毒舌ころも

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麻耶「人生を味わい尽くしていきたい」誕生会に誓う!?

 

 

 

ころもです。

 

一昨日に「ザ・リッツカールトン東京」でヨガトレッチのkoyumiさんとデートをした麻耶さん。

 

贅を極めた東京の夜景を見て、美味しい料理を堪能し、洒落たラウンジバーでお茶を飲み、よほど楽しいときを過ごしたのでしょうか。

 

昨日もブログでその喜びを語っていたわけですが、ただのディナーにしては随分リッチな場所をえらんだなと思っていたら、なんとこの日は麻耶さんがkoyumiさんに誕生日をお祝いしてもらったのですね。

 

東京の夜景の画像とともに、そう昨日のブログにコメントがありました。

 東京の夜景は人生観をときどき変える

東京は好きじゃないですが、東京の夜景はころもも嫌いじゃありません。

というか、夜景は好きです。汚れたものがみな隠れるし。

 

なので、「ザ・リッツ・カールトン東京」の43階で美味しい食事をとりながら夜景を楽しんだ麻耶さんが、こんなコメントをアップする理由も理解できます。

 

必ず、この身体とのお別れはやってきます。 
その時まで、ひとつひとつ、 
この人生を 
味わい尽くしていきたいと思います。
 
 
自分より他人を気にしすぎたり、 
人から嫌われないように 
批判されないように生きるなんて、 
もったいなさすぎて、 
もったいないお化けが出るぞ〜 
 
世間は、自分が思うよりずっーと優しいです!!!!! 
勇気を出そう。 
休みたい人は、休もう!!!

 

良くも悪くも、人生について考えさせられる場所。

物理的にも天に近い場所なので、人間や人生といった大きなテーマを俯瞰できるのですよね。

 

ただ……

 

誕生日をお祝いって、またですか。

 

麻央さんが亡くなってすぐに誕生日がやってきて、海老蔵さん一家とお祝いをして批判を浴びていたと記憶していますが、あれはカウントされないのでしょうか。

ま、koyumiさんからはお祝いされていなかったということなんでしょうが、そうまでして誕生会をやらなくてはいけないものでもないと思うので、美味しいものを食べる口実だったりするのかな…

 

今回の投稿の中でもっとも違和感を感じたのは、この麻耶さんの誕生会を祝ってくれたkoyumiさんという方の言葉。

 

その言葉は、

 

お祝いさせてくれて、ありがとう。
お祝いしたいのに、お祝いできないって、
つらいね。

だから、今日は、すごく嬉しい!! 

(引用元:麻耶さんのブログより)

 

麻央さんが亡くなったから誕生日にお祝いできなかったということですよね。

これ深い意味はないとわかってますが、デリカシーのない言葉ですね。

 

毎年やってくる誕生日と、好きでなくなったわけでもない、と言うより無念に無念を重ねた若い命とをまるで天秤にかけているかのような軽薄さがあります。

 

お祝いしたい自分の気持ちが一番! そんな風に聞こえるので、もし自分だったら内心複雑な気持ちになるなと思ったものでした。

 

自分の大好きな、最愛の妹が亡くなったので友人が気を使って誕生日を控えていてくれた。それはいい。そこまではいい。

 

でも、そこから半年経って誕生日をまだ祝ってあげていないから祝ってくれる、これもまあいいとしてその先。

 

「お祝いしたいのに、お祝いできないって、つらいね」

 

はぁ?

 

妹は好きで死んだんじゃないんですけど、って、自分ならそう思う。

何を言ってくれちゃってるんだと驚いてしまう。つらい? 友人の誕生日を誕生日である当日に祝えなかった、ただそれだけのことが辛い?

 

はぁ?

 

一緒に祝いたかったのに祝えなかった麻央さんのほうが辛いし、無念に決まってるのに、その麻央さんが亡くなったがために誕生日を祝えなかったことを愚痴るって……

 

どれだけお祭り、行事好きなんですか

 

わかってますよ、そういう意味で言ったのじゃないってことは。こういうふうに解釈するのは考え過ぎで意地悪かもしれない。

 

でも、意地悪だろうとなんだろうと、そういうふうに解釈できる言葉だし、そう聞こえたのだから仕方ないです。

 

麻耶さんはでも……

 

こんなkoyumiさんの失言ともとれる言葉をやはり都合よく解釈しているどころか、感動してしまっているんですよね。

 

わかりますよ、それは。

家族とは違う、友人たちに個別に誕生祝いをしてもらうことは特別な嬉しさがある。それは体験も含めて十二分に理解できる。

 

でもね、事が事だけに、麻央さんのせいで誕生日祝が遅れてしまったことを残念がるような発言は控えるべきだし、幼稚すぎる。死にたくて死んだわけじゃないのに、誕生日ごときで愚痴られるとは、どこまでも麻央さんが気の毒だなと。

 

待っていてくれて、ありがとう、と麻耶さんはその言葉に感激し、「目の前は、奇跡ばかり」と感動を新たにしていましたが、なにか違うな。

 

 「お祝い会ができるのは、お祝いする側とお祝いされる側がいるから。両方でひとつの世界を創っているんですね」

 

 そう言って、これまでお祝いさせてくれた友人たち、お祝いしてくれた友人たちに「ありがとぉ!」と叫んでますが、お祝いしてあげたくでもできない故人の無念のためにも、言われた言葉をそのままブログ投稿せず、そこは隠してもよかったのじゃないでしょうか。

 

友人関係、前後の脈絡、いろいろあってのそのkoyumiさんの言葉だと思うので断片を切り取って批判しても仕方ないですが、誤解を招く言葉ではあったかもしれません。

 

お祝いより大事な、それこそ真摯に立ち向かわなければいけない現実があるのだから、アラフォーの年齢になっても誕生日会やハロウィンに全力で立ち向かわずとも大丈夫です。

 

人生を味わい尽くしていきたい、という表明はいいと思います。

 

間違いなく人生は一度きりだし、後悔なく生きていきたいというのは偽らざる心でしょうから、誰にも責められることではない。

 

ただ……

 

そこには、

 

生きたくても生きられなかった”最愛の妹”に対する一片の配慮があっていい。

 

生きていれば来年も、再来年も誕生日はお祝いしてもらえます。亡くなったその年の誕生日ぐらい、いっそお祝いしないということがあってもいいほどなのに、遅れても祝おうとする友人、遅れてでもお祝いしてもらおうとする心は、素直な生き方というよりかは、無神経な生き方に見えます。

 
自分より他人を気にしすぎたり、 
人から嫌われないように 
批判されないように生きるなんて、 
もったいなさすぎて、 
 
これが麻耶さんの心を表す一番新しい考えなのでしょう、気概というのか。
 
人に好かれる必要はないです。八方美人で生きていくこともありません。
ただ、それがイコール他人を傷つけてもいい、土足で相手の生活に踏み込んでいいということにはならないことを知って欲しいですね。
 
哲学することは、いいことだと思います。