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麻耶「違う自分になったり」月命日も麻央もなく今年を語る

 

 

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ころもです。

 

麻央さんの月命日のことなど「忘却の彼方〜〜」という感じでしょうか。

本日2度目の投稿がすでに更新されています。

 

なにせ「行事が命」と受け取れる日々のブログですから、クリスマスは大好物と思われます。

 

それにしても、ハワイ旅行じゃなきゃ良いって問題じゃないですよ。

いいですか、麻耶さん。

 

市川海老蔵さんは、小林麻央さんの夫であった人で、あなたとは義理の姉と弟という関係以上でも以下でもない。

 

クリスマスを一緒に過ごすために、またまた姪甥が可愛くて仕方ない伯母を演じるのでしょうが、そんな茶番劇はもう本当に今年だけで終わらせて下さいね。

胸焼けします。

 麻央さんが亡くなったのって、確か今年でしたよね?

 

月命日に麻央さんのことを想っていたのは、麻耶さんより読者のほうだったようですね。もちろんその胸の内というのは誰にもわからないことですが、わからないことだからこそ、行間から感じさせるということも時に必要じゃないのでしょうか。

 

とくにブログ収入で生計を立てている人にとってはそうだと思います。誠実じゃない、まやかしと感じられるようになれば、自然と人は潮が引くように去っていく。

 

自明の理です。

 

さて、長くなってしまいましたが2度目のブログタイトルは、

「2017年ホントにいろいろありました。」

 です。

 

黄色いドリンクが入ったグラスの大きな画像が一枚UPされ、その下に、

 

背中を押してもらったり
違う自分になったり…

とコメントが添えられています。

 

こんな短い文章なのに、これまでの経緯を知っているので何だか薄ら寒いものを感じます。

 

何に対して背中を押してもらったのか、ハワイ行きかとか、

 

違う自分になったり…

 

というのも、これまでは妹想いの姉を演じていたけれども、「悪魔とのおしゃべり」をこれからの人生の指針に、本来の自分に戻ることを誓ったような感じがしたりとか、

 

いろいろと意味深に聞こえる。

 

いつまでも悲しむ必要もアピールも要らないですが、誰もが、もし自分だったらどうだろうと考えるわけです。

 

そうすると、命を差し出してもいいほどに愛していた妹の死というものがあった年にしては、あまりにも言葉が軽い、不足していると感じてしまう。

 

なにより、

 

愛が感じられない

 

月命日を忘れることもあるでしょう。
忘れたからといって、責めることも酷かもしれない。

 

だって、そんなに愛していなかったとしたら、それを押し付けるのは確かに無理があるから。愛を感じないんですよ、麻耶さんから麻央さんへ対する愛を。

 

妹が出来なかったことを代わりにやってあげることが「愛」だなんて調子のいい、手前勝手な理屈でこれからもずっとこの一家に関わっていくつもりでしょうか。

 

それは一応伯母ですから、完全に縁を切ることはできないし、一切の交流を断てと言われても反抗するでしょうし、その義務もないのは百も承知です。

 

ただ、それはあくまでも伯母が必要であればの話。

 

伯母がいい影響を与えているならまだしも、妹の夫に手を出そうとして度々週刊誌に「蛇の生殺し」のようなことを書かれてしまう状況では、関わることによって海老蔵さんだけじゃなく子供たちの未来まで不自由にさせる可能性が出てきている。

 

「〜のためを想って」
「〜のために」

 

これほど、厄介なものって実はないんですよ。

 

善意は悪意以上に質が悪いんです。
悪意は拒絶できるけれど、善意を拒絶するにはあまりにも多くのエネルギーがいるんです。

 

人数が多いほうが子供たちが楽しいから、寂しくないから、盛り上がるから。

そんなこと想ってますか、もしかして。

 

ちょっと待って、

 

そうまでして人生って楽しまなくちゃいけないですか
そうまでして人生って寂しさを遠ざけなきゃいけないものですか
そうまでして人生って盛り上げていかなくちゃいけないものですか

 

違うでしょ、違う。

 

偏りすぎです、感情が。

 

良いときもあれば悪いときもある。

人生はあざなえる縄。

 

寂しいときがあっていい、不足を感じる時があっていいのですよ。

 

だからこそ、楽しみや幸せに敏感になれる。

人としての成長はその継ぎ目にこそあるんです。

 

人の期待に答えるためにブログを書く必要もないし、そんなつもりがないことは読んでいればわかります。

 

それは自由です。

 

でも、せめて「最愛の妹」が亡くなったあとぐらいは、その妹についての語り尽くせない想いをもっとブログに書き連ねてもいいような気もしますね。

 

わずか半年で「麻央」の「麻」の字も月命日に出ないようでは、それこそ寂しい。

 

語らなくても伝わることもありますが、麻耶さんからはそういった大切な、最愛のものを失った人から感じる「重み」がまったくといっていいほど感じられないから不思議です。

 

沈んでばかりもいられない。

暗い顔ばかりもしていられない。

 

それも真実です。

現実は刻一刻と進むし、人生は有限ですからね。

 

子供たちや海老蔵さんと過ごすべき麻央さんがこの世にいないのに、その場所に麻耶さんが入り込み、疑似家族を楽しむとしたら何かが間違ってる。

 

間違ってますよ、こんなこと。

 

物理的に可能でも、お誘いをされても、断る「優しさ」「賢さ」があってもいい。

なぜ、断らない?

 

その答えも予想がつきます。

 

麻央さんに最大限に似せて、愛された麻央さんになりきって参加するのでしょうか。そんな人生、自分ならまっぴらゴメンですね。

 

誰かの二流、偽物として生きるぐらいなら、一流の自分で生きていきたい。

それが本当の見栄、プライドですよ。

 

では。

 

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