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麻耶ピンクとんぼを追い払う麻央とんぼ目撃!海老蔵が皮肉か

 

 

 

ころもです。

 

高知で温泉と自然に癒されているようですね、海老蔵さん。

 

よほど日頃のストレスがあるのか、「何か」から解放されている様子が随所に感じられます。

 

そして海老蔵さん、どうやら麻耶さんのことをやっぱり煙たがっているのじゃないかな、それが意識的に無意識的にかわかる内容のものをあげていました。

 

これを読んで麻耶さんはどちらの「とんぼ」を自分だと解釈するのか。

 あの手この手で表現してますな

麻央さんのことを思って温泉につかっていたと、海老蔵さん。

 

でもそこにピンク色のトンボが飛んできたのだそう。

写真も掲載されていて、それは確かにピンク色と表現しても決して大げさじゃないトンボでした。

 

海老蔵さんに語りかけるようにそのトンボはぐるぐると海老蔵さんの周りを回るのだけれど、そこにもう一匹のトンボがきて追われてしまったというのです。

 

まとわりつくトンボを後からきた別のトンボが追い払ったという絵面になるでしょうか。

 

なんとも、本当にどういうつもりでこの話をしているのか。

 

麻央さんのことを思ってお風呂につかっていた海老蔵さんは、最初のピンクのトンボが麻央さんの魂を乗せて飛んできてくれて自分の周りを飛んでいたのに、別のトンボがそのピンクのトンボを追いかけてどこかへ行っちゃったと、そう解釈しているようでしたが‥‥

 

逆にしたほうがわかりやすい

 

これって‥‥

 

逆にしたほうが納得いくのですが、どうでしょう。

 

ピンクのトンボを麻耶さんとするのです。

ピンクと言えば、麻央さんの葬儀のときの麻耶さんの場違い過ぎるショッキングピンクのバッグという印象が強いので、ピンクのトンボは「麻耶さん」というイメージがぴったり。

 

海老蔵さんの周りにまとわりついてぐるぐるぐるぐる離れようとしないこの「ピンク色のトンボ」、そのトンボを後からきたトンボが追い払ったというのですから、これは「麻央さん」ということじゃないでしょうか。

 

辻褄というか、現状と合致する気がします。

 

いつまでも海老蔵さんに固執して離れようとしない麻耶さんを「いい加減離れてよ」と見るに見かね、耐えるに耐えかねた麻央さんトンボが追い払いに現れた。

 

そう解釈したほうがすごくしっくりくるような気がします。

 

どちらのトンボが麻耶さんだとしても、あるいは麻央さんだとしても、このトンボエピソードを通じて海老蔵さんが読者、そしてこれを必ず読むだろう麻耶さんに伝えたかったことは何なのか。

 

わかる人には、わかりすぎるほど納得するエピソードですね。

 

海老蔵さんは麻央さんの魂を乗せて飛んで来てくれたと思っているピンクのトンボを、後からきたトンボ(色はわからない)が追い払ったように感じ取ったのでしょうか、ジェラシーを強く感じた、と言ってますが、

 

もしこの海老蔵さんの考え方を生かすなら、最初に海老蔵さんの周りをぐるぐる回っていたピンクトンボが麻央さんの魂をのせたトンボだっとして、

 

後からきてそのピンクトンボを追い払ったトンボが麻耶さんだとすると、これもまた成立しない話ではないですね。

 

その場合、ジェラシーを強く感じた、という海老蔵さんの言葉の「ジェラシー」が「怒り」ならもっと納得がいくような気がします。

 

麻央さんを思っていい気分でいるのに、後からきたトンボがそのトンボを追い払ってしまった、その様子をみて怒りを強く感じた、とこんな感じ。

 

そうすると、本当にしっくりきます。

 

どちらにしても、いがみあうというか、海老蔵さんから「離れてよ」というそれぞれのトンボの想いが汲み取れるエピソード。

 

海老蔵さん、誰にも言えない本音をこういう形で発奮しているのだとしたら、なかなかですね。

 

帰宅しても今は亡き妻の姉や母親がいる家というのは落ち着かないでしょうし、子供たちがいるからまだ我が家という実感はあるにせよ、心から解放されるということはないのじゃないでしょうか。

 

海老蔵さんの優柔不断さと依存体質が別の「優柔不断さと依存体質」を引き寄せているように思いますが、それを引き算しても、やはりこの奇妙な夫婦ごっこ、親子ごっこの関係性は今後ますます異様な形に変容していくように思われます。

 

普通に考えてみて下さい。

 

自分の夫が亡くなった、妻が亡くなった、どちらでもいいですが、伴侶がいなくなったとして、いつも我が物顔で自分のマンションにその姉妹兄弟の誰かが居座ってしまう。

 

でも、伴侶の闘病中に世話になったし、自分ができない子供達の送迎を嬉々としてやってくれるから気安く頼んでしまった負い目もある。

 

時給を払っているわけでもなく無給でやってくれている人間が「ハワイ行きたいなぁ」とブログで要求してきたり、子供を使って自分にいってきたとしたら、その機会があれば「行きますか」と声をかけなきゃまずいかな、と思ってしまう神経もわからなくもありません。

 

ただ、そこで本当に麻央さんのことを大事にしているのだったら、どう思われようと非情だといわれようと、しっかりお引き取り願って、どうしても孫に会いたい、姪っ子甥っ子に会いたいという希望があった場合のみ特別に会うという機会をもうければいいだけのこと。

 

今の形だけの「同居解消」など、見苦しいだけです。

姪っ子甥っ子が可愛いからといって、その家に住み込む伯母など皆無とはいわないですが、まず常識的にはおかしな人と言われても仕方ないです。

 

これが麻央さんが存命なら、生活のサポートをするうえで同居ということも継続して不思議じゃないですが、麻央さんがもういないのに、居たいという姉の願望だけが残って妹の家庭にパラサイトしている。

 

一生懸命なら、頑張っているなら何でも許されるというものじゃない。どの方向に向かっての頑張りなのか、一生懸命さなのかが大事。

 

もし麻耶さんが本気で麻央さんの子供たちの将来を思っているのなら、目の前の寂しさを埋めて「寂しさ」という感情を相殺することなどせず、情操を育てるという大きな目的でもって、自分の姪っ子甥っ子たちの貴重な成長の時期に自分のセンチメンタルな感情をかぶせないこと。

 

妹の家族を助けているという幻想を早く捨てて、本質的な愛情の注ぎ方、遠くから見守るという形もあるということに気づいて欲しいです。

 

信頼できる人に送迎してもらったほうが安心するという見方もあるでしょうが、それはいつまでやれば終わるのですか。

 

信頼できる人になるための貴重な機会を麻耶さん自身が奪っている。それがシッターさんであれ、ビジネスとしての誰かであれ、その人たちにとって当然、最初の1日というのはあるわけです。

 

でも1日、2日、3日と送迎を重ねていき、実績となり、信頼となり、絆となっていくという段階はどうしても経なければならない。

 

そのための最初の1日さえ今の麻耶さんの「間違った姪っ子甥っ子への執着」が邪魔をしている、そう考えたりすることはないのでしょうか。

 

便利ということは実に不便だなと、海老蔵さんと麻耶さんの関係を見ていると感じます。そのうち、またハワイ旅行の話もあがってくるのでしょうね。

 

本当に理解不能です。