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麻耶「いのちの授業」に「また妹利用か」と賛否両論の声 

 

 

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ころもです。

 

なんていうのか、入り込み過ぎなんですよね。

絶対に淋しい想いをさせるもんか!

 

なんて‥‥

 

思う必要ないんですよ、麻耶さん。

人は寂しさを背負って皆生きているんです。どんなに大家族であっても同じこと。気づいているかいないかの差で、みな寂しさと二人羽織の人生なんです。

だから、「ただのオバ」が姪っ子甥っ子の寂しさを埋めようなんていうのは、反則なんですよ、人間ルールの。

 

実は淋しいのは麻耶さん、そのもの。
姪っ子甥っ子は不在の父親を恋しく想い、母を愛しく想っても、オバさんを求めてはいないです。

求めているように見えるのは、離れてないから。
離れればわかります。子供はよくも悪くも環境の生き物。

なんとかなるんです。

 不在のたびに姪っ子甥っ子と過ごす必要なし

海老蔵さんが巡業中なので、またもやその「不在」をオバさんこと、麻耶さんが埋めて世間にアピールしてますね。

お相手してあげて偉いですね、という声を頼りに生きているのでしょうか。

本当に偉いのは、真の成長や未来のために、自分の寂しさを埋めるためだけに会いに行かないという強さなんですけどね、きっと、わからないでしょうね。

 

麻耶さんの「ピクニック」というタイトルでの投稿に、

父は週末くらいは
ゆっくり家で休みたかっただろうに
母は毎日の子育てで父がいるときは
やすみたかっただろうに‥‥

私たちのために
色んなところに連れていってくれて
一緒に楽しんでくれていたなぁと
感謝の気持ちがあふれ出ます

 という箇所があります。

特別なことは何も出来ないけれど
何気ない幸せな空間や時間を
少しでも作れるオバでありたい

なるほど、そういう気持ちで海老蔵さんという父親不在のときには、自分が母親代わりに遊んであげているということなのかもしれません。

 

でも、それはやはり自己弁護の道具となってしまってますね。麻耶さんが海老蔵さんのファンじゃなければよかったし、歌舞伎が好きじゃないということならまた状況は一変した可能性もありますが、姪っ子甥っ子のためというにはあまりに熱烈ファンであることが世間に知れ渡り過ぎています。

 

ブラピの熱烈なファンだった人が、その嫁となった妹が若くして病死してしまったことをきっかけにブラピ夫婦の家に住み込み、子供たちの幼稚園の送迎のためだけにブラピと同じ屋根の下に暮らし、やれハワイだ、やれ温泉だと一緒に出かけていたら、誰だっておかしく思うでしょう。

 

そして一言、

 

あなた、ブラピの大ファンだったわよね、で終わりの話です。

わかりきったことをあえてまた例えてみたくなるほどに、麻耶さんのやっていることは御都合主義の偽善的なものに世間には取られるものだということを本人はもっと真摯に受け止めたほうがいいです。

 

「いのちの授業」で何を語るのか

目標を持つことは素晴らしいことだし、それが海老蔵さん一家にパラサイトしなくてすむための方策なら仕方のない一面もあります。

 

ただ、「いのちの授業」を聞く側ならまだしも、「行わせていただきました」という麻耶さんの発言には仰天しました。

 

え、なにを?

 

まさか、麻央さんの闘病について語るのですか。どんな立場で何を語るのでしょう。

麻央さんが食事も喉を通らないときに、夫とはいえ男性の海老蔵さんですら野菜スープを作ってなんとか栄養を与えようとしていたときに、ただの一度でも本気で喉を通る食事の勉強でもしてくれたでしょうか。

 

ころもの知る限り、命に直結する食べ物に関してこの方は普通の人以上に疎いように思います。

 

食べることは生きること。

生きることは食べること。

 

そのことをわかっている人たちからすれば、自炊なんて夢のまた夢、外食につぐ外食生活を堂々と送っている麻耶さんが「いのち」について語っても、何の説得力もないのでは?_と思ってしまいます。

 

たった一人看取っただけで、命についてわかったつもりでいるのでしょうか。数の問題じゃないですが、末期で弱っていくだけの妹の心の機微も読み取ることのできなかった麻耶さんに命について語る資格があるのだろうかと疑問です。

 

麻耶さんには是非、ベッドミドラー主演の『フォーエバーフレンズ』という映画を観て欲しいと思いますね。

 

余命わずかで弱っていく母親が、自分のためとはいえ我が子とどんどん親密になっていく親友の姿を見てジェラシーに苦しむのです。

 

ありがとうと同時に、悔しさがあるのが本心なのです。

 

まさか、そんなこともわからなかったのじゃないですよね。

人の心を、命を語る前に、自分一人が生きるために必要な最低限の自炊ぐらいチャチャチャのチャでやりこなしたらいいのじゃないでしょうか。

 

自炊って、何も難しいことないですよ。

男性に限らず、独身に限らず、生きるって食べることそのものですから。

難しい料理や洒落た料理を作る必要なんてサラサラないです。

 

ただ、自分の食べるものに無頓着な人が「いのちの授業」をやるといっても、ころもなら絶対に足を運びません。

そんな人の授業より、愛する人のために自分の時間を割いてでも食について勉強している人に「真実」を感じます。

 

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