毒舌ころも

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麻耶 丸空白1日後投稿の「ふと、つぶやき」限定は読者囲い!?

 

 

ころもです。

 

もう、麻耶さんは完全にブロガーの手練手管を身に着けた感じ。

疑惑のクリスマスが終わって興味関心がなくなった読者が1人、2人と減っていくのがわかったのでしょうか、丸一日空けて、あれ、どうしちゃったんだろう!?

 

そうたっぷり思わせ、飢餓感を煽ってからの本日”アメブロ限定”でのブログ更新。

お見事です。

考え過ぎ?

なるほど、そうかもしれません。ただ、わかったことがひとつあります。

麻耶さんのクリスマスの内容だけを知りたかったのか、クリスマスイブと当日は若干読者が盛り返し、その後また減ったのですが、丸一日の沈黙と、その後の初めてのブログが”限定記事”ということで、その限定内容読みたさなのか読者が約数十名増えているのです。半日程度で。

ブロガーの鏡のようなアクセス集め、読者集めのテクニック凄いです。

 一番の疑惑は内容、なぜこれを”限定”にするのか

どんなことも渦中にいては全体像が見えません。

そこで何が起こっているのかを冷静に見るには、一歩引いたところから見るのがいい。

俯瞰して見る、すると誰がどんな動きをしているのかをヒステリックな感情ではなく見て取ることができるようになります。

 

クリスマス後、初のブログ更新を本日の13:03にした麻耶さんは、そのタイトル「ふと、つぶやき」の内容を限定記事にして、読者登録をしている人以外読めないようにしてしまいました。

 

転載転用は駄目ですが引用は許可不要なので、中身を要約し、最小限に引用させて頂くだけにします。

 

結論から言ってしまうと、

 

今回の限定の内容を”限定”にする意味が全くわかりません。
だからこそ……

 

内容そのものより、限定によって飢餓感をあおり、減ってしまった読者数を増やすこと、そのことこそが一番の狙い、今回のブログ更新の目的なんだろうなということに気が付いたのです。

限定の内容は、

今回のクリスマスはお母さんとkoyumiさんとずっと一緒だったため落ち込み過ぎることも、泣く時間も少なく過ごせたということ、

 

そして、

 

姪っ子甥っ子にお願いされたプリキュアとキュウレンジャーグッズをクリスマスプレゼントとして渡したということ、その笑顔が最高だったということ。

 

そして、

去年のクリスマスは麻央さんと病室で一緒で、凄く喜んでくれたと言い、

今年はみんなで
笑顔で過ごせると思っていました。

(引用元:小林麻耶オフィシャルブログより)

と。

いつ何があるか本当にわからないから、大切な人と分かち合えるうちに愛おしい時間を共有してくださいということ、本音と本音で交流する大切さも語っています。

 

最後に、

生きているって、
当たり前のことではないから。 

 というコメントで締めています。

 

いかがですか。

 

この内容をどうして”限定”にする必要があるでしょう。
すでに麻耶さんの言いなりのようになっている読者に向かってこれら言葉を改めて諭す、語る、つぶやく必然性が弱すぎます。

 

つまり、

 

これは本当は限定などにせず、普通にブログ更新して世間の人々に呼んでもらって平気な内容なわけです。

 

というか、むしろ是非読んで欲しい内容といってもいいでしょう。

普段のキャハ、るるん、チャオに比較したら、内容の心の真偽はともかく、きちんと文章になっている久々の内容なわけですから。

 

だけど、それを本来なら最も読ませたい、自分の言動を批判する世間一般の読者じゃなく、すでにそんなつもりでいるのだろうと固く信じて疑っても居ない読者だけに読んでもらおうとする、その意図は?

 

なぜ、スカッとブログ! にしないのか

 

読者登録してもらうためだと勘ぐらざるをえません。

事実、限定にしたがためにいったん減った読者数が一時的にせよ増えています。

 

丸一日更新がなかったわけですから、批判集中の週刊誌にまでキャッチされたディズニーイベントの後に一体何をブログで語るのか。

 

賛否両論もつ人々は、怖いもの見たさもあって読みたい気持ちが高まったことでしょう。

 

そこにきての 限定。

 

これは効きます。

どんな弁解をするつもりなのか、何を語るのか、ちょっと読みたいなぐらいの人々で気軽に読者登録してしまった人も多いかもしれません。

 

そして限定記事を読んでびっくりするはずです。

 

どうしてこの内容が”限定”なわけ? と。

 

こういう内容こそ、イエスマンである自分の読者ファンじゃなく、普段自分を批判している人々にこそ読んでもらうべきものじゃないでしょうか。

 

麻耶さんの過剰な堀越一家への依存は、一独身女性の寂しさをまぎらわすレベルのものじゃなく、歌舞伎という伝統芸能の屋台骨にも本来はなり得た一族に泥を塗る行為ともいえるわけで、それでも可愛い妹のため、あるいは可愛い姪甥のために今後も関わっていきたいのだとしたら、それこそ、今の自分がどんな想いでこの一族に接しているのかを知る手がかりになる内容を限定にする必要はないのにと思ったものです。

 

ときどきブログでころもは言うのですが、

麻耶さんには麻耶さんの思う真実があることでしょう。

 

なので、限定という意固地でいびつな公表の仕方ではなく、世間に自分が誤解されていると少しでも思うのならば、今回の内容のような素直な気持ちを外に発信してはいかがでしょうか。

 

もちろん、それにしてもただの言葉の羅列とみられる恐れはあります。

でも、語らず批判されるよりは、本心を語って、それでも批判する人がいるならそれは仕方ないなという諦めの境地も得られるのではないでしょうか。

 

好みの問題なので何ともいえないですし、強要もできないことですが、生き方が上手なのか下手なのかわからないことが多すぎて本当に混乱するわけです。

 

そして毎回のように、イベントが終わってから答え合わせを楽しむような真似はしないこと。

 

実はクリスマスに一緒に過ごしてました的なやり方ではなく、

明日は、子供たちを盛り上げるためにも伯母はクリスマスディズニー同行させて貰います!とあけっぴろげに言ってみてはいかがですか。

 

もちろん反発も反論も反対もあるでしょう。

それでも、理解者はきっとわずかでも生まれるはず。

 

こそこそするから人の憶測を誘発するのです。

誘発させるためにそうしているのなら、もう言うべき言葉はないですが。

 

ではまた。

 

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