ころもです。
本日発売の「女性セブン」に海老蔵さんと麻耶さんに関する記事が掲載されていました。
読んだ感想としては 、「まるで自分が書いたよう」な記事という感じ。
率直に言えば、「思ったとおり」の海老蔵さんの心中、世間の声といったところでしょうか。
先日の新恋人報道で「そんな気持ちになれないよ、酷い」とブログで記事を否定した際、世間の反応というのは大きく2つに分かれたと思うのです。
・半同棲のような生活をしている麻耶さんがつきあっている”その相手”なのじゃないか
・付き合っている人なんていない、つまり麻耶さんともお付き合いなどしていない
そもそも再婚を願う歌舞伎の後援者たちが実情も心情もわかりもしないのに近くにいて子供たちに懐かれているようだし、といった程度の理由だけで海老蔵さんの再婚相手に麻耶さんを推してきたことが事を複雑にした大きな原因のひとつでしょう。
名前を出して否定したい、でも出来ない葛藤か
記事には、
…それに辟易した海老蔵さんが”奥さんの件は大丈夫ですから”と返答したことが、”彼女がいる”と歪曲して伝わってしまったようです」
(引用元:女性セブン11/30号)
と書かれています。
この新恋人否定のところで海老蔵さんがおかした過ちというのか、意図して外したと思われる「麻耶さんとの再婚は絶対にありません」という言葉。
世間が期待していた本当の否定の言葉はまさにそこなのに、そして、それこそが新恋人報道の記事で一番みんなが知りたかった部分であったろうに、そこだけが明確に否定されていなかったことがやはりその後も世間に疑惑として残ってしまったわけです。
第三者としてこの件を考えれば「麻耶さんとは付き合ってもいないし再婚もない」と言わない海老蔵さんが悪いということになるし、ころももそれはブログで指摘したわけですが、予想以上にこの件はナイーブかなと思っていた部分がどうやら的中しているようなのです。
ころもはハッキリ言わない海老蔵さんが悪いと思うと同時に、あの思い込みの激しい正義を振りかざして自分は間違ったことをしていない、最愛の妹の忘れ形見は私が守ると信じて疑わないような義姉の本当の怖さというものを、読者のような距離感ではなく、それこそ目の前で見て触れて知っている海老蔵さんなので、もしや最悪のことも想定しているのかな…とも思っていました。
後出しジャンケンのようですが、口に出さずとも同じように麻耶さんの心理的なダメージを恐れて「致し方なく」この状態を続けている可能性があると思っていた読者は多いだろうと思います。
姪っ子甥っ子が人生の柱になっている伯母への不安
誰が見ても、というか読んでも、麻耶さんのブログの中心は今、「姪っ子甥っ子と私の日々」になっています。
姪っ子甥っ子への送迎の報告、公園でのピクニックから運動会、映画鑑賞、本当の親ですらそんなにブログアップしますかね、と思うほどの熱の入れよう。
姪っ子甥っ子へ執着するということはイコール海老蔵さん一家との密着と無関係では成立しないので、当然家への出入りも頻繁になる。
せっかく発表された”同居解消”の記事もただ胡散臭いだけの嘘記事として叩かれ、蓋を開ければ家族としては終わったはずのハロウィーンにしても、伯母が体調不良で参加できなかったという信じられない理由で、気を使った海老蔵一家がもう一度やる羽目になってましたから。
面倒を見ているつもりが実は姪っ子甥っ子たちのほうが面倒を見てあげているような不可思議な関係になっていってることにも麻耶さん本人は気づかない。
女性自身の記事を読むと、総括して”麻耶さんをもてあましている海老蔵さん”という図式が明確に浮かびあがってきます。
その根拠、証言なるものをどれだけ掴んでいるかは定かでないですが、よほど鈍感な人じゃない限り、麻耶さんの麻央さん逝去後の海老蔵一家への執着ぶりはやはり常識から逸脱しているものとして捉えられていたということがよくわかる。
「中略…たとえば海老蔵さんの妹さんも、もちろんレイカちゃん、カンゲンくんとの交流がありますが、表にアピールすることはないですからね。ただ、海老蔵さんとすればもう少し距離を置いて欲しいというようなことを言って麻耶さんの心のバランスが壊れてしまったら、と心配する気持ちが強いようです。
最愛の妹の麻央さんを亡くした今、麻耶さんにとって、姪と甥は人生のすべてのようで、二人の行事以外は自宅との往復というような生活ですから、もしかかわりがなくなると…。海老蔵さんもいつまでもこの状態だとつらいと思います」(歌舞伎関係者)
(引用元:女性セブン11/30)
誰の目にも明らかでしたね、これは。
麻耶さんの人生からこの姪っ子甥っ子がいなくなったら、それこそ何も書くことがなくなるのじゃないか、何も生きるよすががなくなってしまうのじゃないか、ということは容易に想像できることだし、実際していました。
無関係な人間たちですらそう思うのですから、そばでその接触しているあらゆるシーンを目撃、体現している海老蔵さんはさぞかし悩ましかったでしょう。
もちろん、優柔不断な部分もあるのでそこは海老蔵さん側にも当然責任はあるわけですが、予想以上に入り込んでくる義姉の行為に、どうしたもんか……と思い、解決方法を見い出せないまま、誰にも相談できぬまま地方巡業へまた出かけていくという日々が今日まで続いている可能性は否めません。
あのハワイ旅行についての海老蔵さんの考えについても、
「子供たちのためが半分、そして麻耶さんのためも半分あったそうです。一つの区切りとして、もっと外へ目を向けて欲しいという思いだったそうですが、麻耶さんとしては”家族”への思いが強まってしまったみたいですね」(前出・歌舞伎関係者)
と記事は触れています。
わかりきったことをもう一度女性セブンの記事で読んだ形ですが、予想どおりです。あのハワイ旅行の前後のブログを読んでいた人たちは、これを機に「お疲れ様でした。麻央闘病の間は皆さん本当にありがとうございました」というお礼を込めた解散式だったと思うわけです。
でも…
独身の麻耶さんにとってはファミリーの良さや楽しさを短くとも疑似体験できた貴重で新鮮な体験だったわけで、麻央さんがいなくなった悲しみ以上に、大好きだった歌舞伎役者の海老蔵さんとこんな風に海外旅行へ来ることもできて、なんだか…
人生って、捨てたもんじゃないわ!
ぐらいの前向きで楽しい気持ちが膨らみ、いつしかそれが姪っ子甥っ子への過度なお世話へとつながり、その自分がやってあげなくては状態の押し売りが、もしかしたらこのままいくと……という、ある種の期待が生まれていったとしても何ら不思議じゃないですね。
これぞ、海老蔵さんの誤算でした。
忘れてならないのは、麻耶さんが拘泥しているのは姪っ子甥っ子だけじゃなく、海老蔵さんもその一人であるということ。
行事もしなくなり、自分たちの身の回りのことが自分たちで出来るようになったら淋しさもある反面、その成長を喜ぶのが本当のあり方でしょうが、そこに大好きな歌舞伎役者の海老蔵さんが一枚かんでいるから、この件は複雑なのです。
同居解消以上に難しい問題でしょうが、麻耶さんのためにも二度目の「お引き取り」を願う日をきちんと設けたほうがいいのかもしれません。
それこそ麻央さんの言葉を借りて、
「お姉さまにはお姉さまの人生があるのです」と。