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海老蔵 羊羹で息子の勸玄からハートの目を引き出す姑息

 

 

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ころもです。

 

「市川海老蔵ブログ」、いろいろな視点、興味関心から多くの人が読んでいます。

それぞれがそれぞれの気持ちで貴重な時間を割いているのですから、究極は他人がつべこべいうことじゃないのかもしれません。

ころもは歌舞伎には興味がないので「なにがこの人を日本一のブロガーたらしめているのか」をことに興味深く見ています。

常識では考えられないこと、非常識でしかないことを罪悪感なく出来てしまうその思考回路、背景には一体なにがあるのか。

そういった点も関心があります。

その最たるもの、それは最愛の妻亡き後の言動、そのすべてですね。

 たとえば息子の人権に対する考え方

今日の海老蔵さんのブログ「目がハート」のタイトルでUPされた1枚の画像。

もうご覧になりましたか。

 

海老蔵さんは羊羹(ようかん)ののっている白いお皿を左手に持ち、それを見つめる勸玄くんがその先にいる。もちろん、その両方が映るように撮影しているのは映っていない海老蔵さんの右手でしょう。

 

つまり、右手でスマホを持ちながら、羊羹をのせた皿を左手で持ち、それを勸玄くんの目線と平行になるまでしゃがんでいるか、屈んで撮影していると思われます。

 

羊羹を食べたい、その勸玄くんの表情を引き出すために使った、おとりとしての「ようかん」。

 

どこかで見た覚えがあります。

 

そうです。

 

先だってのマウイ島で、右手にジュースを持った海老蔵さんが、それにつられて喜び勇んで自分のほうに駆け寄ってくる勸玄くんの喜びの表情を撮影したときの状況と非常に似ている。

 

喜んでいる、とそのときも海老蔵さんは上手に思ったとおりの表情を引き出せたことで嬉しがっていたようですが、これって、ものすごく残酷ですよね。

 

 食べ物で気を引く。 

 

表情の面白さを世界に発信して読者を刺激し、興味を集め、アクセスアップにつなげる。そんな「馬の鼻先に人参をつける」ような真似を息子にさせる。

 

近頃では勸玄くんが、映画『トゥルーマン・ショー』の主人公、ジムキャリーに見えて仕方ありません。

 

舞台に立たずとも、すでに世界舞台に立たされている

 

『トゥルーマン・ショー』はどんな映画か。

 

かいつまんで言えば、

生まれたときから人生の全てを24時間撮影されていた人間の話です。

主人公のトゥルーマンは彼の人生すべてをそのまま「リアリティ番組」、トゥルーマン・ショーとして世界220カ国に放送され、済んでいた世界は巨大なセットで、太陽や月や星すらも機械じかけの照明装置であり、雨や雷鳴なども人為的に作られたものであるばかりか、かかわるすべての人物がすべて俳優だったというもの。

 

どうしても重なってしまうんですね、勸玄くんが。

 

一番の理由は、プライバシーがないこと。

どんな格好で寝ていようがおかまいなしに撮影され、そればかりか世界の人が見ることのできるブログにUPされ発信されてしまう。

 

それが何を意味し、他人にどう思われるかを考えてチョイスできる立場にはなく、無条件に親の収入稼ぎのために利用されている現実。

 

上野のパンダ、シャンシャンと何ら変わらない。

 

ブログというと聞こえはいいけれど、これは今や勸玄くんの生活のすべてを披露する場所であり、通りすがりの読者たちの関心を集めるためだけに、家族日記に記せばすむだけのことをわざわざ学友たちも将来見るであろうブログにアップするのだから、いずれ親が子供に対して詫びなければいけない、何らかの名前がつく可能性はありますね。

(モラハラ、パワハラという言葉のように……)

それぐらいに残酷なことをしていることを自覚してやっているならいざ知らず、そんなことに疑問すら抱いてなさそうなのが本当に怖い。

 

「目がハート」

 

そんな可愛らしいタイトルをつけてみたところで、食べ物の誘惑に顔がほころんでいる勸玄くんの表情を、面白おかしく世界に発信したかっただけじゃないかと思うと、心からゾッとする内容です。

 

一事が万事そうなのでしょうが、オブラートに包まれた優しい言葉が羅列されているので、読者も麻痺してしまうのでしょう。

 

優しいパパ。

シングルファーザーとして奮闘していると。

 

確かに、海老蔵さんは多くの借金を肩代わりしながら頑張っています。現在の生活を維持するのに、ブログで収入を稼ぐこと、それ自体は違法でもないし、一概に責められるべきことじゃないかもしれません。

 

ただ、そのやり方、被写体にもう少し配慮が必要なのでは?

 

この前は、起きがけのパジャマ姿の麗禾ちゃんを撮影しようとして見事振り向きもされず、ブレブレの逃げる麗禾ちゃんの姿が画像UPされていましたね。

 

そうまでして起きがけの女の子、それも大事な娘の乱れた姿を世界に発信したいのかと思うと他人の子供ながら気の毒に思うと同時に、なんという父親なんだろうと我が目を疑いました。

 

ブログを見続けるころもも馬鹿ですが、それでもやっぱり見てしまう背景には、すでにこのブログに多くの物語が構築されているからなんですね。

 

小林麻央さんのブログ発足から読むようになった海老蔵さんと麻耶さんのブログ。この三つ巴が織りなしていく世界に、矛盾や不満を抱えつつも人々が関わり続けるというのは、そういう中毒性があるのだと思います。

 

良くも悪くも日本一のブロガーとして人を集める要因は、そういった完全な絵になりきれない、欠けたピースだらけの絵として、海老蔵ブログが鑑賞されているからかもしれません。

 

ではまた。

 

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