、ブログの自撮りとは別人でしたが、顎のラインを細く見せようと口角を上げすぎるブログの自撮り画像よりは、よほど自然体で飾らず好感がもてます。 

(掲載画像はmodelpress→こちら

 

麻央さん関連で「ニュースZERO」でも取り上げられたことを思うと、麻央さんが麻耶さんのために未だに貢献していることを実感しますね。

 反動? 意味深言葉が続々と…

麻耶さんの「いのちの授業」の動画の中で、妹の麻央さんについて話している下りがあるのですが、とても気になったワードがあります。

 

なぜこの言葉が気になるのか、いつまでも引っかかるのか。

それには理由があります。

 

これが、今多くの読者や世間を困惑させている言動の「動機」そのものなのじゃないかなと思えてならないからです。

 

その言葉は、

 

私は妹が、もう生まれた瞬間からほんとに大好きで、何をするにも妹を優先にしてずっと育ってきました。

の中の、

 

妹を優先、というワードです。

 

「いのちの授業」全体は、非常にビジネス的な「こなしている感」しか感じられず、ずいぶんと表層的な当たり障りのない表現、言い回しに終始しているなと思ったのですが、

この言葉だけは、唯一麻耶さんのホンネ、血が通っていた言葉に思えたわけです。

つまり、自分のいつわらざる素直な感情、言葉に感じたのです。

 

正直、この授業の流れの中でこの麻耶さんのフレーズは無くても問題ない、献血推進のために特に必要な部分ではないわけです。

 

もっと言えば、

 

「私は妹が、もう生まれた瞬間からほんとに大好きで…」までは良かったのです。

それほどに愛すべき妹を助けてくれた献血だからこそ、自分はこうして推進活動に従事しているのですよ、という意味で。

 

でも、「何をするにも妹を優先にしてずっと育ってきました」という言葉は、献血推進のスピーチに必要不可欠なものではないし、むしろ似つかわしくない言葉です。

 

私は犠牲になってきたんですよ、といわんばかりの不平不満にしか聞こえない。

 

優先にして、ということは、優先にしてきたという「強い意識」「自己犠牲」の気持ちが潜在意識にあればこそ出てくる言葉。

 

それを望んで、自然発生的に、心の発露の結果としてそうしてきたというよりは、どことなく恨み節。

 

本当は自分を優先させたかったのに、ずっとずっと優先してあげていた…

そういう後悔と苛立ちの念が感じられるのですよ、この言葉には。

 

だから、もしそんな気持ちじゃないとしたら誤解を招くこの言葉は言うべきじゃなかった。

優先にしてきたという意識、結果を、赤の他人(この場合は、高校生たち)に聞かせてどんな感情を引き出そうとしているのでしょう。

どんな感想を期待しているのかと思うわけです。

 

自分がもし、姉妹を亡くしたばかりの友人と話をしていて、

「わたし、何をするにも妹を優先にしてずっと育ってきたの…」

と言われたら、

それは大変だったね、今度は自分の人生を優先してねと言ってしまうでしょう、思わず。だって、そういう言葉を引き出されたも同然の言葉を面と向かって愚痴られたようなものですから。

 

麻耶さんの潜在意識(心の奥深いところに潜んでいる意識)の中に、自分の人生は忍耐や我慢を強いられてきた、妹を優先するあまりにという意識があったとしたら、今の状態はその抑圧状態がようやく解き放たれた状態ということになるでしょう。

 

そう考えると、不可解な言動を支える強い動機のようなものも見えてくるし、「悪魔のささやき」に、我慢ばかり強いられた自分を解放させる指針のようなものを見出し、ついていこうと決意してもおかしくはないですね。

 

アクセスアップのトライアングルみたい!?

麻耶さんと親しい、ヨガトレッチのkoyumiさんは、1月9日付けの自身のブログの中で、こんな発言をしています。

 

ヨガトレッチをご利用いただきまして

ありがとうございます。

今まで我慢ばかりしていた人生から
ご自身の
やりたいことをやる!と決めることができたそうです

 

お仕事、習い事、宝塚観劇など
興味あることはすべて手に入れ

 

ヨガトレッチ後も、
新春歌舞伎を観に行かれました

 

素敵なお客様とのご縁に感謝です

なんのことはない文章です。

 

お客様が誰なのかも、この文章ではわかりません。

 

ただ、

「今まで我慢ばかりしていた人生から ご自身のやりたいことをやる!と決めることができたそうです」や、「興味あることはすべて手に入れ」という部分に何となく胸騒ぎを覚えました。

 

このコメントのあとに一枚の花の画像が掲載されており、その下には、

 

新しい領域への一歩は
勇気が必要ですね!

それが誰もやっていないことであればなおさら

どんどん無限大の可能性に向かって
進んでいきたいものです

 (引用元:小池田優美オフィシャルブログより)

 

というコメントが添えてありました。

 

ちなみに、掲載されていた一枚の花の画像の「花」は、シロユリです。

白いユリの花言葉は「純潔、威厳」ですね。

結婚式や花嫁が持つブーケに大人気の花。

 

新しい領域への一歩は勇気が必要
だれもやっていないこと

 

意味深ですね。

 

koyumiさん、「ひそかにパートナー募集します」という言葉で、この「福井県から」というタイトルブログの最後を締めていました。

 

今日も麻耶さんは甥っ子と一緒でしょうか。

海老蔵さんが今日投稿した、「さ!」というタイトルブログの中で、

 

あとで何故か今日カンカン演舞場くるそうです 

 

と書いてますから、麻耶さんが新橋演舞場まで連れていくのでしょうね。

カンカンと一緒なら、行きやすい、入りやすいということなのか。

 

いずれにしても、この関係はまだまだ続きそう。

便利な女性になってはいけないと何かで読んだことがありますが、まさに麻耶さんは便利であり、都合のいい伯母さんになってますね。

 

週刊誌などで噂されているように、海老蔵さんも麻耶さんも今の状況にメリットを多分に見出しているのじゃないでしょうか。

 

海老蔵さんは父、團十郎さんの多額の借金を背負っている(これは、父の團十郎さんが保証人になっていた、妻の父(海老蔵さんの祖父)の不動産取引の失敗によるもの)。

 

麻耶さんは麻央さんがらみの仕事とブログがあるだけ。

 

海老蔵さんは将来にわたる歌舞伎の未来を背負う運命にあり、麻耶さんはこのままでは自分一人で両親二人の老後を見るという未来。

 

再婚相手としてよりは、もはや「同士」としての絆が生まれているのかもしれません。

ブログ収入という共通の目的のためであれば、海老蔵さんが不在のときに麻耶さんがバトンを受けるが如く麗禾ちゃんや勸玄くんの画像をひきりなしに撮影しては海老蔵さんに転送するという作業の流れも理由も納得はいかずとも理解はできます。

 

麻耶さんは自分が結婚生活に向かないことは自覚しているでしょう。なので、付かず離れず、家のことをやらずとも、その他雑用をこなすことでサポートメンバーの一人として海老蔵さん一家と太いパイプを持ち続けたいのではないでしょうか。

 

そうでなければ、これほどの疑惑噴出に「ダンマリ」を通す意味がわからない。

 

麻耶さんがたった一言、

 

「海老蔵さんとは義理の姉と弟、それ以外の関係にはありません」

 

と言えば、すべてが解消するといってもいい状況なわけですから。

 

ではまた。

 

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